映画・テレビ

June 28, 2010

『史的システムとしての資本主義』など


 手元にあるのは岩波現代選書の方だったけど、新版が出てるようですね。
 具体的な歴史叙述はなく、理論的な枠組みをコンパクトにまとめた本。そのため、「あ、いよいよ面白い話になってきた!!」と思うと次の話題に行ってしまう、というのを全編で繰り返すことに。もっと面白い話が読みたければ大著の方に手を出せということか……
 訳者あとがきの最後のページに、ふと見たような文字で古い日付が書き込まれていました。
 11 avril '85
 てっきりダンナが買った本だと思ってたけど、どうやら亡き父の蔵書だったようです。読み終わると日付書き込んでたんですよね、あの人。こんな面白い本に出会えてたんだなぁ、良かったなぁ、と。四半世紀を経て、不思議な邂逅です。

 あと、NHKでやってた「ハーバード白熱教室」をちょくちょく見てたんですが、これも面白かった。正義とは、善とは、倫理とは、というようなテーマで、身近な実例にかんして学生の意見を聞くかたちで授業を進めていきます。さすがというか、学生たちの受け答えもはきはきと論理的。反対意見を募ってもすぐに手が上がる。マイケル・サンデル教授は対立点をメタ化したりフレームワークをずらしたり、みごとな船頭っぷりです。ロールズの前段としては、ほとんどアリストテレスとカントぐらいしか扱ってないんだけど、しっかり政治哲学してる。
 最終回もなかなか感動的だったんですけど、私は何とも言えない「鼻持ちならなさ」も感じました。さあこれでハーバード卒業生として恥ずかしくない議論の土台を身につけられただろう?これが正しい議論の枠組みでありルールだよ、みたいな。知的誠実さとは別種の、サービス産業としての商品性の高さ。
 それでウォーラーステインをぱらぱらと読み返してみると、こんな記述がありました。


 普遍主義の基本は、……世界にかんして普遍的かつ恒久的に正しい、何か意味のある一般論が出来るという信念にある。さらに言えば、すべてのいわゆる主観的な要素を--つまりすべての歴史的に制約された要素を--排除したかたちで、一般的公式を追い求めるのが科学の目的だとする立場である。
 普遍主義への信奉こそは、史的システムとしての資本主義が組み上げたイデオロギーのアーチの頂点に置かれた要の石であった。……このイデオロギーの製造工場となり、この信仰の神殿となったのが大学であった。ハーヴァード大学はその紋章を「真理veritas」という言葉で飾っている。一方では、絶対的真理などというものは決して知りえないのだとつねに言われており、このことこそが近代科学を中世の神学から区別するゆえんだとされながら、他方では、真理の探究こそが大学の存在理由であり、もっと広くいうと、すべての知的活動の存在理由なのだとも、たえず主張し続けられてきたのである。……アメリカで市民的自由を政治的に正当化するために好んで用いられてきた論法は、「思想を自由に交換できる場」が保証され、その場を利用して交流が行われた結果としてでなければ、真理などというものは認識できないのだ、というものである。

 ハーバード的真理以外を真理から除外しておきながら、イスラムと対話するための土台というスキルを提供しちゃってる感じがしたのかも知れないですね。とてもためになる、いい授業でしたが。

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December 14, 2007

イマジンがいっぱい☆

 グッズに手を出すヲタにだけはなるまいと思っていたのだけど……今年の仮面ライダーはイマジン(いわゆる怪人、しかも味方側についた裏切り者たち)が可愛すぎっ!!
 クリスマスツリーに飾り付けてみました☆
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 スウィングEXのイマジンsと、あと、実はちびボイスのモモタロスも買ってしまった。う~ん、大人買い。大人になって良かった~。
 って言うか、フィギュア屋さん、女の客なんて私だけでしたよ。しかもたぶん最年長。すごく丁寧に、手を包まれるようにしてお釣りを渡されましたよ。ええ、私、ものすごく浮いてたんだけど……外人客も2人いて、彼らも陽気なノリが浮いてたっちゃあ浮いてたし、まぁいいか。
 今年のライダーの肝は、主人公が弱いってこと。腕力では絶対かなわないくせに、心だけはちゃんとヒーローで、実は根性あって頑固で、言い訳しなくて。「僕に出来ることをするだけ」ってのが、泣かせるのよ。
 あと五回で終わっちゃうなんて……次週が楽しみだけど、最終回来るなーっっていう、切ない気持ちになるのがこの時期です。
 平成ライダーシリーズの中でクウガは別格としても、結構好きな555やブレイドよりも今年の電王がお気に入りかも知れない。
 んー、スウィングEXはゼロノスのアルタイルフォームと電王のてんこ盛りフォームもゲットすべきか……

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January 24, 2007

アメリカが動いたっぽい

アメリカ、やるときゃあやる……っぽい。

↓ http://www.47news.jp/CN/200701/CN2007012301000202.html
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温暖化ガスの削減要望
GEなど米主要10社
2007年01月23日 11:06 【共同通信】

 【ワシントン22日共同】電機大手ゼネラル・エレクトリック(GE)など米国の主要企業10社と環境保護4団体は22日、地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出削減を企業などに義務付けるよう連邦議会とブッシュ大統領に求めた。

 削減義務化を求めたのはGEのほか、化学大手デュポン、証券大手リーマン・ブラザーズ、石油大手BPの米国法人など。企業に対して、排出できる温室効果ガスの枠を設定し、枠を下回った企業は、枠を上回った企業に排出量を売ることができる国内排出量取引市場を創設。米国全体で2050年までに07年の排出量の60-80%を削減するとの内容だ。

 議会には早急な立法措置を求めるとともに、大統領に政策を実施するよう求める書簡を送った。

 要望書では「温暖化対策は米国の経済にとって害になるというよりはむしろビジネスチャンスだ」としている。

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詳しくは、US Climate Action Partnership のwebサイトへ。

