創作

July 28, 2016

鳩が死ぬ

今宵一羽の鳩が死ぬ
暮れゆく街で声もなく
名もないただの鳥なのに
弱さは罪と咎められ
力が足りぬと蔑まれ
広場を追われ 石投げられて
翼は折れて 脚挫かれて
力振り絞り 首をもたげた
最後の時まで 小さな空を見上げていたよ
空には自由があったのかい
今は届かぬ希望にも似た
お前の大切な何かがそこにあったのかい

今日も一羽の鳩が死ぬ
凍える朝の片隅で
助けを求め鳴いたのに
その叫びさえ咎められ
耳障りだと憎まれて
広場を追われ 石投げられて
翼は折れて 脚挫かれて
力振り絞り 首をもたげた
最後の時まで 小さな空を見上げていたよ
空には仲間があったのかい
失くして返らぬ信頼に似た
お前の大切な何かがそこにあったのかい

今日また一羽鳩が死ぬ
祭の歌に背を向けて
オリーブの枝くわえてた
ただそれだけで咎められ
平和のしるしを疎まれて
広場を追われ 石投げられて
翼は折れて 脚挫かれて
力振り絞り 首をもたげた
最後の時まで 小さな空を見上げていたよ
空には光があったのかい
捨てられてゆく理想にも似た
お前の大切な何かがそこにあったのかい

ほらまた一羽鳩が死ぬ
心の中で鳩が死ぬ

「鳩に石を投げろと教えたのは誰…?」

revised on 19/10/2016

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July 21, 2013

髑髏流転

私は気楽なしゃれこうべ
愉快な白いしゃれこうべ
肉のあるときゃ悩みもしたが
今じゃ空っぽ吹き曝し
何の留まることもない
私は気楽なしゃれこうべ

私は綺麗なしゃれこうべ
波打ち際のしゃれこうべ
日ごと夜ごとに波打たれ
月夜は銀に光りだす
おいでヤドカリ 私の眼窩を潜っておくれ
私は綺麗なしゃれこうべ

ある日嵐がやって来て
砂が逆巻く波の中
沖へ沖へと流されて
ビニールからめ鰯の渦へ
ぐるぐる踊る海の泡
なんて愉快なしゃれこうべ

やがて沈んだ海の底
蛸を住まわすしゃれこうべ
肉があっては役には立たぬ
すっからかんのくーらくら
一盃分の安らかさ
蛸を住まわすしゃれこうべ

網にかかったしゃれこうべ
引き上げられるしゃれこうべ
主人の蛸は大慌て
腕をくねらせ逃げて行く
さらばおさらばお達者で
引き上げられるしゃれこうべ

陸にあがったしゃれこうべ
手を合わされてしゃれこうべ
何の因果か気の毒がられ
ぽくぽく登る山寺へ
経に供物に花に水
手を合わされるしゃれこうべ

ずらり並んだしゃれこうべ
珍しくもないしゃれこうべ
今じゃ静かな納骨堂
無縁仏の仲間入り
私は誰のしゃれこうべ
どれが私のしゃれこうべ

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May 23, 2013

ピンクのにあう王様 (または薔薇の値段の話)

 その王様は若くて美しく、一目見ればみんな好きになってしまうよと、王様を見た人誰もが言いました。ちょっと首をかしげて微笑まれるお姿は、咲きこぼれる満開の果樹園のよう、ふと目を伏せる思わしげな横顔は、胸痛むほど静かな星空のようでした。

 宮廷の臣下たちは王様がお出ましになると、もう何だか訳もなく我が身が恥ずかしくなって、頬を赤らめ、胸の鼓動は早まり、王様のためなら何だってしたいと、世にもまれなこの王の栄光を、どうやって広く知らしめ、永遠にするか、知恵を絞るのを惜しみませんでした。

 貴婦人や乙女たちはもちろん例外なく王様に恋をしていました。恋心を顕わに群れはしゃぐものばかりではありませんでしたが、ひっそりと秘めて思うご婦人も、口では皮肉を言うご令嬢だって、本当は王様が好きで好きでたまりませんでした。

 そんな貴婦人や乙女たちに恋心を抱く紳士たちは、困ったことと王を小憎らしく思わぬでもないながら、自分だって本当は、王様が大好きなことにかわりはありませんでした。王様に焦がれるもの同士、案外上手くいくカップルも多くありました。

