June 17, 2004
君を照らす遙かな月の高みから……という美しい情景は、死後も君を見守っているよ……のような歌詞なんだけど。でも……ドラマチックでありながらこの暗澹たる曲調はいかがなもんです?
この歌の彼、ぜったい成仏してませんよ?
夜に繋がれちゃってます。もういっそ、魔物の眷属にでもなっちゃったような勢いの昏さで、世界から隔てられちゃってますよ。「そこからどれくらい流されている?」って言ったって、あなた、もう永遠に隔てられてませんか? 「雨に濡れ絶やさぬように」ってのは、僕のために泣かないでと願ってるんだと思うけど……可哀相なのは彼の方という罠。
ブランドン・リーの『The Crow』の、彼女が生き残ったヴァージョンみたいな哀切。
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ドラマチックなサビが印象的。
“HELLO”では悲壮感など露ほども見せずに砂漠を突き進んだhydeさんですが、この曲になるとだいぶ消耗してきて、弱気が入ってきた模様。
「果てしない砂漠の上」で、「揺り籠」や「穏やかな日々」に焦がれ、「君を待ち続けた」けど、ここにはもう「切なさ以外」には何もない(“HELLO”では‘君を待たせてた’から、逆になってる)。「ひび割れた胸」が「痛いよ」と言ってみたり、「ちぎれた想いが叫ん」だり、かなり弱音吐いてます。
人間、体力消耗すると、体でも心でも、その人の一番“弱いところ”から機能停止していくと言います。この歌の彼の弱いところが、安息への憧れというわけでしょうか。
でも、たぶんその弱さと同じ場所に、彼が最後まで手放さない、奪えない何かがあるのです。
彼は「有刺鉄線」引きずってでも、「明日をつかむ」意志を捨てることがない。(立入禁止地帯ですか?脱走してきたんですか?)
彼の意志は彼の眼差しです。
タイトルはHORIZONと単数形ですが、歌詞の中ではHorizons rise here in my eyesと、複数形になってるので、こちらは地平線じゃなく、視野・視界という意味。彼の目に視界が……果てしない世界が浮かび上がり、何もかも呑み込んでしまう静寂の呼び声が聞こえる(A sound of silence calls)。でも彼の心には遙かな望みが永遠にあり(a distant hope is mine forevermore)、だから彼は空を見上げ、その眼差しは「最後の一つまで 眩しい矢」となって放たれ、空間を切り裂いて、世界を切り拓いていく。
地平線の彼方の安息に焦がれながらも、彼は空に向かって眼差しの矢を放つ。それが真実な眼差しである限り、彼は世界を生み出す力を失わない。血を吐くように切ない、真実への意志。
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June 16, 2004
ラルクでのアレンジが聞いてみたいような、ドライヴ感あふれる一曲。
陰気パワーも開き直るとこのくらい力強い。決して陽性なエネルギーではないが、死神を引きずってでもグイグイ進んでいく感覚は爽快。
「偽りだらけの地の果て」で「ようこそ」している彼は、もう最初から自分の置かれた状況を楽しんでいるフシがある。
天は「じりじりと焼き尽くす」し、「ぎりぎりと死に神に抱」きつかれて、頼みの魂も「底をつ」いて「後が無い」ときた。
砂漠にいるのか自分の不摂生の荒野にいるのか分かりませんが、彼は恵みの雨なんか望んでない。「つかみ取る輝きで息を吹き返そう」だなんて、追い詰められても挑戦的。
二度と誰も信じないとか言っちゃってますが(won’t trust no one again)、この開き直り具合から見て、自分以外のモノに依存する気はない、ということでしょう。外側の何ものも、もう彼を傷つけることは出来ない。彼はしっかり「目覚めた」から。
彼が欲しているのは遍く降り注ぐ恵みの雨ではなく、彼だけに約束された“君”という深い井戸(オアシス)。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから
というのは『星の王子様』ですが、hydeさんがやるとずいぶん陰気で投げ遣りな王子様になっちゃうでしょうね。
ともあれ、彼は助けを求めてなんかいない。生還する義務と責任を、彼が一方的に負っているんです。「遠回り」したせいで“君”を待たせてることですし。
彼を突き進ませている「願い」の強さは、「胸に刺さった声」が今も「響いてる」せい。刺さってるんだからそれは痛みなんだけども、大切な痛み。
最後に彼が告げる「Hello」は、もちろん君へと辿り着いて最初に言う言葉なんでしょうけど、同時に、目覚めた自分と、ろくでもない地の果ての光景にさえも、挨拶を投げかけているかのよう。
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June 15, 2004
“私は愛の難破船~”は明菜ちゃんでしたが、hydeさんに至っては難破船どころじゃありません。幽霊船になっちまったですよ、あなた。
スケール観のある壮大な楽曲に、詛いとしての人生を歌っているように聞こえます。
舵の利かなくなった船は、導(しるべ)の星さえ見えぬ嵐の海を、失くした愛を求めて永遠に彷徨い続ける。幽霊船、凄い勢いで詛われてます。
詛いは罪の報い。その罪の色の暗さに、君は決して気付かないだろう、と言ってます。でも、罪の味がとろけるように口に甘いチョコレートのようだと、君は知り尽くしてる、とも言います。束の間の悦びに満たされても、夢には必ず終わりがある、とも。
詛いと引き替えに犯した彼の罪とは? この根深さの詛いを招くからには、彼は世界を裏切ったのでしょうし、人生を裏切ったのでしょう。その時にはそうとは知らずに、“財宝”に手を伸ばしたのかも知れませんね。
