アニメ・コミック

January 03, 2007

戦災復興マンガ『不死鳥のタマゴ』

 戦災復興マンガつながりで、『パンプキン・シザーズ』より前から読んでいた作品をもう一つを紹介しとこうかと思います。
 
『不死鳥のタマゴ』全3巻 紫堂恭子 角川アスカコミックスDX

 こちらは舞台設定が現実にベースを置かないピュア・ファンタジーでコメディ・タッチですが、テーマのシビアさは、実は紫堂作品の中でも久々の大物だったと思います。

 内戦が終わり、新政府の保安隊員としてエルダーという田舎町に赴任してきたクリスは、戦時中敵対した王党派寄りの土地柄から、村人に反感を持たれるなど苦労していた。ある日、ボロ雑巾のような鳥の雛を拾って帰ると、それが人の言葉を話す不死鳥のヒナで…「ちゅん」ちゃんというそのヒナの、暴走するラヴ・パワーに振り回されっぱなし…というお話。

 手柄が立てたいなら本隊で王党派の残党狩りをすればいい、という先輩隊員に、「…内戦はもう終わりました。残党狩り以外にも仕事はあるはずです」というクリス。彼がエルダーに来た目的は、内戦中、彼が崖から落ちて大けがをした時に助けてくれた恩人--顔も声も分からないがエルダーの出身とだけ分かっている、敵兵だった誰か--を見つけること。

 熱意と誠意で次第に人々に迎え入れられていくクリスだったが、王党派の兵士だったヒューが町に戻ってきて、敵意をむき出しにされる。ヒューにとって、戦火を免れた故郷、変わらぬ風景と人々の中にとけ込むかつての敵兵クリスに比べ、戦場帰りの自分だけが異質なものであるように感じ、もとに戻れずに苦しんでいたのだ。
 レストランで働く村の娘キャロルは、戦死した父の最期の様子を知りたいと願っている。兵士だったクリスとヒューは、キャロルの父が死んだ戦いのことは聞き知っていた。だが、敵味方双方が孤立し補給をたたれ、飢えと病気で地獄さながらの様子だったというその噂をキャロルに告げることは出来ない。
 ヒューとクリスは反発しながらも接していくんだけど、二人とも、たまたま生まれた土地が王党派と議会派だっただけで、自分でどちらかの陣営を選んだわけではない、ということも分かり合っている。「誰だって同じさ。そんなもんだ」「そうだよな…そんな理由で戦うんだ」
 クリスはヒューに向かって言う。老人や子供やキャロル達、エルダーの町の人たちが戦いの被害者であるのに対して、「俺たちは、俺たち二人だけは皆と違う…戦いの、加害者でもあるんだ…」

 不死鳥のヒナちゅんちゃん、吸血こうもりだこのちちち、ゴブリンのゴブ子さんなど、ファンタジックなキャラクターに引っ張られて話が展開していくので、深刻な背景を女の子読者にも受け入れられるよう配慮されている。まぁ、その分、物足りなさは残るけど…。

 紫堂恭子さんの作品では、『グランローヴァ物語』がダントツの出来で、『辺境警備』も非常に愛着のもてる魅力的なお話だった。掲載誌の意向で未完に終わった『エンジェリック・ゲーム』は、武器商人の父親から少女がどうやって自立するかというお話だったし、『ブルー・インフェリア』は文明を壊滅させた感染症を巡るスケール観のあるSFだった。これら初期の作品群と比べると、その後は、一定のクオリティの「良い作品」を書いてくれているにも関わらず、筆が達者になりすぎて、良くも悪くも「安心して読めてしまう」(私は嫌いだけど上手いとは思うCLAMPっぽい筆の達者さになってしまったような…それが角川クオリティ?)。いつもちゃんと中身のあるテーマを扱ってるし、エンターテイメントとしても楽しませてくれるが、入れ込むほどの魅力は感じられなくなっていた。(多分、量産しやすいようキャラの作り出し方が変わってしまったのだろうと思う)
 『不死鳥のタマゴ』も、初期作品のような無茶苦茶なパワーや魅力はない。掲載誌がプチフラワーあたりだったら、もう少しファンタジック・コメディの色を控えて、シリアスなテーマの方に力を注げたんじゃないだろうか。
 「内戦後の和解」を描くのに、ファンタジーという様式は、きっと本当に相応しいものであるはずだから、この食い足りなさが残念でならない。

   グラン・ローヴァ物語―決定版 (1)
   辺境警備―決定版 (1)
   ブルー・インフェリア―決定版 (1)
   エンジェリック・ゲーム VOLUME2 (2)

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December 29, 2006

戦災復興マンガ『パンプキン・シザーズ』 その2

その1から続く

○アリス・L(レイ)・マルヴィン少尉
 名門貴族出身の吶喊(とっかん)少尉。士官学校卒業式の日に停戦を迎えた。
 不正義を放っておけず、戦災復興に情熱を燃やす熱血派。
 デカくてゴツイ伍長のヒロインぶりに対し、小柄なアリス少尉の漢(おとこ)っぶりの良さと来たら!!