 王様のお姿をじかに見る機会など滅多にない民たちだって、王様が大好きでした。花の祭りの行列で手をふり微笑まれる王様を直に見たものはもちろん、その姿を描いた絵や、詩や、歌や、物語を通して、国中の民が王様に恋いこがれ、恋い慕うようになっていったのです。

 王様にはピンクがよく似合いました。祭りのご衣装はピンクのサテンにレースとモール、宝石と真珠、ビーズと刺繍とで、丹精凝らして飾られました。王様は人に喜ばれるのが大好きでしたので、この世のものとも思えぬ美しいご衣装を着て、ピンクの薔薇で飾り立てた御輿の上に立ち上がり、あちらにも、こちらにも向けて手をお振りになりました。祭りの御輿で立ち上がられたのは、この王様が初めてでした。集まった人々は日々の苦労も辛いさだめも忘れ、熱に浮かされたように王様を讃えて声を張り上げました。

 王様は皆を喜ばそうと、毎年の祭りの行列に、いろいろの趣向を凝らされました。神話の英雄の扮装をなさったり、御輿の下に隠したたくさんの白い鳩を飛ばしたり、一幕の無言劇を演じて下さることもありました。御輿の上に泉を作り、本物の白鳥を浮かべたりもなさいました。ある年には、酒場のように仕立てた御輿の上で、王様はしどけなく酔ったようなお姿で皆の前に現れました。別の年には、夢のように美しく作り込まれた一角獣の作り物と共に、女神の扮装すらなさいました。まことの女神もかくやと思われるほど美しかったのですが、女神にしてはどうにも艶めかしく、どこか退廃的で、それがまた余計に人々の心を揺さぶったのです。いつの年も人々は息を呑んだり、熱狂したりして、王様に夢中になりました。

 そんなお姿を描いた絵や版画は、国中で飛ぶように売れました。詩人は王様に詩を捧げ、特に出来のよいものは国中で人々の唇にのぼりました。歌や物語はあちこちで演じられ、どこでも大いに賑わいました。芸術家たちは霊感にも収入にも事欠くことはなくなりました。

 王様の趣向は必ず国中のはやりになりました。人々は白い鳩を飼い始めたり、白鳥や一角獣の人形を部屋に飾ったり、大いに酒を飲んだりしました……が、さすがに酔っぱらいが増えて困ったことになると、お酒は三杯までとお触れが出されることもありました。

 王様が髪粉で髪をピンクに染めることを思い付かれると、宮廷に命じられた薬剤師の組合は、大いに発憤し、王様の御髪が痛まぬよう、またより鮮やかに発色するよう、研究と工夫を重ねました。このときの研究のおかげでとても上質な髪粉が作れるようになり、遠い国々にまで大いに珍重されるようになりました。

 王様が無花果のパンがお好きだと聞けば、金持ちもそうでないものも、無花果のパンを買いに走りました。貧乏人もなけなしの稼ぎを出し合って無花果のパンを買い、皆で分け合ってほんの一口、食べてみずにはいられませんでした。どこそこのワイン、菓子、織物やリボン、首飾り……王様のうわさ話一つで、いろいろなものが流行り、いろいろな商売が大もうけしました。

 でも、何と言っても王様にはピンクの薔薇がつきものでした。人々は争って薔薇の花を買い求め、部屋に飾り、髪に胸に飾り、庭に植えました。農家はたくさんの薔薇を育て、工夫を凝らして、美しい薔薇を王様に捧げようと努力しました。そのおかげでこの国の薔薇は次第に有名になり、外国からたくさんの買い手がやってくるようになりました。しまいには、薔薇の苗一本に、家一軒分の値が付くことすらあったのです。

 王様のおかげで国は富み栄えました。大金持ちになるものもありましたし、そうでないものにも何かしら仕事はありました。病に苦しむ人や辛い労働をする者たちだって、王様の絵を見、歌を聴くときには、夢見心地になれました。本当に幸福な、夢見心地の時代でした。

 王様は美しく年を重ねていかれました。白い額に宿る少年のきらめきこそ失せたとはいえ、その眼差し、ほほえみ、貴婦人のごとき白い指先は、ますます魅力を増していくのでした。

 廷臣たちは有頂天で、ある日集まって相談することには、今後、王が歩かれるときはいつも、薔薇の花びらを敷いた通り道をつくること、と決めました。王様は、本当はちょっと窮屈になるなとお思いでしたが、いつも尽くしてくれる臣下たちを喜ばせたくて、なるべく無理のない経路で移動するよう工夫なさいました。