(この種の詛いを描いた物語ですぐ思い出せるのは、ディネーセンの短編。「イエスを殺せ、バラバを許せ!」という群衆の声で死刑を免れた盗賊バラバは、キリストの死後、どんな上等のワインを飲んでも味がしない……人生そのものが味を失ってしまった……という物語。)
罪の色の暗さを知らない“君”と、永遠に詛われた彼を別けたのは何なのかも、ちょっと気になるところ。物語作家としては物語の法則に基づいて考えてみるわけです。彼は、罪の本質に気付いてしまった(“君”はまだ罪の表層に酔っているだけ)。罪とは、“財宝”に手を伸ばしたことというよりも……錨(いかり)を断ち切ったことではないかと、私は思うわけです。幽霊船は舵が壊れてますが、も一つ欠けているのが、錨。それを失っているから彷徨い続けなければならない。錨を失ったこと自体が人生への詛いなんだけど、それを断ち切ったのは、たぶん、彼自身なんじゃないかと。それが、世界を、人生を裏切る決定的な罪だったのではないか、と。
錨は愛に包まれることとか安息とかの比喩ですが、彼はそこに偽りを見てしまったのだと思うのですよ。自分を縛っているのが錨だと。彼は自由が欲しかったんじゃないでしょうか。偽りの錨を断ち切ったら、真実の錨がないことに気付いた。手遅れ。
そうして、終わりのない詛いとしての人生に、彼は行く先も知らずこぎ出した。……けれど、偽りに気付いてしまった彼に、他にどうしようがあったというのか? 生きることは詛いなのです。真実を求める限り。
モチーフは彷徨える幽霊船と目新しいものですが、テーマはこれまでも歌ってきた、偽りを滅ぼしてしまえ系の、やや凹んでるヴァージョンかなとも思います。全編英語で歌ってますが、やっぱ、日本語でもこういう歌、歌って欲しいなぁ。
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切なく可憐なメロディ。浅い微睡みから覚めた瞬間に、頬に零れる涙。夢のエモーションに心当たりがある人にとっては、これ程切ない歌もなかなかない。
亡くした恋人の夢と考えるのが自然でしょうね。もう会えない人に夢の中で会い、既に失った人を再び失う目覚め。
微睡みと目覚めの境界に身を浸したまま、君の存在の確かすぎる余韻と、繰り返された喪失に、声を上げることすら出来ず、時が止まったようで……けれど無慈悲に、目覚めの夜明けに呑まれていく。心はあの遠い日に半ば留まりながら、意識は否応なく目覚めへと曳かれてゆく。その引き裂かれてゆく傷の生々しい痛みを、「淡く揺」れる夢の美しい情景で、ヴェールをかぶせるように歌っている。
夢と目覚めの合間の一瞬を、みごとに再現した歌。稀有。歌詞の語るエモーションと、メロディが表現するエモーションが完全に一致している点でも、極上の一曲。
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死というものを歌うには、これ程に優しく愛おしまねばならないのだろう。奪われた生の口惜しさに呪いを吐くのではなく、哀しみを哀しみのまま、喪失を喪失のまま、別の何かにすり替えることなく心にとどめるためには、これ程までにひっそりと息をひそめ、慈しまねばならない。
初夏の緑の中で途切れゆく命は、もう年をとることなく、残される者達にとってはいつまでもその緑の葉のまま。
途切れゆく命にとっては、残してゆく幼い若葉が生い育ち、花開き実をつけるさまを見ることは永遠に叶わず、幼い葉はその小さな緑のまま。
そんな永遠の初夏の緑。
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甘いメロディからあの高音へと駈け昇るサビへの展開が魅力的な一曲。
歌詞はオーソドックスなラヴソングのようですが、「君」は女なのか我が子なのか。
ともあれ、恋に夢中になったことがあれば心当たりがあるでしょう、相手の目の中に自分が映ってる、見たこともない幸せそうな笑顔で。君の中にいる僕の方が、僕の知る僕自身より、ずいぶんとましな人間なんじゃないか……と思う時がある。「なぜ僕はここに居るんだろう」という疑問は、君の瞳から離れてもまだ息をしていることの不思議と、君と今此処に在ることの不思議。
だが、各コーラスの最後、「あの太陽のようになれたなら」と、「時を止めて欲しい 永遠に」の2つのフレーズは、メロディとそれを吐き出すような歌い方からして、反語表現であると考えてみましょう。太陽にはなれないし、永遠には辿り着けない。スタティックな試みが敗れ去ることは分かっていながら、それでも願わずにいられない。刹那から永遠を願う。
反語的に否定されないのは、最後の「花のもとへ」の繰り返し。永遠は無理でもせめて次の春までは、というんでもないでしょうが、君の不安を消すために、僕は太陽になることも、時を止めることも出来ないけど、「鮮やかな季節」の「花のもと」へと君を連れ出して、一緒に永遠を夢見よう……ダイナミックなその一瞬の情景の中で。
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冷たく張り詰めた、指先まで痛いほどの緊張感、みたいなインスピレーションの源泉が、たぶん『fate』と凄く近くて、表現の別の可能性を展開した曲のように思える。
たくさんの孤独を歌ってきたhydeさんですが、今回は、“君の孤独を救えない”ことの焦燥感、己の無力さへの身の置き所無さ。
時は指の隙間からあまりにも早く流れ落ち、「眠りの時を知ってる」かのような君を、「この手は癒せな」くて、救い出すことが出来なくて、「為す術もなく」「立ち尽くす」。
「降り注ぐ光を浴び」「風に揺られて」、高く高く「手を伸ばす」君は、どこか樹木のようで、自然霊のイメージを見せる。「母なる君」だからなのか……?