オゾンホールのときも、代替フロンの開発で先手を打てるとなった途端に本気になったアメリカ。今回もいきなり本気モードの大幅削減をやってのけることになるんでしょうか。
GEにデュポンにリーマンにBPですと? 各業界からそうそうたる面々ですね。他にもガス、電力などエネルギー系の会社も入ってますね。このままだと、フロリダ水没しちゃうもんねー。
しかも、2050年までに60-80%の削減って、ゴアが示していた「既存の技術で無理なく可能」な削減量の最大幅。
やっぱ、『不都合な真実』のインパクトも手伝ってるんでしょうね。すごいなぁ、外圧以外で社会が変わるってうらやましー。未来へのイマジネーションだよねー。
<追記>上記サイトの報告書を見ると、「2050年までに現在の60-80%のレベルまで下げる」とのことですので、共同の記事はちょっと誤訳ですねぇ。

良くも悪くもアメリカンスタンダードが変われば日本も変わる。
「我々は……未来に希望を持ってもいいということなのか……!?」と、SFマンガの登場人物になった気分で呟いてしまいましたよ。
日本はせっかく省エネ技術で先行してるんだから、この流れに乗り遅れなければいいんだけど。
株価の変動も予想されますから、ホントの意味での社会的責任投資で儲けが出る日も近いかも知れません。

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January 20, 2007

『不都合な真実』 An Inconvenient Truth

 感想です。

 以前から話題になっていたので公開を楽しみにしていたんですが、お尻の重い我が家にしては珍しく、公開初日に見てきました@TOHOシネマズ二条。新しくて綺麗な映画館でした。
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 元アメリカ副大統領アル・ゴアが世界各地で行ってきた地球温暖化についての講演を巡るドキュメント映画です。国際機関が出す報告書とかもちょっとはフォローしてたんで、「衝撃の事実!!」みたいな期待は持っていなかったんですが……これがなかなか、改めて衝撃的。
 100年はもつと見られていた南極の棚氷が、たった35日間ですべて崩落してしまったメカニズムなんか知らなかった。溶け始めると一気に溶けていく危険があるってことを考えると、南極やグリーンランドの氷が溶けて海面上昇6メートル、水没地域の難民一億人という数字は、思っていたほど遠い未来のことではなさそうです。
 北極の氷は海面上昇には関係ないけど(浮いてるから)、氷なら太陽熱の90%を反射するのに対し、海面は90%を吸収してしまう。極地で海水が冷えないと海流が止まって、気候に大きな変動が起こる…

 様々な「不都合な真実」が語られているんですけども、まぁ、その見せ方、プレゼンテーションの見事さと言ったら、さすが本場アメリカです。
 グラフ一つ見せるにしても、白地に細い線の無愛想なグラフではなく、黒地に赤い太い線。
 南極の氷で調べた過去何万年だかの、大気中の二酸化炭素濃度のグラフなんか、とても大きな画面なんだけど、最初はわざと近年の急上昇部分を見せていない。何度かの氷河期を含む平均気温との関連が見て取れるグラフを見せておいて、「周期的な変動がありますねー、二酸化炭素が300ppmに届いたことはありませんねー」などと話し、それからおもむろに、グラフ右端に用意されたクレーン装置に乗る。「さっき使い方を習ったんだ」と笑わせながら、現在のCO2量の400ppm近くまで上昇して見せ、更に、このままアクションを起こさないと45年後には600ppmまで……と、天井近くまで昇ってみせる。実に深刻な事実を、実にユーモラスに見せていく。
 途中に何度かアニメーションが挟まれるんだけど、微笑ましかったのが一つ。カエルが熱湯に飛び込めばすぐに飛び出すけど、ぬるま湯に入ってゆっくり温度が上がっていくとカエルは動かない……というアニメで、「温度がどんどん上がっていき、ついに…」というところで、「ついに、カエルは助け出されました」と人間の手が伸びてきてカエルが助け出される。カエルの生命は大切に、というオチも、環境派ならこうでなくては、って感じ。

 つくづくアル・ゴアって不思議な人だと思う。アメリカの副大統領までやった政治家が、建前でなく本気で、環境問題を大事に思い続けてきたなんて、奇跡だ。彼が現職だった頃、先住民チーフ・シアトルの手紙を紹介した時も、びっくりした。政治家という人種の口からあの手紙のことを聞こうとは思っていなかった。
 しかも、彼は今でも民主主義のプロセスを強く信じていて、「政治的な意志こそ、再生可能な資源だ」と語る。政治の中枢で裏の裏まで見てきて、それでもこういうことを言えるって、タフだなぁ。

 映画の公開に合わせてアル・ゴアも来日したみたいで、ニュース番組でも取り上げられてた。でも、講演を聴いたり映画を見た人たちの感想として放送されるのは、見事なまでに、ことごとく、一人一人主義の言説のみ。家庭での省エネに励もうと思いますーという類の言説だけ。まぁ、省エネを意識せずに生活してる人がそれだけ多いってことなのかも知れないけど。唯一、ニュースゼロのメインキャスターの人が、持続可能な自然エネルギーへのシフトを進める必要が…ということを口にしていて、好感度急上昇。
 アメリカで作られた映画のメッセージが、「私に出来ることはお家での省エネ」であるはずがないと思っていた我が家では、頭の中が???状態だった。
 実際映画を見てみると、エンディングロールとともに浮かび上がるメッセージには、たくさんの社会的次元の提案が含まれていた。

 「電力会社に電話して、グリーン電力について問い合わせてみましょう。もし扱っていないなら、理由を聞きましょう」
 「気候問題に熱心に取り組む議員に投票しましょう。もし誰もいないなら、自分で立候補しましょう」
 「この問題について地域で声を上げましょう」
 「新聞やラジオに投書しましょう」
 「温暖化問題への国際的な取り組みに参加しましょう」
 「外国の石油への依存を減らしましょう」
などなど……家庭での省エネ以外の、社会的次元でのアクションへのとっかかりがたくさんあった。
 あと、「祈りを信じる人は、人々が変われる強さを見つけられるよう祈りましょう」というのも、日本以外では重要なメッセージだろう。