 日ごと年ごとますます多くの薔薇が植えられ、絵が描かれ、詩が紡がれ、歌が歌われ、物語が語られ、多くの夢が人々の心を…ついでに多くの人の懐を…満たしました。こうして語っている私だって、王様の話ならいつまででも言葉を紡いでいたいのですが、何ごとにも終わりというものはやって来るのです。

 その年の祭り、王様は王様の格好をなさいました。つまり御輿に玉座を据え、王冠をかぶり王笏を手にしておられたのですが、もちろんどれも祭りのために作られたものでした。御輿の玉座は、王宮にある本物の玉座より、もっと美的に誇張されたデザインで、濃淡とりどりのピンクの薔薇とクッションで埋まっていましたし、王冠もピンクのサテンを張ったもので、王様はそれを気怠げな風情で斜めにかぶっておられました。王笏はつややかなピンク色に塗り上げてあり、まるで本当に薔薇の花が咲き出ているかのように細工されていました。御輿に裾を広げる大きなマントを……このマントについてだけでも長い詩が書けるほど素晴らしく作り上げられた芸術品でしたが……ともかくそれを一方の肩にはおり、その下には、肌の透けるレースの衣装をおめしになっておられました。もちろんご衣装の全てはピンク色です。

 そうして玉座で足を組んだり、組み替えたり、頰杖を付いたりしながら、書簡を読んだり、サインをしたりして王を演じたあとには、いつものように立ち上がって、群衆に手をお振りになりました。
 奇抜な趣向に吃驚させられ続けてきた人々の目には、これはこれで、かえって新鮮にうつりましたし、何よりも王様が、王としてこんなに素晴らしく美しいということが、人々の喜びでした。

 降り注ぐ花びらと人々の歓声の中、王様の御輿はゆっくりと進んでいきました。そして運命の四つ辻に進み出ていったのです。

 レースの手袋に包まれた美しい御手を上げ、人々の歓声にこたえていた王様の胸に、一本の矢が飛んできて、深く突き刺さりました。

 人々は息を呑み、声を上げるものは誰もありませんでした。
 
 王様は手を高く上げたまま、御自分の胸に視線を落とされました。胸に刺さった矢はピンクに塗られ、矢羽根はピンクに染められていました。王様はそれをご覧になって、少しほほえみ、矢の飛んできた方に目をお向けになりました。

 通り沿いの屋根の上で、一人の少年が弓を手に震え、頬は涙で濡れていました。
 祭りの晴れ着に身を包んだ少年の胸と、手にした弓には、ピンクの薔薇が飾られていました。

 王様はゆっくりと手を振り、少年に挨拶を送ったかと思うと、次の瞬間、薔薇に埋もれた玉座の中へとくずおれていかれたのです。

 これが「王様の趣向」であったらと、一縷の望みをかけていた群衆は、悲鳴と怒号の中、初めて知ったのです。何もかもピンクに飾られた御輿の中、ただ王様のお胸から吹き出す血潮だけは、皆と同じ真っ赤な色なのだということを。

 そののちの日々のあれこれについて語るのはやめにしましょう。悲嘆に暮れた人々の混乱も、王の葬列も、まして矢を射た少年に下された、美しく残酷な刑罰のことなど、今はとても語りたくありません。

 ……薔薇の値段は大暴落しました。

 それでも、王様に見ていた夢の他、この国に残ったのはピンクの薔薇畑ばかりだったのです。

                                                           (おわり)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
挿し絵代わりに…お嫌いでなければ、ピンクのにあうジュリーをどうぞ(^_^)
    お話のクライマックスのイメージと重なります(*^_^*)


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October 19, 2011

動物たちの夢と、言葉が降りてくること

 カバやゾウや、いろんな動物が商店街を抜け坂道を登っていく夢を見た。
 人も動物も、てんでに何かから避難していく。
 悲しくもなく、恐怖もなく、淡々と、少し切ないだけ。避難が間に合うかどうか(未来)を気にかけていないから、ここまで来れた、良かったなぁと、歩み続けるだけ。

 夢の中のゾウはお尻の左側がえぐれていた。飼育員らしきおじさんが、明日までは生きられないと言った。
 それでも、ここまで来れて良かったなぁと私は思った。
 坂道を登り切っても、見える風景がサバンナでないことに思い至ったのは目が覚めてから。