『fate』は暗殺者か兵士の物語のようで、凍てつく大地で「何が愛なのか、何が嘘なのか」分からないまま「ただ君だけが恋しい」と歌っていた彼の孤独。この『Coming Closer』では、やっと見つけた君が、独り滅んでいくのを止められない哀しみが彼を締め付ける。
たたみかけるサビのテンションの高さ。運命を知る君の孤独が、そんなにも彼には哀しい。世界の果てで愛を叫んでる歌。
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ラルク強化週間と言うことで、引き続きhyde氏的懐疑を取り上げて見ませう。
ラルクの活動再開を告げるにふさわしい勢いと加速度感に、饒舌なアレンジ。なんと楽しそうなことか。“READY STEADY GO”とは、“位置について、よーい、ドン”ですね、はい、誰にも止められないですね。フライングだろうとコース外れようと知ったこっちゃない。って言うか、そもそもスターターの声なんか聞いちゃいない。自分たちで掛け声かけて、もう奴らは地平線の向こうへと走り出しちゃったんです。
走り続けるには身軽で自由でなきゃいけない。「あてにならない地図」は焼き捨て、「数え切れない傷」抱え込みながら、「埋もれた真実」を「つかみ取」るために、誰にも「魂までは奪わせない」。自分の直感だけ信じて走れ。
こんなとこでしがらんでる暇はないのです。だって詩神(ミューズ)は丘の向こうで呼んでいるんだもの。
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80年代のDuran Duranを思い起こさせる、キャッチーで完成度の高い(仄かに陰気な)疾走感あふれる一曲。そしてアルバムSMILEの中では、たぶん一番、夜の半球に近い歌詞。
悪夢から目覚めた 昼間でもそれがまとわりつく ゆっくりとそれがボクを引き裂いていく
遠い愛の夢 ボクは彷徨う衛星なんだ
荒れ地のどこかで 君が笑いかけている ボクの夢から来たヴィジョン すべては変わるのかな?
痛みを振り捨てて 君の光で導いて
太陽に向かって 哀しみを置き去りに 渇いた海を越えて……
「太陽に向かって(heading for the sun)」なんて色白のhydeさんに言われちゃった日にゃあ……と思ってると、あれまぁ、海を干上がらせるほどの太陽ですか!
痛みやら哀しみやらと一緒に海まで干上がらせてしまうとなると、目指すべき太陽は……「浸食」の灼けつく太陽に、実は近い。でも今度は正気を保っている、が故に余計にキツい。焼き尽くすものでありながら目指して進むものでもある……太陽は、両義的。
海も干上がるような不毛の大地で太陽に向かって歩くのは、希望があるからではなく、意志があるから。どこかに君がいると信じているから。(ユリアさまを捜すケンシロウのようだ、とは言わないでおこう)
干上がった不毛の世界は彼の心。そんなにも渇いているのは、「時の外側へと空回りしてる(spinning out of time)」疎外感のせい? 誰かに繋ぎ止めて欲しがっている、泣き声に気付いて欲しいと。なぜ此処にいるのか分からず、迷子になった理由も分からない。愛の所在を知らないから。
それでも歩き続ける意志だけがある。
誰にも出会えない荒れ地で、太陽に向かって、君の光を目指して行く先は、心の深いところ(deep inside I go)。魂が夢見ているのは彼方ではなく、“内側”。
では、太陽は彼の欲望?それとも真実?……その両方を指す両義性?
「遠い愛の夢」そのものが「悪夢」であるような渇いた世界。
でも『接吻』で、「もう僕は二度と帰らない」と言ったのは、そんな渇いた孤独だったのでは?
ああ、それとも、二度と帰らないという意志が、彼を歩き続けさせているのかな?
そんな夢にさえ気付かないでいれば、無感覚に人の群れの中で生きていけるけど、気付いて、目覚めて、一人でも、ずっと君へと歩き続ける。
たとえ世界が彼を祝福しなくても、彼は意地でも世界を祝福してやる。世界が彼を祝福するまで、絶対に彼は世界から去ってやらない。そんな意志。
……凄くいいんだよね。なぜ日本語で歌わないのだろう。
永遠を誓わずに願うくらいの節操は残っているものの、「この恋を君に、永遠を捧げ」ちゃってる(『永遠』)今日この頃のhydeさんですが、世界と(君と)出会うことの困難さを、より成熟した意志で歌っていく可能性の一つが、この曲の歌詞には現れているような気がします。
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June 13, 2004
行って参りました、ラルク@大阪城ホール。
急遽“参加席”とやらの発売情報が入り、立ち見より悪い席との覚悟で行ってみると、何のことはない、ステージ脇のスタンド席。立ち見かと思っていたので、コレはラッキー。ステージ近いじゃん♪
ほとんどPAの真横とあって、さすがに音が割れちゃって、テッチャンのエロいベースラインを堪能出来なかったのはやはり残念。それでも、前回のドームの時みたいに“ベースラインとバスドラが半周遅れで重なって絶妙の気持ち悪さ”ということはありませんでした。
ラルクはこれまでお台場の巨大野外とドームでしか聞いたことなかったんだけど、ホールクラスのハコの大きさだと、あ、この人たちライヴでも上手いんだ、というのが遅ればせながら初めて分かりました。特にユッキー。もしかして物凄く上手いドラマーだったの? アルバムで聞いてる限りは「サクラの陰気なドラムの方が好き…」くらいにしか思ってなかったんだけど、今日はビックリしました。年甲斐もなく踊らされてしまったのは、たぶんユッキーのドラムのせい。私はドラムのデフォルトがカール・パーマーなので、オカズが多いほど好きという程度でしか聞こえないんだけど、今日のユッキーはそそりました。テッチャンのプログレちっくなベースラインは元から好きなんだけど、2人で作り出すリズムパターンというのか、ヴァリエーションが豊富で、飽きさせないステージ。それにホールで聞くと、改めて楽曲自体の良さも感じます。アレンジもそれぞれの曲に個性があって、ホント楽しい。