 そんな話しをさんざんしながら帰ってきて、映画の公式サイトを見たら……日本語版サイト本家英語版サイトの違いに、またまたびっくり!
 どちらのサイトにも「行動しよう(TAKE ACTION)」のページがあるんだけど、日本語版は「家庭で出来ること」と「外出時に出来ること」の2種類のみで、そもそも「自宅で取り組む排出削減」というタイトルになっちゃってる。
 本家サイトででは、「地域で、国で、また国際的に、変化を起こそう」(Help bring about change LOCALLY, NATIONALLY AND INTERNATIONALLY)という項目がある。
 本家サイトは、それぞれのメッセージにリンクが張られていて、情報として非常に充実している。「リサイクルしましょう」というメッセージなら、自分の地域でのリサイクルセンターが検索できるサイト、「省エネ家電や省電力電灯に交換しましょう」なら、それを見つけて購入できるサイトがリンクされている。
 日本での公開には博報堂が入っているから、サイトをまじめに役立つものにしようという意志がないのは仕方ないかも知れない。リンクがあれば、もっといろいろなことに興味を持って、アクションに結びつけることだって出来るのに。まぁ、日本だと「元赤軍」とのつながりがあるよううな名前が検索で一コも引っかからないNGOを選ばなきゃならなかったり、独特の事情があって難しいのかな。でも、そういうブサヨとは無関係な新しい世代の活動だってたくさんあると思うんだけど。

 ……さらには、TAKE ACTIONのページそのもののタイトルバナーに、本家版では"Political will is a renewable resource.(政治的な意志こそが、再生可能な資源だ)"というメッセージが書いてあるのだが、日本語版ではこれが消されている。検閲入ったみたいに、綺麗にない。
 映画パンフレットの最後にも書かれている「私に出来る10のこと」すら、日本語版本家サイトでは違う。
 本家版ではそのアクションによって削減できる二酸化炭素量が何ポンド、何%と明記されているが、日本語版にはこれが書かれていない。
 項目も、8個は同じだけど、一コは肝心な一言が抜けていて、最後の一コは全く別物に入れ替えられている。
 日本語パンフで「こまめに蛇口をしめましょう Use less water」とされているのは、本来は、"Use less hot water"だ。「お湯の使用量を減らしましょう」であって、単なる節水のことを言っているのではない。
 別物に入れ替えられているのは、
 日本語パンフ  「映画『不都合な真実』を見て地球の危機について知り、友に勧めましょう」
 だが、本家サイトでは、
 「電気製品のスイッチを切りましょう。使っていない時にテレビ、DVD、ステレオやコンピューターの電源を単に切るだけで、年間数千ポンドの二酸化炭素を削減できます」
 どちらも博報堂の上客からNGが出そうだもんね。

 同じ映画でも、日本に入ってくると様々なバイアスがかけられるんだなぁと思ってしまう。英語を読むか読まないかですら、スポイル具合が違ってくるんだなぁ。これでスペイン語が読めたら、もっと違うかも。

 映画見る気も書籍版を買って読む気も自分で調べる気もない人のために言っておくと、二酸化炭素の排出量は、6種類の適切な政策をとれば、全世界の4分の1の二酸化炭素を排出してるアメリカでさえ、既存の技術で無理なく、2050年までに1970年代の量以下に減らすことが出来る。ほとんど半減させられると言うことだ。
つまり、この映画の最初のモノローグからエンドロールまで含めてちゃんと見ればわかる通り、「あとは私たちの政治的な決断にかかっている」、というのが、この映画の本当に大事なメッセージ。
 この同じ映画を見て、まるで正反対の感想を抱く人もきっといるんだと思う(それがどんな風に正反対なのかも想像できないんだけど、温暖化対策はしない方がいいとか「実際には」出来るわけないとか意味ないとか)。是非そういう人の感想を読みたいな。

 ダンナも感想 『「不都合な真実」と「不自然な省略」?』をもっとちゃんと書いてますので、そちらも読んでやって下さい。

 私の書いた「だいじな約束」というエコだけど毒のあるショートストーリーも、よろしかったらどうぞ。

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December 29, 2006

戦災復興マンガ『パンプキン・シザーズ』 その2

その1から続く

○アリス・L(レイ)・マルヴィン少尉
 名門貴族出身の吶喊(とっかん)少尉。士官学校卒業式の日に停戦を迎えた。
 不正義を放っておけず、戦災復興に情熱を燃やす熱血派。
 デカくてゴツイ伍長のヒロインぶりに対し、小柄なアリス少尉の漢(おとこ)っぶりの良さと来たら!!

 任務を遂行した後、伍長が「戦って傷にまみれるのは構いません…でも、世界が変わらないのなら…戦う意味がないのなら」と駄々こねだすと、少尉は言います。「世界!? 背が高いとそんな遠くが見えるか!?」そして、「遠くを見るな、前を見ろ。そこにはちゃんとあるんだ……戦う意味が」。お嫁さんにして欲しいくらいの漢っぷりの良さです。
 また、伍長が「不可視の9番」のご同類に出会ったときには、「本当は戦いたくない相手なんだろ? …だったら--私が戦う」なんて言ってくれちゃいます。
 も一つだけ、印象的だったセリフ。「やがて失うものに意味がないのなら、あなたの命もまた無意味でしょう。時か、病か、刃か、いずれは奪われる。ならば今すぐ死にますか?」