 でもそれは人の思うべきこと。ゾウは気にすまい。

 動物たちは「今」だけを生きてるのかな、動物たちの時間ってそんな風かな、と思わされた夢。
 今を生きる、生ききるって、そんな感じかな、と。

 「若くして死んだから彼は不幸だった、とは言うなかれ」と、白血病で逝った友人も書き残していた。
 彼も病を生ききった。
 動物たちと違って、人間には運命との和解が必要だけど、辿り着くところはそう違わないのかも知れない。


 白血病を得た友人が、確か2度目の骨髄移植手術を受けると知らせを受けたとき。
 「彼のために祈って下さい」との、知らせてくれた後輩の言葉に対し、私は「もちろん」と答えて電話を切った。

 だが、祈る言葉が見つからなかった。

 「彼の病気を治して下さい」では違うし、「御旨のなりますように」でも冷たすぎる。
 短気な私は、「じゃあどう祈ればいいんですか!」と神に怒った。

 すぐに言葉が降りてきた。

 「彼が為すべきことを為し、一番大切なたった一つを得ることが出来ますように」

 聖書のマリアとマルタの話は知っていたけれど、one thing needfulという言い回しは、その時私はまだ知らなかった。

 そんな風に言葉は降りる。
 今ここで、剥き出しで生きるときには。

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December 07, 2010

なくした半分

 ある森に、一羽の鳩がいました。

 ちっぽけな、取るに足らぬ鳥でした。
 森に住む鳥たち、獣たちの誰も、鳩のことを気にかけはしません。
 でもそれを気に病むこともありませんでした。

 鳩には秘密の宝物があったのです。

 巣の中に、一粒の美しいサファイアを持っていたのです。
 それが何処から来たものかは、今は問いますまい。
 ただ確かに、そこにあったのです。
 この秘密だけが特別なことでした。
 巣の中にサファイアを持つことが、特別でないはずがありません。
 
 けれどある日、災厄がやってきて、森の半分が焼けてしまいました。
 鳩の巣も、巣をかけていた木も焼け落ちました。
 炎の中でサファイアは砕けました。

 森の半分は残りましたが、世界の半分が失われたようでした。

 目からは涙も零れません。
 涙はきっと、ほかの美しいもの、良きものと一緒に、失われた世界の半分にあったのでしょう。
 二度と帰らぬものたちを、忘れることも出来ないでしょう。

 鳩は残された木に巣をかけ直しました。
 けれど砕け散ったサファイアの欠けらを探し出し、拾い集める気力は、もうどこにも残っていませんでした。
 本当にもう、ちっぽけな、取るに足らぬ鳥になってしまったと、鳩だけが知っていました。

 これからは、サファイアを抱くかわりに、それを失くした痛みを、巣の中に抱いて生きていくでしょう。
 サファイアは砕けて無くなりましたが、痛みはなくなることがないでしょう。
 それなら、サファイアより痛みの方が、もっと永遠に近い分、貴いのかも知れません。

 痛みが貴くないのなら、誰も生きてはいけないでしょう。

revised on 19/10/2016

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April 19, 2010

湖の魔女

銀のネジ 金の歯車 音もなく ラピスラズリの 天球回す

 とても美しい、けれど作り物の夜空の下に、一人の魔女が閉じこめられていました。
 魔女は終わりのない夜の中で、出口を探し続けていました。

森の奥 湖水を滑る魔女の杖 飛沫よ歌え 夜の秘密を

 魔女の杖で波立った湖面から、銀色のしぶきが舞い上がり、かすかな歌が響きました。

静寂の水面揺らすは 愚かなり 己を知らぬ 湖の魔女

 湖は魔女に答えてはくれません。
 魔女はがっくりとうなだれ、更に森の奥深くさまよいました。

 森の深くには苔むした一つの井戸がありました。

石を投げ 遠く水音 聴きながら 井戸なお深く 汲む物もなし

 沈めるべきが石ころでないことは、魔女にも分かりはじめていました。

水底へ 波音一つ立てぬよう 波紋一つも残さぬように

 魔女は自らを沈め、真理を浮かび上がらせる以外、何も出来はしないのです。

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February 14, 2010

女性談義

 ある夜、男ばかり四人が集まって酒を酌み交わしていた。古くからの知り合いで気心は知れていたし、酒も入り、話は自然と女性談義へと向いていった。
 現在の境遇は四人それぞれにずいぶんと違ってしまったが、この手の話となれば気持ちはすうっと若い頃に立ち戻ってしまう。