そして……hydeさん。前に聞いたときは、ライヴではそれ程でもないんだな~と思ってたんだけど、今日はトンでもございませんでしたよ、奥さん。前半で「瞳の住人」キターッと思ってハラハラして聞いてると、あの高音を軽々歌ってる。その後もっと高くなるところも、完っ璧。声の調子いいなーと思いつつ、ハッと気付いたわけです。もしかしてこのオッサン、歌上手くなってません? ライヴのノリを加えつつ、スタジオ録音のクオリティーで歌ってる……まるで沢田研二サマのようではありませんか。男性ヴォーカルは、30代半ばからが声のピーク、歌唱力のピークはさらにもう少し後、ということなのだろーか。(ジュリーの時にはそのピークをリアルタイムで聞き損ねてしまった、痛恨っ。hydeさんのピークは聞き逃さないようにせねば。実はSMILEもあんまり聞き込んでなかったんだけど、ちゃんと聞きます。)
(最近の曲は、これで歌詞が面白ければ文句なしなんだけど……歌詞の逝きっぷりのピークは、Heartとその後くらいかなぁ。ちょっと毒気が抜けて落ち着いちゃったよね)
そもそもラルクではhydeさんの声は立派な楽器の一つだと思うんだけど、その楽器ぶりに磨きがかかってます。彼以外が歌うと、つまんなくなっちゃうだろうなーって曲、たくさんある。
ファルセットが美事なのはもちろんなんだけど(んにしても「瞳の住人」のあの高音は神!)、中音域の表情の付け方がスゴイと思うのよ。金属的な硬質の声と深みのある声との使い分けとか、伸ばすときの母音の種類の多さとか、技術の確かさであるには違いないんだけど、それが何とも……突き放すような、拗ねるような、無邪気なような……危ういスタンス(世界への?自己への?)を感じさせて、ほんと大好き。ファルセット一つ、シャウト一つにも必然性がある、異様な説得力。ちょっと神がかった領域に近づきつつあるような表現力でした。歌詞以上、サウンド以上の“何か”を表現してしまっている(言ってしまえばそれはspiritなんだけど)。お能の笛方でお一人、そういう“何か”を表現してしまう方を見て衝撃受けたのを思い出します。
あ、あと、メンバーがパートを総取っ替えするP’unk~en~Cielもサイコー! Kenちゃん一生懸命ドラム叩く叩く、ユッキー真っ剣な顔でベース弾く弾く。Punk Milky Way楽しかったよーっ! パンク君が代なんかやってくれたらスゲェんだけどなー、ラルクはやんないよねぇ。
席に全然期待せずに行っただけに、大満足のステージでございました♪
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November 23, 2002
何がどうというドラマも内容もない。歌詞は抽象的で断片的。
でも、ハッキリと‘ある何か’が伝わってくる不思議な歌。
昼の空……突然の天気雨の中で、溢れるような色彩と光にヤラレてしまった感覚。
でも、溺れない。彼は恐ろしく醒めている。
手の届かない空、を、見上げた瞬間、光に包まれて主観が分裂する。
届かないはずの空を羽ばたいている、或いは、空そのものになってしまっている自分と、やはり地上でそれを見上げ、断絶を知っている自分と。
夢の右側と、真実の左側。
魂の右側と、生の左側。
断絶。
「Look at the skies」と歌うとき、空は複数形になっている。ということは、単なる空ではなく、天(天国)を意味しているのでしょうし、コロコロと変わる空模様のイメージもわくし(突然の天気雨)、右目と左目に映る別々の空もイメージされる。
そしてもちろん、届きたいと切望しているのは、「きみ」でもある。空に手が届かないように、決して一つにはなれない他者。
切望と断絶。
で、つまるところ何なのかというと、天気雨は地上と空をつなぐ‘虹’を見せるんだなぁ……恐るべし、ラルクの一貫した象徴性。
断絶を一瞬、架橋する虹。目に見える形となった、己の切望。儚く、真実な。
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かなり好みですよー、この暗さ。ラルクの中でも暗さで1、2を争うかも知れません(forbidden loversも暗いけど、リズムのせいか、どっちかというと重たい感じがつよい。)。
とにかく、このくらい暗いといいですねー。
サビの部分はとてもオーソドックスに一音一字で歌詞が乗ってますが、それ以外のメロディは、不安定な揺れに言葉自体の抑揚が微妙に揺らぎながら乗っていて、とても不思議な雰囲気。
歌詞の世界は「花葬」に一脈通じるような、退廃的で自閉的なイメージ。「月の隠れ家」なんてあたり、何となく吸血鬼系の感性ですね。とにかく、はまり過ぎなほどの退廃美。
滅びの風景がこんなにも美しいのは、罪の世界を、それでも愛したいからなのかな...なんて思ったりして。「偽りの世界をぶち壊してしまえ」系の歌とは別種の、妙な情の深さを感じさせるのだ。情が深すぎて、人の道を外れるっていうこともあるしね。
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インパクトのある楽曲としては、『虹』に匹敵するかも知れない。
楽器の一つとしてのhydeさんの声も含めて、ラルクというバンドの魅力全開だ(hydeさんはファルセットばかりが目立つようだけど、実に声の種類が多く、言葉を歌うことに長けている)。
歌詞の世界は「虹」のようにストレートなメッセージではないけれど、言葉に力がある。
非情な「天」、「支配者」に抗うスタンスは健在だが、どうもこの歌は、叛逆者というよりは、受難者、殉教者としての色彩が強い。
「信じる魂を永遠へ導いて」くれと言い、歌の最後では、火刑で身体は燃え尽き灰になっても、「けがれて」いなかったら「貴方が連れていって」「抱いて」くれと歌う。「捧ぐ祈り」を「奪う支配者」が歌われているにもかかわらず、それでも、この歌の底には、祈りがあるように思えて仕方ない。
それにしても、命を賭して何に殉じるのかといえば、歌詞の中に出てくる手懸りとしては、「貴方への心」くらいなのだ。ラルクの歌詞カードには誤植も少なくないので、あてにしていいのかどうか自信はないが、「貴女」でも「あなた」でもなく、「貴方」であるところが、少し気にかかる。
何しろhydeさんは「貴方」に「連れて行って」「抱いて」とまで言っているのだから、尋常な入れ込みようではない。
Shout at the Devilでは〈自分を作り出したもの〉への叛逆を高らかに歌いながら振りかざした〈真実〉、『虹』では、総てがそれとともにあると歌った〈真実〉が、この歌の叫び、或いは祈りを、向ける相手となっているのだろうか?