 アリスの「貴族」としての誇りも、かなりよく書けていると思います。
 原作3~5巻の舞踏会事件では、「貴族だから裁かれない、(不遇な)平民だから(何をやっても)許される」などという不公平を許さない、彼女の「公平さ」への意志が描かれます。
 また、「そのうち誰かがやる仕事」を押しつけられたと部下達が愚痴をこぼす任務に対して、「うむ! “そのうち誰かがやる仕事”……まさに公務の神髄だな!!」と、やる気満々で徹底した公僕精神を示したりもします。
 あるいは、民が飢餓に苦しんでいる時代に、自分は毎日不自由なく食べていることを父親に指摘されると、たちまち食事が喉を通らなくなる素直さ(シモーヌ・ヴェイユだって配給食料の分は食べていたはずですけどねぇ)。絶食を続ける少尉に、オーランド伍長はそっと問いかけます。「患者は医者に、自分と同じ病気に罹って欲しいと思うでしょうか」。これもいいシーンです。

 アリス少尉というキャラの特色は、正義感や熱血ぶりよりも、社会への関わりにおける積極性かなぁという気がしています。行動の動機が社会的次元にあるんですよね、この人。
 目の前の人が可哀想だから、という個人的・心理的次元での動機以上に、そのような悲惨が許せない、という社会的次元に動機があるように思えるんです。「公益性」の観点が行動原理の根っこにあるキャラなんですよね。今時珍しい造形です。
 これは一面では彼女の幼さでもあるんだけど、とても大切な純粋さでもある。これがあるからこそ、部下のマーチスやオレルドも彼女の手足となって働くんじゃないでしょうかね。
 アリスが感情面で今後成長して行くにしても、社会正義へのこだわりは捨てないで欲しいものです。

 彼女のこの特色が現れてるなと思ったのが、6巻の郵便局事件。手紙に同封された現金目当てで大量の郵便物を郵便局員たちが盗んでいるとわかり、陸情3課が逮捕に向かいます。ところが犯人逮捕よりも盗まれた手紙の行方を気にする伍長の気持ちが、アリス少尉には今一つわからない。エピソードの最後で実例を目にし(戦死したと思っていた夫からの無事を知らせる手紙)、少尉はようやく、伍長の気持ちが少し分かった、と言います。「戦争で引き離された者から届く一言。その重さを伍長(おまえ)は知っていたんだな……だって、伍長(おまえ)は戦争を知っているから」。
 彼女は一人の女の涙を見て、社会的次元でものを考えた結果、戦争を知る伍長と、戦争を知らない自分との距離を感じてしまいます。これに対し伍長は、実は子供の頃母親に送った手紙のことを思い出して、そのせいで今回の任務に特別な思い入れがあったことを告白します。ごく個人的な動機です。少尉はそこでやっと、「家族を大事に思う気持ちなら--そんな気持ちなら私にだって分かるっ」と胸を張り、戦争を知る者と知らない者、伍長との距離を埋めることが出来る。少尉と伍長の特色がよくでていて、とてもいいエピソードだなと思います。

 彼女が公益性に軸足を置く理由は、「貴族」ということが大きいのでしょう。誇り高く、公正でなければならない、民を守り、時に民を律さねばならない。アリスの心が民主化されないことを切に祈ります。

 戦災復興というきれいごとを、恵まれた環境で育った貴族のお姫様に唱えさせて説得力を持たせるなんて、フツーに考えたら至難の業だと思うのですが、アリス少尉のキャラが絶妙なので、読んでいてとても気持ちがいい。世界を変えようなんて妄想は持っちゃいないけど、社会のあり方に対しては、それをただ与えられた条件、どうせ変わらない環境因として受け入れたりせず、とにかく何とかしようと突進していく--陸情3課を率いて。理想の上司No.1。ほれぼれします。

○陸情3課 パンプキン・シザーズ
 実働部隊の隊長がアリス少尉で、彼女の上司である課長は、昼行灯っぽいながらも、3課の若造たちをちゃんとフォローしてくれるおやっさん的なハンクス大尉。アリスの部下は、ゲルマン臭漂う帝国陸軍の中でもラテン系のノリを崩さない女たらしにして、勤務態度は不真面目だが譲れない一線では熱いところもあるオレルド准尉と、実務能力に長けた眼鏡くんにして、気配りの行き届いた3課唯一の常識人マーチス准尉、そして伝令犬マー君ことマーキュリー号と、軍楽隊出身の事務方リリ・ステッキン曹長。ここにオーランド伍長が配属されて、現在の第3課ができあがっています。

 「戦災復興」という3課の任務は、多分に軍のプロパガンダではありますが、アリス少尉はまるで大まじめに任務に誇りを持っているし、オレルド、マーチス准尉にしても、少尉の吶喊ぶりに溜息をつきつつも、まんざらでもない様子。伍長に至っては、「頑張るから…もっとマシな世の中になるように…頑張るから…俺、3課で戦災復興、頑張るからっ」と夜空に向かって(違うっ)叫んじゃうほど本気です。生きる意味、を少尉に見せられちゃった伍長にとっては、3課の存在意義は命がけです。
 軍のあぶれ者の寄せ集めである3課は、そもそも「平和でお気楽陸情3課」とか「お祭り部隊」とか呼ばれていたのですが、帝国の機密である「不可視の9番」出身のオーランド伍長が来て以来、きな臭い事件に巻き込まれてばかりです。

 3課とは対照的にエリート集団である陸情1課は、大人の事情満載。隠蔽・粛正路線で、ことあるごとに3課と対立しています。ストーリー的には敵方なのですが、登場するキャラはそれぞれ魅力的。場合によっては今後、3課との共働もあるかも知れませんね。

