ラルク

June 17, 2004

SHINING OVER YOU ―夜に繋がれ―

 君を照らす遙かな月の高みから……という美しい情景は、死後も君を見守っているよ……のような歌詞なんだけど。でも……ドラマチックでありながらこの暗澹たる曲調はいかがなもんです?
 この歌の彼、ぜったい成仏してませんよ?
 夜に繋がれちゃってます。もういっそ、魔物の眷属にでもなっちゃったような勢いの昏さで、世界から隔てられちゃってますよ。「そこからどれくらい流されている?」って言ったって、あなた、もう永遠に隔てられてませんか? 「雨に濡れ絶やさぬように」ってのは、僕のために泣かないでと願ってるんだと思うけど……可哀相なのは彼の方という罠。
 ブランドン・リーの『The Crow』の、彼女が生き残ったヴァージョンみたいな哀切。

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HORIZON ―眼差しこそが世界を形成する―

 ドラマチックなサビが印象的。
 “HELLO”では悲壮感など露ほども見せずに砂漠を突き進んだhydeさんですが、この曲になるとだいぶ消耗してきて、弱気が入ってきた模様。
 「果てしない砂漠の上」で、「揺り籠」や「穏やかな日々」に焦がれ、「君を待ち続けた」けど、ここにはもう「切なさ以外」には何もない(“HELLO”では‘君を待たせてた’から、逆になってる)。「ひび割れた胸」が「痛いよ」と言ってみたり、「ちぎれた想いが叫ん」だり、かなり弱音吐いてます。
 人間、体力消耗すると、体でも心でも、その人の一番“弱いところ”から機能停止していくと言います。この歌の彼の弱いところが、安息への憧れというわけでしょうか。

 でも、たぶんその弱さと同じ場所に、彼が最後まで手放さない、奪えない何かがあるのです。
 彼は「有刺鉄線」引きずってでも、「明日をつかむ」意志を捨てることがない。(立入禁止地帯ですか?脱走してきたんですか?)
 彼の意志は彼の眼差しです。
 タイトルはHORIZONと単数形ですが、歌詞の中ではHorizons rise here in my eyesと、複数形になってるので、こちらは地平線じゃなく、視野・視界という意味。彼の目に視界が……果てしない世界が浮かび上がり、何もかも呑み込んでしまう静寂の呼び声が聞こえる(A sound of silence calls)。でも彼の心には遙かな望みが永遠にあり(a distant hope is mine forevermore)、だから彼は空を見上げ、その眼差しは「最後の一つまで 眩しい矢」となって放たれ、空間を切り裂いて、世界を切り拓いていく。
 地平線の彼方の安息に焦がれながらも、彼は空に向かって眼差しの矢を放つ。それが真実な眼差しである限り、彼は世界を生み出す力を失わない。血を吐くように切ない、真実への意志。

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June 16, 2004

HELLO ―非依存的陰気パワー―

 ラルクでのアレンジが聞いてみたいような、ドライヴ感あふれる一曲。

 陰気パワーも開き直るとこのくらい力強い。決して陽性なエネルギーではないが、死神を引きずってでもグイグイ進んでいく感覚は爽快。
 「偽りだらけの地の果て」で「ようこそ」している彼は、もう最初から自分の置かれた状況を楽しんでいるフシがある。
 天は「じりじりと焼き尽くす」し、「ぎりぎりと死に神に抱」きつかれて、頼みの魂も「底をつ」いて「後が無い」ときた。
 砂漠にいるのか自分の不摂生の荒野にいるのか分かりませんが、彼は恵みの雨なんか望んでない。「つかみ取る輝きで息を吹き返そう」だなんて、追い詰められても挑戦的。
 二度と誰も信じないとか言っちゃってますが(won’t trust no one again)、この開き直り具合から見て、自分以外のモノに依存する気はない、ということでしょう。外側の何ものも、もう彼を傷つけることは出来ない。彼はしっかり「目覚めた」から。
 彼が欲しているのは遍く降り注ぐ恵みの雨ではなく、彼だけに約束された“君”という深い井戸(オアシス)。

砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから
 というのは『星の王子様』ですが、hydeさんがやるとずいぶん陰気で投げ遣りな王子様になっちゃうでしょうね。

 ともあれ、彼は助けを求めてなんかいない。生還する義務と責任を、彼が一方的に負っているんです。「遠回り」したせいで“君”を待たせてることですし。
 彼を突き進ませている「願い」の強さは、「胸に刺さった声」が今も「響いてる」せい。刺さってるんだからそれは痛みなんだけども、大切な痛み。
 最後に彼が告げる「Hello」は、もちろん君へと辿り着いて最初に言う言葉なんでしょうけど、同時に、目覚めた自分と、ろくでもない地の果ての光景にさえも、挨拶を投げかけているかのよう。

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June 15, 2004

THE CAPE OF STORMS ―詛いとしての人生―

 “私は愛の難破船~”は明菜ちゃんでしたが、hydeさんに至っては難破船どころじゃありません。幽霊船になっちまったですよ、あなた。
 スケール観のある壮大な楽曲に、詛いとしての人生を歌っているように聞こえます。

 舵の利かなくなった船は、導(しるべ)の星さえ見えぬ嵐の海を、失くした愛を求めて永遠に彷徨い続ける。幽霊船、凄い勢いで詛われてます。
 詛いは罪の報い。その罪の色の暗さに、君は決して気付かないだろう、と言ってます。でも、罪の味がとろけるように口に甘いチョコレートのようだと、君は知り尽くしてる、とも言います。束の間の悦びに満たされても、夢には必ず終わりがある、とも。
 詛いと引き替えに犯した彼の罪とは? この根深さの詛いを招くからには、彼は世界を裏切ったのでしょうし、人生を裏切ったのでしょう。その時にはそうとは知らずに、“財宝”に手を伸ばしたのかも知れませんね。
 (この種の詛いを描いた物語ですぐ思い出せるのは、ディネーセンの短編。「イエスを殺せ、バラバを許せ!」という群衆の声で死刑を免れた盗賊バラバは、キリストの死後、どんな上等のワインを飲んでも味がしない……人生そのものが味を失ってしまった……という物語。)

 罪の色の暗さを知らない“君”と、永遠に詛われた彼を別けたのは何なのかも、ちょっと気になるところ。物語作家としては物語の法則に基づいて考えてみるわけです。彼は、罪の本質に気付いてしまった(“君”はまだ罪の表層に酔っているだけ)。罪とは、“財宝”に手を伸ばしたことというよりも……錨(いかり)を断ち切ったことではないかと、私は思うわけです。幽霊船は舵が壊れてますが、も一つ欠けているのが、錨。それを失っているから彷徨い続けなければならない。錨を失ったこと自体が人生への詛いなんだけど、それを断ち切ったのは、たぶん、彼自身なんじゃないかと。それが、世界を、人生を裏切る決定的な罪だったのではないか、と。
 錨は愛に包まれることとか安息とかの比喩ですが、彼はそこに偽りを見てしまったのだと思うのですよ。自分を縛っているのが錨だと。彼は自由が欲しかったんじゃないでしょうか。偽りの錨を断ち切ったら、真実の錨がないことに気付いた。手遅れ。
 そうして、終わりのない詛いとしての人生に、彼は行く先も知らずこぎ出した。……けれど、偽りに気付いてしまった彼に、他にどうしようがあったというのか? 生きることは詛いなのです。真実を求める限り。
 モチーフは彷徨える幽霊船と目新しいものですが、テーマはこれまでも歌ってきた、偽りを滅ぼしてしまえ系の、やや凹んでるヴァージョンかなとも思います。全編英語で歌ってますが、やっぱ、日本語でもこういう歌、歌って欲しいなぁ。