ただしこの歌では、真実という言葉は、一度も歌われてはいない。
「愛」という言葉なら二度出てくる。
“愛なんて幻想だ”くらいのことなら誰にでも言えるけれど(そういう歌が売れるかどうかは別にしてね)、hydeさんの場合、愛は予め「幻想に埋れ」てしまっているのが前提で、その埋れた「愛」が「目覚め」ることを夢見る(これも二回目の逆立ちをやってのけた後の、世界の裏側の情景に見える)。
もう一度出てくるときには、「ゆがんだ愛」とそれは呼ばれている。歪んだ愛なのか歪められた愛なのか、少々疑問は残るところだ。
何しろ宿命めいた力に抗うことに、結果的にそれが徒労に終わるとしても、それでも生の意味を、永遠性を見出していく、リキの入った一曲。
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ノリのいいハードな曲調。アルバムのタイトルともなっている〈箱船Ark〉が歌のメッセージになっているようだ。
hydeさんの詩にも、Dive to Blueのような明るいヤツもあるが、それはプライベートな次元の「幼い頃に見た朝焼け」の明るさ、幼年期の透明性に基づくポジティブさだと思う。
もう一方で「虹」の前向きさは、一途な力強さ、希求する力だ。
つまり、ラルクの明るさは「幼い頃」に象徴されるイメージ、ラルクの前向きさは「真実」に集約されるイメージを纏ってきたのだ。
が、このHeaven's Driveの明るいメッセージは何なんだ。
時代の閉塞感といってしまうと評論オヤジくさくて陳腐だが、つまりは、『死の灰』なんかが歌っているのは、このままの世界が続くはずがない、こんなことやってたらカンキョーオセンやゲンパツジコやその他モロモロ、いつか世界がダメになっちゃうでしょうよという、至極真っ当な皮膚感覚だったと私は感じている。
かといって、そういう先細りな漠然とした不安の中で、「これを信じれば救われまっせー」というお手軽な答えに飛びつくのはウソだ、って、「死の灰」でも、「Devil's walk in the stroberry field」でも、hydeさんはそういうウソにはこれまた至極真っ当に敏感だ。
だいたいにおいて、hydeさんが歌うのは未来への希望よりは破滅の願望の方に近い。「氷河期のリセット」(shout at the devil)とか、滅亡を否応なく焦れてしまうような絶望的な現状認識が、むしろ妥協のない真っ当さに見えて、私は好きなんだ。
で、このHeaven's Driveはどうなんだ。
「飽き足りない」「次は何が欲しい」「体は毒されていく」「生まれ過ぎた悪夢」……これらのイメージは、確かに、「君」との関係の中でのプライベートな次元での言葉ではあるのかもしれないけど、どうも、もう少し広い意味での、この世のどん詰まり感とも重なっているように思えてしまう。そう、もう少しパブリックな状況の話のようにも思えるのだ。
だとしたら、「すべて吹き飛ばして」までは分かる。そうするしかないどん詰まり感は、少なくとも、現実の絶望的状況を過小評価していない。そこに自分の足元を置くのは、hyde氏的懐疑を勘案するなら、あながち無責任ではないと思うのだ。
しかし、「道連れに罰を受ける前に」?「その箱船に乗って」?「鍵を手にして」?
……これは逃避なのか?
パブリックな状況は、プライベートな飛翔によっては解消できないのではないか?
いや、もちろん、パブリックなどん詰まりにパブリックな答えを出せなんて、思ってもみない。信じるとしたらお手軽な答えじゃなく、消せない真実とか、幼い頃の大切な何かとか、そういうところから現実の裂け目を求めるのが真っ当だとは思う。
歌として聞くと、確かに、そのスピード感は垂直の飛翔であって水平の距離的な逃避ではないし、「光を求めて」いくのは世界が吹き飛んだ向こう側へだ。
だからいい……のかな。
ちょっと分かりかねる違和感が残る。うまく言えないな。また考えたら、書いてみます。
ま、もちろんね、らしくなくたって別にいい。らしさなんて、所詮こっちの思い込みだから。でも、あたしはわからなさに、この歌を聞く度に、ちょっとスネてしまう。
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プログレっぽい展開のある力作。こういうの、また作らないのかな。演奏もヴォーカルも、たっぷり楽しめて好きです。
懐かしさのあるSF的主題は、月の世界に一人残された者の、静かで透明な孤独。
となれば、私としては当然、David BowieのSpace Oddityあたりを連想するわけです(打ち上げられっぱなしで宇宙の放浪者になったトム少佐は、後にAshes to Ashesでジャンキーだクズだと脱神話化され、貶められねばならなかったのですが……)。
しかし、Bowieの頃とは時代が違うんですね。宇宙ロケットなんかいらない。もう、精神だけが、静かの海で地球を見つめてる。
この違いは大きい。
みっともない宇宙服なんか着ないで済むからいいよね。交差点でふと精神が浮遊してしまった瞬間、静かの海から地球を見てたりするかもしれないんだ。
これはもうSFと言うよりは、純粋にファンタジー。時代の違いですかね。
或いは、宇宙服やロケットって、自我の輪郭を守る堅固さの象徴だったのかもね。いわば、固い孤独。でもこの歌では、透徹した孤独にもかかわらず、自我の縛りは弱い…そんな気がする。地球からの距離の遠さが大事なのではなく、重力から逃れることが肝心。hydeさんの孤独は、重さを失くした魂の透明な孤独でしょう。
「静かの海」って、〈自分の世界〉って感じ? 誰もいなくて、そこは天国のように孤独で、そこからなら世界全部を愛せてしまうような。
……そりゃ、「君は帰って」っちゃうよね。他の誰も留まれないから、自分の世界なんだもんね。
その意味では自閉的甘ったれなんだけど、微妙にね、「I feel heavenly!」と叫んでる、その叫びが、切実なんだよね。
人恋しさの叫びというだけでは、到底、尽くせない。
世界からの疎外感の質が……なんだろう、最終的に“yes”と言ってるような……分かんないけど、とにかく甘ったれじゃない、厳しさも哀しさもひっくるめて泣きながら世界に頷き返しているような、不思議な感じがする。
とらえきれない不思議。そういうとこが好き。
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清冽なイメージに溢れた爽やかで可憐な一曲。
春の訪れを予感し、長い眠りから目覚める世界を活き活きとした言葉で歌う。
雪に閉ざされ白く凍てついた大地が色を取り戻し、「鳥たちの羽ばたきが」「人々の歌声が」響いてくる。ここで閉ざされていたのは大地・世界であるとともに、歌の始めではまず自分自身でもある。「積み上げた防壁」が崩れ去ると、最初に出逢うのは何よりもまず、「あの日の僕」の笑顔なのだ。世界が朝ごとに真新しかった、あの頃。