 任務を遂行した後、伍長が「戦って傷にまみれるのは構いません…でも、世界が変わらないのなら…戦う意味がないのなら」と駄々こねだすと、少尉は言います。「世界!? 背が高いとそんな遠くが見えるか!?」そして、「遠くを見るな、前を見ろ。そこにはちゃんとあるんだ……戦う意味が」。お嫁さんにして欲しいくらいの漢っぷりの良さです。
 また、伍長が「不可視の9番」のご同類に出会ったときには、「本当は戦いたくない相手なんだろ? …だったら--私が戦う」なんて言ってくれちゃいます。
 も一つだけ、印象的だったセリフ。「やがて失うものに意味がないのなら、あなたの命もまた無意味でしょう。時か、病か、刃か、いずれは奪われる。ならば今すぐ死にますか?」

 アリスの「貴族」としての誇りも、かなりよく書けていると思います。
 原作3~5巻の舞踏会事件では、「貴族だから裁かれない、(不遇な)平民だから(何をやっても)許される」などという不公平を許さない、彼女の「公平さ」への意志が描かれます。
 また、「そのうち誰かがやる仕事」を押しつけられたと部下達が愚痴をこぼす任務に対して、「うむ! “そのうち誰かがやる仕事”……まさに公務の神髄だな!!」と、やる気満々で徹底した公僕精神を示したりもします。
 あるいは、民が飢餓に苦しんでいる時代に、自分は毎日不自由なく食べていることを父親に指摘されると、たちまち食事が喉を通らなくなる素直さ(シモーヌ・ヴェイユだって配給食料の分は食べていたはずですけどねぇ)。絶食を続ける少尉に、オーランド伍長はそっと問いかけます。「患者は医者に、自分と同じ病気に罹って欲しいと思うでしょうか」。これもいいシーンです。

 アリス少尉というキャラの特色は、正義感や熱血ぶりよりも、社会への関わりにおける積極性かなぁという気がしています。行動の動機が社会的次元にあるんですよね、この人。
 目の前の人が可哀想だから、という個人的・心理的次元での動機以上に、そのような悲惨が許せない、という社会的次元に動機があるように思えるんです。「公益性」の観点が行動原理の根っこにあるキャラなんですよね。今時珍しい造形です。
 これは一面では彼女の幼さでもあるんだけど、とても大切な純粋さでもある。これがあるからこそ、部下のマーチスやオレルドも彼女の手足となって働くんじゃないでしょうかね。
 アリスが感情面で今後成長して行くにしても、社会正義へのこだわりは捨てないで欲しいものです。

 彼女のこの特色が現れてるなと思ったのが、6巻の郵便局事件。手紙に同封された現金目当てで大量の郵便物を郵便局員たちが盗んでいるとわかり、陸情3課が逮捕に向かいます。ところが犯人逮捕よりも盗まれた手紙の行方を気にする伍長の気持ちが、アリス少尉には今一つわからない。エピソードの最後で実例を目にし(戦死したと思っていた夫からの無事を知らせる手紙)、少尉はようやく、伍長の気持ちが少し分かった、と言います。「戦争で引き離された者から届く一言。その重さを伍長(おまえ)は知っていたんだな……だって、伍長(おまえ)は戦争を知っているから」。
 彼女は一人の女の涙を見て、社会的次元でものを考えた結果、戦争を知る伍長と、戦争を知らない自分との距離を感じてしまいます。これに対し伍長は、実は子供の頃母親に送った手紙のことを思い出して、そのせいで今回の任務に特別な思い入れがあったことを告白します。ごく個人的な動機です。少尉はそこでやっと、「家族を大事に思う気持ちなら--そんな気持ちなら私にだって分かるっ」と胸を張り、戦争を知る者と知らない者、伍長との距離を埋めることが出来る。少尉と伍長の特色がよくでていて、とてもいいエピソードだなと思います。

 彼女が公益性に軸足を置く理由は、「貴族」ということが大きいのでしょう。誇り高く、公正でなければならない、民を守り、時に民を律さねばならない。アリスの心が民主化されないことを切に祈ります。

 戦災復興というきれいごとを、恵まれた環境で育った貴族のお姫様に唱えさせて説得力を持たせるなんて、フツーに考えたら至難の業だと思うのですが、アリス少尉のキャラが絶妙なので、読んでいてとても気持ちがいい。世界を変えようなんて妄想は持っちゃいないけど、社会のあり方に対しては、それをただ与えられた条件、どうせ変わらない環境因として受け入れたりせず、とにかく何とかしようと突進していく--陸情3課を率いて。理想の上司No.1。ほれぼれします。