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SHALLOW SLEEP ―夢のエモーション―

 切なく可憐なメロディ。浅い微睡みから覚めた瞬間に、頬に零れる涙。夢のエモーションに心当たりがある人にとっては、これ程切ない歌もなかなかない。

 亡くした恋人の夢と考えるのが自然でしょうね。もう会えない人に夢の中で会い、既に失った人を再び失う目覚め。
 微睡みと目覚めの境界に身を浸したまま、君の存在の確かすぎる余韻と、繰り返された喪失に、声を上げることすら出来ず、時が止まったようで……けれど無慈悲に、目覚めの夜明けに呑まれていく。心はあの遠い日に半ば留まりながら、意識は否応なく目覚めへと曳かれてゆく。その引き裂かれてゆく傷の生々しい痛みを、「淡く揺」れる夢の美しい情景で、ヴェールをかぶせるように歌っている。
 夢と目覚めの合間の一瞬を、みごとに再現した歌。稀有。歌詞の語るエモーションと、メロディが表現するエモーションが完全に一致している点でも、極上の一曲。

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EVERGREEN ―永遠に中断された光景―

 死というものを歌うには、これ程に優しく愛おしまねばならないのだろう。奪われた生の口惜しさに呪いを吐くのではなく、哀しみを哀しみのまま、喪失を喪失のまま、別の何かにすり替えることなく心にとどめるためには、これ程までにひっそりと息をひそめ、慈しまねばならない。

初夏の緑の中で途切れゆく命は、もう年をとることなく、残される者達にとってはいつまでもその緑の葉のまま。
途切れゆく命にとっては、残してゆく幼い若葉が生い育ち、花開き実をつけるさまを見ることは永遠に叶わず、幼い葉はその小さな緑のまま。
そんな永遠の初夏の緑。

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瞳の住人 ―僕の知る僕自身より…―

 甘いメロディからあの高音へと駈け昇るサビへの展開が魅力的な一曲。

 歌詞はオーソドックスなラヴソングのようですが、「君」は女なのか我が子なのか。
 ともあれ、恋に夢中になったことがあれば心当たりがあるでしょう、相手の目の中に自分が映ってる、見たこともない幸せそうな笑顔で。君の中にいる僕の方が、僕の知る僕自身より、ずいぶんとましな人間なんじゃないか……と思う時がある。「なぜ僕はここに居るんだろう」という疑問は、君の瞳から離れてもまだ息をしていることの不思議と、君と今此処に在ることの不思議。
 だが、各コーラスの最後、「あの太陽のようになれたなら」と、「時を止めて欲しい 永遠に」の2つのフレーズは、メロディとそれを吐き出すような歌い方からして、反語表現であると考えてみましょう。太陽にはなれないし、永遠には辿り着けない。スタティックな試みが敗れ去ることは分かっていながら、それでも願わずにいられない。刹那から永遠を願う。
 反語的に否定されないのは、最後の「花のもとへ」の繰り返し。永遠は無理でもせめて次の春までは、というんでもないでしょうが、君の不安を消すために、僕は太陽になることも、時を止めることも出来ないけど、「鮮やかな季節」の「花のもと」へと君を連れ出して、一緒に永遠を夢見よう……ダイナミックなその一瞬の情景の中で。

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Coming Closer ―張り詰めて運命に問う―

 冷たく張り詰めた、指先まで痛いほどの緊張感、みたいなインスピレーションの源泉が、たぶん『fate』と凄く近くて、表現の別の可能性を展開した曲のように思える。

 たくさんの孤独を歌ってきたhydeさんですが、今回は、“君の孤独を救えない”ことの焦燥感、己の無力さへの身の置き所無さ。
 時は指の隙間からあまりにも早く流れ落ち、「眠りの時を知ってる」かのような君を、「この手は癒せな」くて、救い出すことが出来なくて、「為す術もなく」「立ち尽くす」。
 「降り注ぐ光を浴び」「風に揺られて」、高く高く「手を伸ばす」君は、どこか樹木のようで、自然霊のイメージを見せる。「母なる君」だからなのか……?