そうして世界が蘇っていく様を、生まれたての「僕」が目撃してゆく驚きと喜び。目覚めた「僕」の目には、過ぎた冬の中に本当はあったのに見えていなかった「白いユキノハナ」さえ、「今なら気が付くはず」なのだ。
そして何もかもが生命を取り戻し、鮮やかに蘇る世界の中に、「僕」はようやく、「あなた」を見い出す。「とぎれたレール」を自ら「絵の具でつぎ足し」て、「僕たち」は歩き出す。
雪解けする一方かと思うと、歌の終りでは再び「あたたかな雪」が降り注ぐ。閉ざされていたのは世界ではなく僕の心だったのだから、名残の雪はもはや世界を閉ざすことはなく、「祝福」となる。そして「白いベールを被ったようだ」と言って僕が見つめている「あなた」は、もはや一人の女というより、この大地そのもののようでさえある。
世界とあなたに出逢う前に、まず「あの日の僕」の笑顔を見つけなければならないあたり、結構、正直な歌だと思う。
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自分を生み出した者、作り出した者への怒り。
ケガレのない場所で自分だけ罪無き者で居続ける偽善への憤り。
否定的な感情を歌っていながら、それほど甘えがない。どこぞでエラクはやったアダルト・チルドレンとは違って、“ママが僕をこんな風に産んだんだぁ、育てたんだぁ、謝れよぉ”というベタベタした感じは、少しもない。
この歌の中の悪魔は、最大の〈善〉である叛逆の象徴であって、ミルトン的に崇高なサタンなのだ。偽善的な創造主を否定する悪魔の力は、「偽りの輝き」を「吹き消し」、「真実の旗」を「振りかざせ」と叫ぶ。ロック・ミュージシャンらしい立派な先導者ぶりだが、何より〈真実〉はここでも、彼方にあって傷付けることの出来ない絶対性の象徴となっていることが目を引く。
ただし注意すべきは、絶対であるところの〈真実〉が何であるかを問わないという点だ。「これが真実だ」とか、ましてや「愛こそ真実だ」などとは、決してhydeさんは言わない。それを言ったら崇高なサタンたりえずに、陳腐なペテン師に堕してしまう。真実が何なのかは敢えて問わずに、ただ偽りを見抜き、打ち破ろうとする。世界が偽りなら世界を壊すし、自分が偽りなら、自分も滅ぼしてしまおう。こういう感じが伝わってくるから、甘えを感じさせないのだろう。滅びることなく在り続ける、無前提で無条件の真実こそを真実と呼ぶ非妥協的態度は、ストイックですらある。
こういう歌を聞くと、「ああ、あたしも悪の心を忘れちゃいけないよな…」と思ったりする。
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軽快な疾走感。歌詞の世界は、〈恋〉の切ないときめき、〈幼年期〉の追想、そして〈飛翔、又は解放〉……この三つが結びつき、honeyと重なる主題を持っていると言えるだろう。
恋が幼年期と結びつくというのが、hydeさん独特の感性かも知れない。恋するときめきが日常からの飛翔であるがゆえに翼を持っていた幼年期が蘇るのか。日常へ、常識へと頽落していくことを否定し、空へと沈んでいく自らの浮力を信じる。君に「大人にならないで」とまで言うのは、ちょっとリップ・サービスが入っているかな、とも思わないでもないが……。
しかし、〈大人でないこと〉は、単に〈若さ〉を意味してはいない。ギャルは既に精神のおばさんであり、少女ではあり得ない。70年代のロックならばまだ、大人との断絶を〈新しい人類=ホモ・スペリオール〉としての選民意識へと無邪気に繋げてしまう歌が歌えたかもしれない。だが今では、自らの世代による世界の刷新と、果てしない未来を信じることは、相当に困難だ。
この歌では、時間的な未来への〈水平〉の展望よりむしろ、〈今ここ〉における〈垂直の解放〉を、一瞬ごとに選び取る可能性に希望を見出す。「見なれた未来」や「定められた運命」を拒みながらも、彼自身は「幼い頃に見た朝焼け」を「今も覚えている」と、語らねばならないくらいには、幼年期を過ぎてしまっている。今や、大人でないことは、幼い日の大切な気持ちを覚えていることに他ならない。
幼年期はそれ自体の若さとしてよりも、幼年期を追想する心の透明性において、より純粋な輝きを獲得するようだ。仮にタイムマシンで水平な時間軸を遡り〈あの日の朝焼け〉を見に行ったとして、手に入るものが想い出のみすぼらしさでないという保証はない。追想には、追想にしかない価値があるのだ。
この歌で歌われている「青色」は「空」の青で、そう聞けば十中八九、晴れた青空をイメージするだろう。プロモは晴れた青空の映像だったと思うが、歌詞を聴く限りでは、この青は「夜空」の青という気もする。夜の半球では世界の総てが、濃藍から青の濃淡、そして銀へのグラデーションで描かれる。
青は負った傷をいやし、包み込み、生まれ変わる色だとも言う。世阿弥も語った〈常住初心〉が、この歌の青色の中に見えはしないか……と言うのは、またも言い過ぎか。
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変拍子だ!というだけでプログレの血が騒ぐ、凝った楽曲。70年代だったらたっぷり15分くらいかけて聞かせて貰えただろうに。ちょっと残念。
しかし、こういうのをシングルでリリースするというのもなかなか大胆。
無力な自我は蝕まれて、暴力的な衝動が爆発する。hydeさんの中にも、ジキル博士のハイド氏がいるのだろうか。「Mr. Fear」と名付けられた狂気、破壊衝動が、夜明けとともにやってくる。ただし、これはhoneyで待ち続けていた夜明けではなく、その太陽も透明な輝きではない。禍々しく傷口を抉り、影を焼き付ける。
この歌の自我は最初からもう、まるで子供のように無力だ。ここで言う子供の無力な幼さも、honeyにおける純粋な不可侵性とはかけ離れている。傷付いたがゆえに傷付けることに快楽を覚えてしまう子供。他者と出逢う能力が欠けていたのか、単に巡り合わせが悪かったのか。
こういう無差別な暴力性よりは、どちらかというと滅びに焦れるような破滅の方が、hydeさんには似合う気がするのだけれど、まぁ、暴力性は存在すること自体の宿命でもある。いずれ避けて通るわけには行かない。
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軽快な楽曲、印象的なサビのメロディ。とても透明な爽快感。
基本的にはストレートなラヴ・ソングだ。が、それにしては何やら、やたらと障害が多そうな印象も受ける。道の途中で転んで「深い痛みはとれない」らしいし、「運命」も邪魔するようだし、挙げ句には「この世界が嘘」かも知れないという……これは一大事ではないか!