○戦場から帰還できない者たち--伍長の「同類」
 読み切りで登場した初回の敵、ヴォルマルフ中尉率いる903CTT化学戦術部隊は、伍長と同様「不可視の9番」でした。ページ数の関係でしょう、ヴォルフたちの戦時中の苦悩は一コマに凝縮されていますが、扱っていたのが化学兵器なだけに、事故で部下を失ったり、あるいは、データをとるためにわざと十分な装備を与えられなかったりという悲劇も想像されます。ヴォルフたちはおそらく、元々は正規の部隊だったのが、特別任務とでもいわれて化学兵器を扱う非正規部隊へと編成し直されたのではないでしょうか。少ないページ数の中では彼らに対する伍長の感情はあまり描写されていません。同類認定もヴォルフから伍長へと一方的です。
 「おまえは“こっち側”のはずだ、901…あんな奴らのために体を張ってどうなる…?」というヴォルフの言葉は、痛々しい。アニメへとメディア展開した時にこそ、この辺掘り下げて欲しかったですね。

 次に、早くも2巻で登場した908HTTのハンス。こちらも「不可視の9番」の一つである「単眼の火葬兵(アルト・シュミート・イェーガー)」唯一の生き残り。火炎放射兵装に身を包み、水では消せない超高温の炎で人間を焼き尽くす兵士です。元々は藪やバリケードなど進軍の障害物を焼却処理するための工兵装備だったのが、「やっちゃいけない殺し方」が出来てしまうことから、禁じ手の900番台に。
 ハンスの仲間たちは停戦後、防護服を脱いだために死んでいきます。高熱から彼らを守るはずの保護液が、実は火傷を自覚させないための麻酔薬でしかなかったために、防護服を脱ぐとたちまち、皮膚が崩れ落ちて死んでいきました。部隊の中で一番トロくさい奴であったろうハンスは、防護服を脱ぐのが遅れたために生き残り、停戦後3年、ずっと防護服を着たまま。食事と排泄には器具を使い、この先ずっと死ぬまで、防護服を脱ぐことは出来ないと自覚しています。
 ハンスからの同類認定(「ソノランタン、901ATT…。オレ「908」。…オレ、オマエ、仲間…」)をいったんは拒絶する伍長ですが(「901なもんか……俺はもう、陸情3課の…」)、ハンスを救いたい思いはつのります。伍長はハンスを殺さずに捕らえようとして、とどめを刺す前にランタンを消し、同類認定に応じようとしたその刹那、陸情1課の一斉射撃でハンスは殺されてしまいます。鼻水垂らして号泣する伍長。作中でも伍長はこの件からなかなか立ち直れませんでしたが、読んでるこっちも容易には立ち直れないヘヴィなエピソードでした。ハンスは、ヴォルフよりずっと伍長に似てたんですよね。境遇も、立ち位置も。

 もう一つは、6巻で登場のユーゼフ以下ベルタ砦の面々。軍人として、戦争に全てを懸けたが故に平和を拒み、停戦後、周辺の民間人を集めて軍事演習を強制、ついには村に攻撃を仕掛け、村人との戦闘の中であわよくば「戦死」しようと企てる狂気っぷり。
 (どうして勝手に共和国へ突撃しなかったのかという疑問はさておき、)ベルタ砦の部隊は「不可視の9番」ではなく正規軍ですが、伍長自ら同類認定。過酷な戦場を経験した者同士であり、「戦争」という怪物に捕まって帰って来れなくなった彼らの気持ちが、殺すしか能がないと自分を卑下している伍長には、分かってしまう。
 「同類の面倒は…見てあげたい…」という伍長の言葉に対し、村人が思わず「同類って…アンタ達とアイツラは違うよ!」と言い返します。自己評価の低い伍長には、時々こういう言葉が必要ですよね。コマ割りに余裕があれば、村人の言葉に小さく喜ぶ伍長の顔が見れたかも知れません。

○戦災復興を沮むもの--銀の車輪結社
 3課が関わったいくつかの事件の背後で糸を引いている秘密結社「銀の車輪」。
 作中では未だ、この結社の目的も成り立ちも語られてはいません。ただ、戦車の自動給弾装置やオートマチックの小銃など、作品世界にとってはオーバーテクノロジーにあたる技術を持っていて、それを惜しげもなく末端に与えたり、麻薬を売らせて詳細なデータを集めていたりすることが分かっているくらい。
 元少女小説家として、また全国一千万陰謀ファンの一人として、この秘密結社について考察してみましょう!

 時代の先を行く軍事技術を持っているのですから、
その1 自ら世界征服をたくらむシネシネ団である
その2 再び戦争を起こし戦火の拡大をもくろむ死の商人的結社である
 のどちらかなら、その2を推奨。

 また、秘密結社というからには、何らかの思想的結びつきがあってもいいでしょう。秘密結社が広める思想と言えば、「自由、平等、友愛」と相場が決まっています(ホント?)。すなわち、社会秩序の破壊(=自由)、万人の万人に対する闘争(=平等)、目に見える世界以外の超越的価値の否定(=友愛)。
 こっちの方面で行くと、銀の車輪が革命を煽るというパターンも考えられますかね。その際は、ホースト侯爵がオルレアン公の役回りか?

 まとめると、戦争や麻薬や革命や、とにかく世界を混乱させてうまい汁を吸おう系の人達と、焦土の後に新たな理想の世界を築こう系の人達が集まってるのが「銀の車輪」結社なんじゃないでしょうか…。終わらない混乱そのものが目的という方が、むしろ現実に近いかな?(←レオ様はこのタイプかも)

 いずれにしろ、この結社との対決がパンプキン・シザーズのラスボス戦ということになるのでしょうか? カウプラン機関がどう動くのかも、伍長の運命を左右する重大な要素ですが…。

 もしもこの作品が、銀の車輪結社を通して、戦災は決して必然ではなく、それによって利益を得るものが仕組んでいる、という一般解まで導き出すとしたら、すごいですね。すなわち、全ての戦災は人為戦災である…。