 一人の男が口を開いた。俺は本物の女がいい、と。春の陽射しのように明るく、朗らかで、母性に溢れる本物の女が理想だというのだ。言外にあるのは、小生意気な女などいらぬということだったが、他の三人はそれもよく分かっており、敢えて口に出す者はいなかった。
 男たちの一人はそこで、こんな歌を詠んだ。

  肥沃なる大地潤したゆとうて水面は映す春の爛漫

 先の男は頷いて、それこそが本物の女だよと言った。
 昔からそうだったのだが、この男は、自分の価値観が世間の常識そのものだと信じて疑ったことがない。正直だし、素直で単純な男で、悪い奴ではないのだが、ふと押しつけがましかったり、無神経だったりすることもある。女心になど疎く、どこか独りよがりなせいか、仕事も充実して殊更に欠点というのもない割に、女性と付き合っても長続きしたことがない。
 古い友人らはその原因がどこにあるか、この男に指摘してやったことも昔はあった。しかし彼には、何を言われているのか、その意味がまるで理解できないのだ。自分こそが一番正しい常識を体現していると信じている男には……いや、しかし他の三人が、少々常識から外れているということも、あながち否定しきれるわけではない。

 別の男がふと呟いた。可愛い女が良いよ、と。無邪気で、悪戯で、抱きしめたいけど触れたら壊れてしまうんじゃないかと思うような、可愛い女がいいよ、と。
 この男には事情があった。十代の頃に好きだった女に死なれているのだ。正確には初恋とは言えないのだが、初めての真剣な恋だったには違いない。少年特有の意地で些細な理由から連絡を絶っているうちに、彼女は速やかに逝ってしまった。あまりに大きな苦しみのために、男はその時から、自分が実際の年齢よりひどく年をとってしまったという感覚を持ち続けている。歳月は流れ、それももう遠い、古い話になってしまったが、今も男の肩先には、何か寂しげな刻印が残り、ふとした拍子に心の一部分を過去へと繋ぎ止めてしまう。そして男は、目の前にいる女よりも過去の女をより愛しているのではないかという自分への疑いから、一歩踏み込むことのできない消極性が、もう芯から身に付いてしまっているのだった。
 初恋をなぞるような、ためらいがちな男の愛情を知る友人は、今度はこんな歌を詠んだ。

   木漏れ日に戯る児らの髪飾り触れるさきより花は零れる

 ああ、そうだね、と男は頷いた。そしてそれきり何も言わず、心は喪失の中に佇む。

 そんな空気を振り払おうとしてか、もう一人の男が吐き捨てるように言った。俺は高嶺の花がいい。絶対に手の届かない、絶対に俺なんかを必要としてはくれない、高嶺の花がいいんだ、と。
 この男は四人の中で、一番世間から外れてしまった境遇にある。一時はエリートの高給取りだったこともあり、彼らの中で一人だけ、結婚もしていた。しかしトラブルを起こして職を失ってからは、妻子にも去られ、今では怪しげな仕事で糊口を凌いでいるらしい。草臥れたシャツを着て、現在の惨めさを隠そうという気すら失って、半ば楽しむように開き直っている。
 そんな男が夢見る高嶺の花に思いを馳せながら、彼の友人は歌を詠んだ。

   肌を刺す夜明けの大気張り詰めて露置く花は凛と気高し

 無精髭の生えた頬を僅かに歪めて俯く男に、春爛漫の歌の男が、不満そうに呟いた。観賞用ならいいけどな、そんな女は、自分のものにはならないだろうに、と。高嶺の花の男は仕方なさそうに答える。嫁探ししてるんじゃないんだよ、理想の女の話さ、遠くから見てるだけでいいんだ。爛漫の男には、その意味すら分からない。

 先刻より歌を詠んでいた男が、静かに口を開く。どんな女だって、皆、好きになった男の腕の中で、命を燃やすのじゃないかね、と。
 そしてこんな歌を詠んだ。

  真夜中にただ音もなく香るらし花一輪の秘めし命は

 昔から何ごともそつなくこなし、女に不自由したことのない男だった。さりとて、やはり長続きはしない。本気と受け止めてもらえずに、美しい女たちが通り過ぎてゆくだけだ。一人の女をというより、女そのものを愛しているような男は、恋人にも、まして夫には、更に向かないだろう。
 男は言った。春の爛漫が、木漏れ日の花飾りが、そして夜明けの露置く花が、この腕の中で命を燃やし香り立つ様を思えば、ゾクゾクするじゃないか。
 男たちはそれぞれの理想の女に思いを馳せ、笑みを浮かべた。