それでも、この歌でhydeさんは「信じてほしい」と恋人に呼びかける。「この世界が嘘」かも知れないってときに及んで、何を「信じてほしい」のか。普通に考えれば〈僕の君への想い(=愛)〉なんだろうけど、どうも座りがよろしくない。何しろ「世界が嘘」だったら、その中にいる僕も君も嘘なのだ。世界が全部ウソでも、君と僕と二人の愛だけは信じていい……というのでも、もちろん歌にはなる。その場合、信じていい根拠は不明だが、まあ、信じるって無根拠なものよね、とは思う(根拠があるなら、それは信じてるんじゃなく、単に予測してるだけだ)。
さて、この曲のはじめに歌われているのは、「幼い頃」からずっと抱き続けてきた大切な何か、だ。ちょっと「色褪せ」てきてはいるけど、誰も邪魔することのできない「真っ白な壁」に、今でもちゃんと「飾ってある」「その景色」。そして、あなたを連れていこうとしている先で「呼んでる」のもまた、「あの場所」なのだ。「あの場所」とは、「幼い頃」から見ていた例の「景色」に他ならない。子供の頃にははっきりと見えていた純粋な世界。それだけは「信じてほしい」、たとえ今この目に映る「世界が嘘でも」。……そういう歌なんじゃないか。
遠く追想された純粋さが、未来へと遙かに投影される。個人的な幼年期への追想は、はるかに原初の楽園を思い出させる。
さらりと「かわいた風」が吹いているのだから、多少汗をかいても平気、涙が出たって、すぐに乾くだろう。
hydeさんは「限りない夢を」その「両手につかんで」、「あなたを連れてく」と豪語している(珍しく)。両手につかんだ夢が、そのまま彼の翼になってる……というイメージを喚起するのは、楽曲としての成功だ。何度か入る美しいファルセットでの、〈夜明けを待ちながら、僕は飛びたい〉という横文字のフレーズからも、地平線まで拡がっていく大きな翼が見えてくる。
……ああ、もしかしてこの歌を歌っているhydeさんは、明け方の夢の中にいるのかな。翼を失くさなかった魂には、なるほどこの世は生き辛かろう。
(ちなみに、honeyがなかなか強気な【躁】の歌だとすると、【鬱】ヴァージョンにあたるのがSell My Soulか。CDではこの二曲が並んでいるのだけど、まさかhoneyの埋め合わせでもないのだろうが、随分と後ろ向きに、似たようなテーマを歌っている)
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これもうっかり聞いてるとただのラヴ・ソングかと思いそうだけど、やっぱりもう彼女はいない。
いや、もしかするとこの歌の場合、いないのは‘僕’の方かも知れない。恋人を残して死んだ魂の歌ともとれるし。
前に紹介した『winter fall』の、〈僕の中の君の欠片〉というモチーフを発展させたような、〈あなたの中の私のかけら〉の歌らしい。
他者の中に刻印された自分、なのだけれど、どうやら当の「私」は無数の欠片になって散ってしまうイメージ。
散ってしまうんだけれど、それを「はばたいてゆけ」と肯定的に歌ってしまうところがすごい。「私」というもののカタチなど、はじめから永遠でないと分かっている。
この歌が「永遠」を歌うのは、あなたの中に続いてゆく私のかけら=命だ。
遠い海を羽ばたいてひろがっていく無数の欠片を穏やかに見送って、自我を離れていく……うがった見方かなぁ。
でも、この歌の透明感って、やっぱり霧散していく自我のゆえじゃないかな。
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明るくて軽快なラヴ・ソングかな……と思って聞いていると、意表をつかれて実は暗い歌詞を歌ってたりする。どうやら彼女はもういないようだし、よりを戻すには遅すぎるし、本人それを望んでもいないらしい。一人で思い出の場所にいるような歌なんだけれど、これがなかなかに一筋縄ではいかない。
もういない彼女、失ってしまった恋人を、僕は今も僕自身の一部として感じ続けている……そんなイメージがある。彼女の欠片が、自分の一部になっている(これはのちにPiecesで、裏側からの投影を歌われることになる)。確かに君はいた、そして君と出会ったことは僕を変えた、その刻印が僕に残った。
ただ他者と出会う、ということの意味を、失恋で感じているだけならば、何も面倒はない。ちょっと哀しいラヴ・ソングというだけのことになる。
けどこの歌で、hydeさんは「空」に閉じこめられている感覚を歌っている。これは夜の半球の住人にしか実感できない閉塞感じゃなかろうか。うがった見方をすれば、この閉塞感は〈世界との出逢えなさ〉に繋がるかも知れない。基本的に「出逢う能力」を欠いた生き物であるにもかかわらず、否応なく他者と出逢ってしまう瞬間が訪れる。意志も信念も無力な、ただ一方的に訪れてくるだけの瞬間というものが、あるんじゃないか。そんなイメージが拡がる。
出逢えなさと、出逢ってしまったことの刻印が、緊張関係の中で揺らいでいる……そんなラヴ・ソングに聞える。
……けど実は、この歌の最大の魅力は「永遠」を誓わずに「願った」、あのフレーズの切なさに尽きるのだけどね。
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ストレートな歌詞、インパクトのある楽曲。
hydeさんにしては珍しくも……と思わずにはいられない、前向きでストレートなメッセージを歌っている。ベース・ラインも滅茶苦茶かっこよい(ラルクはかっこいいベース・ラインが多い)。
珍しくも……というのは、とても前向きな歌詞だからなんだけれど、ただの元気前向きポジティブ・シンキングでは、当然、ない。