 ヘヴィなテーマを扱いながら、それぞれのキャラの魅力はもちろん、キャラ配置のバランスも良く、ギャグパートでは思いっきり笑えて、ストーリー展開も納得いくし、絵も綺麗。これだけの作品を描く作家が、ラストに向けて「一人また一人と仲間が死んでいく…」ような安易な展開はやらないと思うけど、伍長が最後どうなるかは不安が残ります。伍長が犠牲になれば読者を泣かせることは簡単にできちゃうけど、それはあまりにもなぁ…。
 3課の誰かが犠牲にならなきゃいけないとしたら、一番納得いくのは、実は恐ろしいことにアリス少尉だったりするんですよね。彼女は武門の誉れマルヴィン家出身の軍人だから、作戦中に命を落としてもいいんだよねぇ、本人的に。でも、アリスが死んで伍長が立ち直り可能なパターンというのは……出来ないことはないけどさ、それも切ないなぁ。物語の法則を発動するなら、レオ様がアリスや伍長を救っちゃうという結末も考えられますが…それをやる作者かどうかまでは、まだ読めないです。(るろ剣では雪代縁が薫ちゃんを助けるところで物語の法則が発動されましたね。これはある程度期待通りでした。)
 いずれにせよやはり、3課のみんなには全員生還して欲しいですよ。大波乱の後、陸情3課にいつもの日常が戻ってくることを願ってやみません。

 まだまだ先は長いと思うけど、当分は、伍長が可愛くて可哀想で心配でたまらない日々が続きそうです。

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戦災復興マンガ『パンプキン・シザーズ』 その1

 るろ剣トライガン以来、久々に入れ込み甲斐のあるマンガに出会いました。
 一部地域で深夜アニメ放映中の「パンプキン・シザーズ」の原作。今回は非暴力プロパーのマンガではないのですが、戦災復興部隊のお話です。

『Pumpkin Scissors』1~6巻 岩永亮太郎 講談社コミックス 月刊少年マガジン連載中

 舞台は架空のヨーロッパ、架空の二十世紀初頭というところでしょうか。戦車が無敵の陸戦兵器として花形であり、小銃は未だボルトアクション、民間では先ごめ式ピストルも使われていて、電信網は試験的な整備途上のため、軍隊では伝令犬が活躍中、軌道列車も自動車もあるけど、馬車もまだまだ現役、という感じの舞台設定です。

 フロスト共和国との長きにわたる戦争が、ようやく停戦を迎えて3年。アリス少尉率いる帝国陸軍情報部第3課、通称パンプキン・シザーズ小隊の任務は、「戦災復興」です。
 とある村で、野盗化した戦車隊と対決する第3課。たまたまその村にいた巨漢の復員兵オーランド伍長とともに戦車隊を撃退するところから物語が始まります。
 以下、例によってネタバレありです。

 野盗化した戦車隊は、実は戦時中、国際条約違反の化学兵器を使っていた903CTT(化学戦術部隊)「死灰を撒く病兵(クランクハイト・イェーガー)」を母体としていて、帝国軍部は彼らを存在しなかったものとして隠蔽しています。「不可視の9番(インヴィジブル・ナイン)」と呼ばれる、帝国が犯した禁じ手である900番台の非公式部隊の一つです。それ故、情報部は援軍を出すことを拒み、陸情3課は独力で奴らから村人を救わねばなりません。揮発性戦術毒キルヒ3号によって汚染された村を救うため、アリス少尉は野盗化兵が持っている抗体の確保をめざします。

 最強の陸戦兵器である戦車を持つ野盗に対し、わずか3人の部隊で立ち向かおうとするアリス少尉を、オーランド伍長は「無茶だ、それじゃ無駄死にだ」と止めようとしますが、少尉は逆に、「苦しむ民を見て、むさぼる悪を見て、貴様は何も感じていないのか?」と問い返します。「伍長(オマエ)こそ、本当の気持ちを無駄死にさせようとしているのではないか?」と。

 この言葉こそが、伍長の人生を完全に方向転換させるきっかけでした。ワケありげな伍長は、901ATTと刻印されたランタンを腰に下げ、「戦車は俺が何とかします」と作戦への協力を申し出、ほぼ単独で戦車を排除。その後アリス少尉によって、陸情3課に迎え入れられます。

○ランデル・オーランド伍長
 2メートルを軽く超える巨漢で、全身傷だらけ。戦時中には「不可視の9番」の一つ、「901ATT」すなわち「対戦車猟兵部隊」に所属した「命を無視された兵隊(ゲシュペンスト・イェーガー)」の生き残り。
 腰に下げたブルースチールのランタンを点けると、恐怖も痛みも感じなくなって、どんな怪我を負おうとも戦車に向かって歩き続け、大口径の対戦車拳銃「ドア・ノッカー」でゼロ距離射撃を敢行、戦車を撃破する。帝立科学研究所、通称カウプラン機関によって何らかの人体改造を施されている(涙)。
 ランタンのスイッチを入れると頭の中に「殺セ!!」コールが鳴り響き戦闘モードに入る伍長ですが、その間も本人の意識はあるらしく、戦闘終了を待たずに自らランタンを消すことも、いつの間にか出来るようになってます(これって本人的には大進歩だったのでは…?)。ただし、「殺セ」コールの強迫観念との葛藤は、なかなか辛い様子。
 ランタンonモードでも、別に素早く動けるとか筋力アップするとかじゃないので、強くなるわけじゃないんですよね……もしかして少年マンガの主人公離れした弱さではないでしょうか。どんな怪我をしても怯まないってだけなので、結果、伍長はいつも怪我まみれ。初回、2回目くらいまでは、対戦車のバトルシーンもちょっと格好良く描かれてたりするんですが、回が進むと痛々しさが増していくばかり。今のところ戦車は一度に一台しか出てきてませんが、多数の戦車を相手にランタンonなんてことにならないよう祈るばかりです。誰か伍長に、まずキャタピラを狙って動きを止めるとか、砲塔の接合部を狙って砲撃を無力化するとか、合理的な戦術を入れ知恵してあげて下さいヨ。