 この話を私にしてくれたのは、歌詠みの男だが、私はつい、彼に聞いてしまった。私のために歌を詠んではくれないのかと。彼は当然のように答えた。真夜中の一輪の花は、君のことを詠った歌だよ、と。

 私はこの男が嘘つきなのを、よく知っている。
                                                          (了)

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May 16, 2009

ゆうべ見た夢 --天使の涙

 こんな夢を見た。


 天使が泣くと、零れ落ちた涙はサファイヤになるのですが、これを拾った男が宝石屋に売りに行きました。

 けれどここは天使の街。天使の涙は珍しくもないありふれた品ですので、とても値段など付かないよと断られてしまいました。

 見れば、宝石店とは名ばかり、どう見ても土産物屋といった風情で、店の前のワゴンには、各種とり揃えた天使の涙が山積みになっているのです。
 表通りを大勢の天使たちが行き交い、天使の涙など売るほどもあるのです。

 それでやっと男も、その拾った天使の涙を落とし主に返す気になりました。

 落とし主はずっと男の後についてきて、返してくれと言を尽くして頼み続けていたのです。

 やっと取り戻した天使の涙を陽にかざし、落とし主もまた涙を流しました。

 ありふれた天使の涙でも、その人にとってはかけがえのない品でした。

 それはあの天使が自分のために流してくれた涙で、スターサファイヤの真ん中には、天使の心が煌めいているのです。

 天使は憐れんで、人ゆえに落涙するのでしょう。

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February 06, 2009

25番目の奴隷

 奇妙な夢を見た。

 ある男が、十字架を背負って運ぶ役の25人のうち、25番目に選ばれてしまった。
 男は他の24人の後について引き立てられていく。
 道沿いの左手の高台に、その十字架にかけられる予定の罪人たちがさらされている。
 二人の盗賊と、一人のナザレ人だ。
 男は彼らを見上げながら、道を行きすぎていく。
 男は彼に与えられた役割の重さを少しも知らない。

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October 03, 2008

ムームーの長いお散歩 --ハンマーを持った少年のお話

 ムームーの本当の名前は「ムー」ですが、みんながこの子を「ムームー」と呼びます。

 ある日ムームーは散歩の途中、小さな入り口を見つけました。
 小さな建物のはじっこにあいた、小さな入り口です。
 入り口には扉がありません。
 (きっと素敵なことがあるに違いないわ!)とムームーは思いました。
 入り口の向こうには、地下へと降りる階段がありました。ムームーはその薄暗い階段を、わくわくしながら下りていきました。