相当なマイナスから出発して、ぎりぎりゼロを越えてプラスに顔を出すという類の前向きさで、エネルギーの絶対量はかなり大きい。
タイトルの「虹」に託されているのは、「誰より高く空へと近付」いて、「輝き」と「光」を集める、頑ななまでの信念のような何かだと思う。遙かな空の高みへと求め続ける何かに、この歌では「真実」という言葉を当てている。hydeさんの詩の世界の中では、かなりストレートな「真実」観が表現されてる歌なんじゃないか。
途中、気分を変えたメロディ・ラインに乗せて、なんつーかこう、“ナイフを握りしめた少年”的な、世界への怒り、純粋さと傷付きやすさが歌われている。しかし、その傷や痛みがそのままでは終わらない。
続く間奏に重なるナレーション、これがとてつもない優しさなんだ。傷付く痛みによってこそ愛が生まれてくる(或いは、それによってしか愛は生まれられない)という、まぁ、言葉にしてしまえば陳腐な話なんだけれど、愛と痛みが数では釣り合わないって言うところがいい。
「一つの傷を癒すには百の愛」が必要だけど、「沢山の傷」を負うことによってしか、愛は生まれてこない。
これは哀しいかも知れないけれど、貴重なことだし、そんな風にして生きていくことが出来るなら、この生も無意味じゃないと思えてくる。
勝ち目のない闘いみたいなんだけれど、闘うことには意味がある。
そういう肯定の仕方って、とても好きだなぁと思う。
愛することが素晴らしい、のではなくて、愛するしかないってことが、素晴らしいんだ、っていうか。
私は……個人的に、愛っていうのは人間にそもそも備わっている属性ではないと思っている。執着とか独占欲なら人間の属性だけどね。
だから、その愛が生まれてくるのが傷や痛みからでしかなく、傷や痛みは生きる限りどうしたって避けられないからこそ、人には愛が可能なんだ、っていうのは、とても分かる気がする。
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強烈なインパクトのある楽曲に、強烈なインパクトのある歌詞。
私のイメージでは、花の下でなのか、花を抱いてなのか、或いは花の種を抱いてなのか、とにかく‘女と心中した’っていう歌なんだけれども、心中しても魂は一つになれないという孤独が感じられるのが、すごくいい。
(もしかしたら心中じゃなくて、死んだ恋人の骸を、誰にも邪魔されない場所まで運んでいっただけなのかも知れないけど)
二人の肉体は土に還り一つになっていくんだけど、それを上から見ている魂は、相変わらず深い孤独の中にあるらしい。
土に還って花が咲く、そうやって生まれ変わって今度こそ一つになる……というイメージ、にもかかわらず、この孤独感。
二人の恋を永遠にしようとしてたのに、永遠になったのは孤独の方だった、みたいな、世界を裏切ったがゆえに世界に裏切られるところまで行き着いたような、透徹した孤独を見て取るのは、ちょっとうがった見方が過ぎるだろうか。
とにかく「永遠の恋」への絶望的な試みは、皮肉な孤独へと頓挫する。けど、それを頓挫として愚痴るのではなく、そういうものとして受けて立つ潔さが、いっそ心地良い。
この歌の中でも特に素晴らしい一行は、詩的なイメージの連鎖になっている。
「狂い咲いた」「咲いた夜」「夜に眠れぬ」「眠れぬ魂」「魂の旋律」……。
お能の詞章を見るような、無意識を刺激される感動がある。
そもそも、死んだ魂が語っているかのようなこの歌詞の世界自体、夢幻能の語りにとても似ている。
もう一つ目を引くのは、「永遠の恋」と「欠けた月」が一つのフレーズの中に結びついているところだ。
恋心を移ろいやすい月になんか結び付けたりしちゃいけないと、ジュリエットちゃんも言っているのにもかかわらず、だ。
しかもご丁寧に、満月ですらない「欠けた」月を持ってくる。
一面では、“月よ、お前は夜毎満ち欠けしながら巡り続けるだけだが、見ろ、おれ達の恋は永遠に変わらないのだーっ”とも解釈できないではないが、どうなんだろう?
イメージ優先で捉えるなら、やっぱり、永遠の恋を映しているのが欠けた月なのであって、永遠は決して時間的な永続なんかではない、ということの方が、ぴったりくる。
永遠があることを否定はせずに、その永遠が、人に、この世界に現われるときは、一瞬の儚さの中でしか実現しないという感覚があるんじゃないだろうか。
これもうがった見方かな。
ところで、ここで歌われている「花」は白いのか紅いのか?
「滴は紅」なんだから、花は白い方が絵になるかと思う。真っ白な花に滴る血。
hydeさんはどんな花をイメージしているのだろうか。樹に咲く花か、草花か。
とにかく、これはラルクがいなければ現世に形をとって生まれてくることはなかっただろう一曲。この歌をもとに新作能が作れたらいいだろうな、と妄想は尽きない。
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L’Arc~en~Cielの詞の世界
と、その他の歌(…David Bowie)。
hyde氏的懐疑は、この世の 〈夜の半球〉 の生まれに違いない…
普通ならば「永遠を誓」っちゃいそうなところを
「僕は永遠を願った」と歌い、
「何が愛なのか なにがxxxxか わからない…」とくれば、
十中八九「xxxx」には「真実」を入れそうなところ、
「なにが嘘なのか」と歌う。
逆立ちを二回して、世界の裏側を見てしまうような…
…hyde氏的懐疑のこと。
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