 普段の伍長はというと、その巨体に反して、単発銃を向けられただけで震え上がるほど臆病で、気が弱くおとなしくて、蚤の心臓というかガラスの心臓というか、本当は虫も殺せないくらい優しい奴です。ただし、摘んで捨てたくなるようなウジウジキャラとは違い、伍長はおとなしいけど言葉足らずではなく、言うべきことはちゃんと相手に伝えられるコミュニケーション能力も持っています。
 ちなみにアスパラサラダやポテトサラダばかり注文するベジタリアン系(町の定食屋じゃ、サラダにもベーコンが入ってるかも知れないし、ポテトだってチキンスープで煮てあるかも知れませんが、ともかく肉は食えない)。3課に配属後も(何故か)橋の下で野良猫たちと暮らしています。冬の寒さが心配です。

 気が弱く臆病な伍長ですが、ちゃんと一かけらの勇気を持っている人でもあります。野盗化兵たちが戦車を持っていると知れば、それは自分の仕事だ、と、ほとんど反射的に引き受けてしまう。根が利他的な人間に、本物の臆病者はいません。

 「ランタン付けてりゃ殺しまくりで、ランタンなしじゃ、何も出来ない…」というのが伍長の自己認識だったのですが、アリス少尉との出会いから、殺す以外にも出来ることがあるんじゃないかと模索中。
 「世界から見ればほんの一部ではあるけれど、伍長(オマエ)がなしえた“戦災復興”だ!!」という少尉の言葉に、体ふるわせて感動する伍長(かわいすぎ)。この言葉が、停戦後の時代を生きるよすがとなったようです。
 橋の下で猫まみれになりながら、夜ごと戦場の悪夢や、殺した人たちに泥沼に引きずり込まれる悪夢にうなされているのですが、最近は悪夢の最後に少尉が出てきて、「何をしている、伍長? 戦災復興だ!!」と笑顔で引っ張り上げてくれるようになったりもしました。伍長の中でアリス少尉の偶像化が進むのも無理はありません。(脱・偶像のエピソードもちゃんとあります!)

 傷まみれはともかく、美形でもない巨漢なんて完全にストライクゾーンの外だったはずなんですが……伍長は私の大好きな「時代に翻弄され」キャラ。
 900番台の非公式部隊出身である彼は、腰と脳に「鏡写しの冬虫夏草」を植え付けられていて、どうやらそれがランタンとともに彼の異常な戦闘能力の秘密らしい。冬虫夏草が成長しちゃうとどうなるのか、そうじゃなくても無茶な戦い方ばかりして先があるのか、心配はつきません。

 そんな伍長の必殺技は「ドア・ノッカー(大口径銃)」よりも、むしろ「ごめんなさい…」ではないかと。他にも、オロオロする、困る、しゅんとなる、「あう、あう」と狼狽える、ジャガイモを眺めるなどの、視覚性戦術萌えを多数装備、キュン死者多数。ファンの間ではすっかり“ヒロイン認定”されて総受け状態(←専門用語)です。

 →その2

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April 13, 2005

『ジョヴァンニ』

 例によってCOCON烏丸の京都シネマで、『ジョヴァンニ』を見てきました。
 メディチ家の血筋でありながら、華やかな宮廷を遠く離れ武将として戦場を駆け回ったジョヴァンニ・ディ・メディチの最後の一週間。鉄砲、大砲といった火器が一騎打ちの伝統を崩壊させた16世紀前半の戦場。ルター派のゲルマン軍が侵攻する北イタリアで、教皇軍の前衛として戦うジョヴァンニの黒い部隊。いとこであるマントヴァ候の背反行為により窮地に陥り、フェラーラ公が敵軍に提供した大砲によってジョヴァンニは致命傷を負う。負傷した足を切断するその間際、彼は体を押さえつける部下達を下がらせ、自ら片手に燭台を掲げて手術に臨む。だが片足切断の甲斐もなく、高熱が続く中、彼は兵士として死ぬために野戦用のベッドに移って静かに息を引き取る。

 全編美しい映像。荒涼とした雪景色のなか進軍していく黒い甲冑の列。戦いという身体性のただ中で、匂い立つような精神性が印象に残る。マントヴァ候、フェラーラ公はそれぞれの理由でジョヴァンニを裏切り、あるいは疎んじ、命がけで守ろうとしている教皇自身にすら、彼は報いられることがない。それでも、彼を突き動かす魂の力は、単なる生存以上のものを求めてやまない。ジョヴァンニは死の数日前の進軍の途中、半ば狂乱している村の神父に人殺しと罵られる。死の床で、おそらく終油の秘蹟を授けに来たのだろう司祭に、「もし、兵士でなく司祭になっていたら……」という内容のセリフを呟くシーンがあるのだが、彼の戦争は、彼の信仰と命の表現だったことは疑い得ない。
 致命傷を負うことになる戦場で両軍が対峙したとき、ゲルマン軍の将軍はジョヴァンニに敬意を表す仕草をする。ジョヴァンニをじっと見詰める将軍の表情は、寂しさの入り交じった親愛すら感じさせる。結局、誰よりもジョヴァンニを理解していたのは、あの将軍なのか?
 映画の冒頭とラスト、戦争の近代化に対する批判めいたナレーションが入るのはやや蛇足という感じがした。

 それに何しろまぁ、ジョヴァンニがいい男。帰るべき安らぎの場所である家庭を守る妻を愛しながら、マントヴァの貴婦人とも激しい恋を燃やすなんて、信仰深い男にしてはいい気なもんだけど、あれだけのいい男なら、まぁ、それも許せる。
 途中寝てる人も結構いたみたい。描かれている精神性に興味がなければ、淡々とした展開の退屈な映画だったのかもしれない。戦争という行為にまつわるやりきれない無意味さと、行為の不可避性による崇高さ――『戦う操縦士』に通じる、底流に不思議な静寂が流れ続ける、戦いの映画。