 階段の下は、薄暗い小さな部屋でした。天井近くの小さな窓から、かすかな明かりが差し込んでいます。
 ムームーは目をこらして、部屋の中を見回しました。
 部屋のすみっこに一人の少年がいました。
 少年は膝を抱えて座り込み、ギョロッとした目でムームーを見上げていました。
 ムームーは少年にあいさつしました。
「あたしムームー。よろしく」
「……」
 少年は黙ったままでした。ムームーは続けます。
「本当はムーっていうんだけど、みんなムームーって呼ぶの」
「……」
 少年は何も言いません。ムームーはさらに続けます。
「あんたと友達になりに来たのよ」
「……」
 少年はまだ黙っています。
「ちょっと聞きたいんだけど、あんた、ここで何してるの?」
 すると少年は、ようやく口を開きました。
「……人を叩かないようにしてるんだ」
 少年の声が聞けたので、ムームーはうれしくなりました。
「それは素敵ね。人を叩かないって、あたし、いいと思うわ」
 それからちょっと首をかしげて、ムームーは少年にたずねました。
「人を叩かないのはいいけど、あんたはここで座ってなきゃいけないの? ここが好き?」
「特別好きじゃないさ。でも、ここにいなきゃダメなんだ」
「なぜ?」
「ぼくにはハンマーしかないからだよ」
 少年は右手に握ったハンマーを見せました。
「ふぅん」
 ムームーはちょっと足を交差させ、両手を頭の後ろで組みました。
「ハンマーしかないと、どうなるの?」
 少年は悲しそうにムームーを見上げました。
「ぼくにはハンマーしかないから、見えるもの全部がクギみたいに思えてきちゃうんだ」
 少年の顔は本当に悲しそうでした。見ているムームーも悲しくなってくるほどでした。
「あら、まぁ……そうなの?」
「そうなんだ。朝食のトーストもクギみたいに思えて叩きつぶしちゃったし、ミルクティーのカップもクギに思えたからたたき割っちゃった。もちろん、ゆで卵も」
「あら、まぁ……それで、怒られなかった?」
「怒ってる母さんがクギみたいに思えてきたんだ。だから慌ててうちを飛び出して来たんだよ」
「そう。大変だったね」
「うん。大変さ。……兄さんにはピッケルがあるのに、ぼくにはハンマーしかないからね」
「へぇ……まぁ、ピッケルって、いいよね」
「ピッケルはいいよ。ピッケルがあるから、兄さんは山登りが出来るんだ」
「そっか、ピッケルなら、山登りできるよね」
「うん」
 ムームーは少年のとなりに座ってみようかな、と思いました。
 けれどムームーが一歩、歩き出そうとすると、少年が大きな声で叫びました。
「だめだ! こっちに来ちゃだめだよ! ぼくにはハンマーしかないから、きみのこともクギだと思っちゃうじゃないか。それ以上こっちに来ちゃいけないよ」
「ああ、うん、行かないよ。……でもあんた、あたしのことクギみたいだと思う?」
「わかんないよ。暗くてあんまりよく見えないし。でもよく見たらきっとクギだと思っちゃうさ」
「そうなんだ」
 少年の手は、しっかりとハンマーを握りしめています。
 ムームーはあらためて、両手を頭の後ろで組みました。何か考え事をしたり、深く思ったりするとき、ムームーはいつもそうするのです。
 すると、ある考えがムームーの心に浮かんできました。ムームーはにっこり笑って少年に言いました。
「ねぇ、あたし、素敵なこと思いついちゃった」
「素敵なこと?」
「うん。きっと素敵だと思う」
「どんなこと?」
「あのね、こんなのどう? まず、あんたはハンマーを床に置いて、握ってる指をそーっと開いてみるの。それから立ち上がって、こっちに歩いてきて、あんたはあたしと握手するの。どう? 素敵じゃない?」
 少年はびっくりしてムームーを見つめていました。ムームーはにっこり笑って頷きました。
 少年は、ゆっくり、ハンマーを床に置きました。
 それからハンマーを握っている指を、そーっと、まずは親指、次に人さし指、中指……と開いていきました。
 少年はますますびっくりした顔で、何も握ってない自分の手を見ました。それからその手を目の高さまで上げたので、ムームーは片手を振って見せました。
 少年は静かに立ち上がり、からっぽになった手を前に突き出したまま、一歩、また一歩、ムームーの方へと歩いていきました。
 少年が手の届くところまで来ると、ムームーはしっかりその手を握って、二人は握手をしたのでした。
「ほらね? やっぱり素敵じゃない?」
「うん……すごいや。これで昼ご飯までにうちに帰れるよ。お腹ぺこぺこなんだ」
「朝ごはん食べそこねたんだもんね」
 少年は頷いて、ニコニコしていました。
 ふと、ムームーが思いついたように言いました。
「ねぇ、あのハンマーだけど」
「うん」
「持ってってもいいんじゃない?」
「そうかな……」
「だってほら、クギと板を探せば、木の上に秘密基地が作れるし」
「そうか! そうだよね! 秘密基地とか、犬小屋とか!」
 少年はハンマーを拾い、ベルトに挟みました。
 それから二人は一緒に階段を上って、小さな出口をくぐり、地上に出ました。
「うわぁ、まぶしいや」
 少年はそういって目を細めました。
「ありがとう、ムームー。ぼくはジャン。でも、もし君がそう呼びたければ、ジャンジャンでもいいよ」
「そうね……『ジャン』と『ジャンジャン』、どっちが素敵な呼び方か、今度あうときまでに考えとくわ」
「うん」
「じゃあね」
「じゃあ、また」
 二人はたがいに手をふって、別々の道へと歩いていきました。

 ムームーはまだ散歩の途中です。
 ムームーのお散歩は、いつもとても長いお散歩なのです。

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