 『fate』は暗殺者か兵士の物語のようで、凍てつく大地で「何が愛なのか、何が嘘なのか」分からないまま「ただ君だけが恋しい」と歌っていた彼の孤独。この『Coming Closer』では、やっと見つけた君が、独り滅んでいくのを止められない哀しみが彼を締め付ける。
 たたみかけるサビのテンションの高さ。運命を知る君の孤独が、そんなにも彼には哀しい。世界の果てで愛を叫んでる歌。

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READY STEADY GO ―大丈夫、走り続けてる―

 ラルク強化週間と言うことで、引き続きhyde氏的懐疑を取り上げて見ませう。

 ラルクの活動再開を告げるにふさわしい勢いと加速度感に、饒舌なアレンジ。なんと楽しそうなことか。“READY STEADY GO”とは、“位置について、よーい、ドン”ですね、はい、誰にも止められないですね。フライングだろうとコース外れようと知ったこっちゃない。って言うか、そもそもスターターの声なんか聞いちゃいない。自分たちで掛け声かけて、もう奴らは地平線の向こうへと走り出しちゃったんです。

 走り続けるには身軽で自由でなきゃいけない。「あてにならない地図」は焼き捨て、「数え切れない傷」抱え込みながら、「埋もれた真実」を「つかみ取」るために、誰にも「魂までは奪わせない」。自分の直感だけ信じて走れ。
 こんなとこでしがらんでる暇はないのです。だって詩神(ミューズ)は丘の向こうで呼んでいるんだもの。

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Spirit dreams inside ―渇いて夢見る―

 80年代のDuran Duranを思い起こさせる、キャッチーで完成度の高い(仄かに陰気な)疾走感あふれる一曲。そしてアルバムSMILEの中では、たぶん一番、夜の半球に近い歌詞。

悪夢から目覚めた 昼間でもそれがまとわりつく ゆっくりとそれがボクを引き裂いていく

遠い愛の夢 ボクは彷徨う衛星なんだ

荒れ地のどこかで 君が笑いかけている ボクの夢から来たヴィジョン すべては変わるのかな?

痛みを振り捨てて 君の光で導いて

太陽に向かって 哀しみを置き去りに 渇いた海を越えて……

「太陽に向かって(heading for the sun)」なんて色白のhydeさんに言われちゃった日にゃあ……と思ってると、あれまぁ、海を干上がらせるほどの太陽ですか!
痛みやら哀しみやらと一緒に海まで干上がらせてしまうとなると、目指すべき太陽は……「浸食」の灼けつく太陽に、実は近い。でも今度は正気を保っている、が故に余計にキツい。焼き尽くすものでありながら目指して進むものでもある……太陽は、両義的。
海も干上がるような不毛の大地で太陽に向かって歩くのは、希望があるからではなく、意志があるから。どこかに君がいると信じているから。(ユリアさまを捜すケンシロウのようだ、とは言わないでおこう)

干上がった不毛の世界は彼の心。そんなにも渇いているのは、「時の外側へと空回りしてる(spinning out of time)」疎外感のせい? 誰かに繋ぎ止めて欲しがっている、泣き声に気付いて欲しいと。なぜ此処にいるのか分からず、迷子になった理由も分からない。愛の所在を知らないから。
それでも歩き続ける意志だけがある。
誰にも出会えない荒れ地で、太陽に向かって、君の光を目指して行く先は、心の深いところ(deep inside I go)。魂が夢見ているのは彼方ではなく、“内側”。
では、太陽は彼の欲望?それとも真実?……その両方を指す両義性?

「遠い愛の夢」そのものが「悪夢」であるような渇いた世界。
でも『接吻』で、「もう僕は二度と帰らない」と言ったのは、そんな渇いた孤独だったのでは?
ああ、それとも、二度と帰らないという意志が、彼を歩き続けさせているのかな?
そんな夢にさえ気付かないでいれば、無感覚に人の群れの中で生きていけるけど、気付いて、目覚めて、一人でも、ずっと君へと歩き続ける。
たとえ世界が彼を祝福しなくても、彼は意地でも世界を祝福してやる。世界が彼を祝福するまで、絶対に彼は世界から去ってやらない。そんな意志。
……凄くいいんだよね。なぜ日本語で歌わないのだろう。

永遠を誓わずに願うくらいの節操は残っているものの、「この恋を君に、永遠を捧げ」ちゃってる(『永遠』)今日この頃のhydeさんですが、世界と(君と)出会うことの困難さを、より成熟した意志で歌っていく可能性の一つが、この曲の歌詞には現れているような気がします。

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