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April 02, 2005

マシニスト、Sala Suite Caffe Rucola

 更新をさぼりはじめると、些細なことを書くのが億劫になってきます。

『マシニスト』
 例によって水曜日に京都シネマで見てきました。オチの方向性が早々に分かってしまうので、ストーリーはどうということはありません。主人公が不眠症のせいとはいえプッツンで、まるで感情移入できない。ただ、主人公が勤務する工場での事故が、かなりの恐怖感を与えてくれます。工場の機械って恐ろしい……非人間的であることの剥き出しの身体への暴力性。工場の事故で片腕を失った人が、会社からの保証金で優雅な暮らしをしている描写がありましたが、ネオリベ化の進んだ現在、こんな幸運な待遇を受けられる人は例外的なのでは……

Sala Suite Caffe Rucola
 今日は京都駅の伊勢丹に行ってから、三条のブックオフに行って、漫画専門の喜久屋書店に行って……なんてして疲れたので、晩ご飯は池坊大学の地下にあるルコーラというイタリアンで外食。カフェにもバーにもダイニングにも使えるこじゃれた店ですが、価格設定はすごくお手頃。味付けもいい。火の入れ方は絶妙とは言えないけど……まぁ、お値段を考えたらそこまで要求できません。
 フロア係の男性が三人いたんだけど、三人とも似たような短髪で似たようなヒョロッと背の高い細身。3兄弟だったら面白いんだけど。もう1人フロアのお姉さんも、とても感じのよい美人でした。

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February 18, 2005

チェコのアニメーションとドリア

 雨のぱらつくお天気でぜんぜんやる気が出ないながらも、夕方、思い立って京都シネマで「クルテクとズデネックミレルの世界」を見てきました。チェコのアニメーション。子供向きのものとやや実験的な作品とを何本か合わせての上映。A、B、Cの3プログラムがあって、作品は重なってません。ぜんぶ見るには3回行かなきゃならない……2回目以降は半券の提示で五百円引きになるそうですが。
 外国の短編アニメーションを見るのはとっても久しぶり。特別に素晴らしかった~っ、という気はしないけれど、やっぱりアニメーションって好きだなぁと思いました。窓辺の机に置かれた絵の中の少女と、窓ガラスに落ちた月の雫(霜の模様)の少年の恋……一転悲劇的結末かと思うと、最後に救いがあったりして。
 今日見たのはBプロだったから、A、Cプロも見に行きたいなぁ。ショップではぬいぐるみやカワイいバッグなどグッズの販売も。

 晩ご飯はドリア。、おでんの残りの大根とジャガイモをつぶして玄米と混ぜてコロッケにした昨夜の残りの、コロッケの中身を、おニューの野田琺瑯の薄型保存容器に敷いて、ケチャップで味付けし直して(直火にかけられるからそのまま暖めながら!)、オートミールでクリームソースを作って上からかけて、大根葉のソテーを飾ってパン粉をかけてオーブンへ。クリームソースの量が少なかったせいか、存在感がいまいち。全体のお味は良かったです。
 それと、昨夜作ったイタリアンなきんぴら2種。レンコンに玉葱とドライトマトのみじん切りで味付けしたのと、ゴボウをバルサミコで仕上げたもの。小松菜は、練りゴマにレモンとオリーブオイルで、こちらもややイタリアンなゴマ和え。

 やる気と共に体力も下降傾向。
 気の早い蕾から草木瓜が咲きだし、早咲きの梅はすでに咲き誇り、木々は春を告げはじめているのですが……まだまだ、春が来たという感じはしないですね。

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February 11, 2005

Sylvia Plath

 京都シネマ『シルヴィア』を見てきた。先月The Fog of Warを見に行ったときに予告編をやってて、すごく見たいけど……一人で見るのは絶対やだなぁ、と思った映画。神戸在住の映画好きの友達にわざわざ来てもらって、一緒に見た。

 実在の詩人Sylvia Plathがモデルで、ほぼ実話通りのよう。
 二人の詩人が出会って魅かれ合い、大恋愛の末に結婚するのだが……順調に評価されていく夫に対し、書けなくなっていく妻。執筆するはずの時間に次々とケーキを焼きまくるシルヴィア。二人の子供をもうけるのだが、子育てに追われて彼女は疲弊していく。夫を賞賛する人々、「偉大な詩人を夫に持った幸運な女性」呼ばわりされる彼女、「私も詩人なのに!」という叫び。やがて夫の浮気を疑い、自らを追い詰めていく無様な彼女。そしてついに夫に愛人がいることが明らかになり、二人の結婚は破綻する。
 夫と別居することでようやく自由になったと語り、再び創作に没頭する彼女だったが、それでも寂しくて寂しくて、小さな理由をつけてはアパートの階下に住む老人を訊ね、わずかなやりとりにすら縋り付く。埋められない虚ろは彼女を蝕んでいく。
 もう一度やり直そうとして夫と一夜を過ごすが、彼は愛人が妊娠したことを告げる。そうして彼女は、子供のために翌朝のパンとミルクをトレーに乗せて子供部屋に運び、キッチンに入りドアの隙間にタオルを詰め、ガスオーブンに頭をつっこんで、自殺する。

 才能と美貌に恵まれた彼女のような人が、なぜ自らを惨めにするような嫉妬の虜にならなければいけないのだろう? 彼女は、夫を誰かに奪われるんじゃないかという不安のあまり、自分があの女(夫の愛人)を呼び出してしまった、と語る。自らの不安が、一番怖れていたことを実現してしまう――闇から怪物を呼び出すのは、自分自身の不安。

 ロダンとカミーユ、光太郎と智恵子。ある種の恋愛から生還することは、女性には難しいのかも知れない。ディネセンはフィンチ・ハットンを事故で失うことによって彼を永遠に手に入れ、恋愛から生還したのだろうか。『サバイビング・ピカソ』で描かれたフランソワーズ・ジローも、タイトル通りの生還者。
 天才の愛し方と、天才との別れ方。前者は困難で、後者は更に至難。
 対策:生き延びたいなら、早死にしそうな天才を選ぶこと。

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