○陸情3課 パンプキン・シザーズ
 実働部隊の隊長がアリス少尉で、彼女の上司である課長は、昼行灯っぽいながらも、3課の若造たちをちゃんとフォローしてくれるおやっさん的なハンクス大尉。アリスの部下は、ゲルマン臭漂う帝国陸軍の中でもラテン系のノリを崩さない女たらしにして、勤務態度は不真面目だが譲れない一線では熱いところもあるオレルド准尉と、実務能力に長けた眼鏡くんにして、気配りの行き届いた3課唯一の常識人マーチス准尉、そして伝令犬マー君ことマーキュリー号と、軍楽隊出身の事務方リリ・ステッキン曹長。ここにオーランド伍長が配属されて、現在の第3課ができあがっています。

 「戦災復興」という3課の任務は、多分に軍のプロパガンダではありますが、アリス少尉はまるで大まじめに任務に誇りを持っているし、オレルド、マーチス准尉にしても、少尉の吶喊ぶりに溜息をつきつつも、まんざらでもない様子。伍長に至っては、「頑張るから…もっとマシな世の中になるように…頑張るから…俺、3課で戦災復興、頑張るからっ」と夜空に向かって(違うっ)叫んじゃうほど本気です。生きる意味、を少尉に見せられちゃった伍長にとっては、3課の存在意義は命がけです。
 軍のあぶれ者の寄せ集めである3課は、そもそも「平和でお気楽陸情3課」とか「お祭り部隊」とか呼ばれていたのですが、帝国の機密である「不可視の9番」出身のオーランド伍長が来て以来、きな臭い事件に巻き込まれてばかりです。

 3課とは対照的にエリート集団である陸情1課は、大人の事情満載。隠蔽・粛正路線で、ことあるごとに3課と対立しています。ストーリー的には敵方なのですが、登場するキャラはそれぞれ魅力的。場合によっては今後、3課との共働もあるかも知れませんね。

○戦場から帰還できない者たち--伍長の「同類」
 読み切りで登場した初回の敵、ヴォルマルフ中尉率いる903CTT化学戦術部隊は、伍長と同様「不可視の9番」でした。ページ数の関係でしょう、ヴォルフたちの戦時中の苦悩は一コマに凝縮されていますが、扱っていたのが化学兵器なだけに、事故で部下を失ったり、あるいは、データをとるためにわざと十分な装備を与えられなかったりという悲劇も想像されます。ヴォルフたちはおそらく、元々は正規の部隊だったのが、特別任務とでもいわれて化学兵器を扱う非正規部隊へと編成し直されたのではないでしょうか。少ないページ数の中では彼らに対する伍長の感情はあまり描写されていません。同類認定もヴォルフから伍長へと一方的です。
 「おまえは“こっち側”のはずだ、901…あんな奴らのために体を張ってどうなる…?」というヴォルフの言葉は、痛々しい。アニメへとメディア展開した時にこそ、この辺掘り下げて欲しかったですね。

 次に、早くも2巻で登場した908HTTのハンス。こちらも「不可視の9番」の一つである「単眼の火葬兵(アルト・シュミート・イェーガー)」唯一の生き残り。火炎放射兵装に身を包み、水では消せない超高温の炎で人間を焼き尽くす兵士です。元々は藪やバリケードなど進軍の障害物を焼却処理するための工兵装備だったのが、「やっちゃいけない殺し方」が出来てしまうことから、禁じ手の900番台に。
 ハンスの仲間たちは停戦後、防護服を脱いだために死んでいきます。高熱から彼らを守るはずの保護液が、実は火傷を自覚させないための麻酔薬でしかなかったために、防護服を脱ぐとたちまち、皮膚が崩れ落ちて死んでいきました。部隊の中で一番トロくさい奴であったろうハンスは、防護服を脱ぐのが遅れたために生き残り、停戦後3年、ずっと防護服を着たまま。食事と排泄には器具を使い、この先ずっと死ぬまで、防護服を脱ぐことは出来ないと自覚しています。
 ハンスからの同類認定(「ソノランタン、901ATT…。オレ「908」。…オレ、オマエ、仲間…」)をいったんは拒絶する伍長ですが(「901なもんか……俺はもう、陸情3課の…」)、ハンスを救いたい思いはつのります。伍長はハンスを殺さずに捕らえようとして、とどめを刺す前にランタンを消し、同類認定に応じようとしたその刹那、陸情1課の一斉射撃でハンスは殺されてしまいます。鼻水垂らして号泣する伍長。作中でも伍長はこの件からなかなか立ち直れませんでしたが、読んでるこっちも容易には立ち直れないヘヴィなエピソードでした。ハンスは、ヴォルフよりずっと伍長に似てたんですよね。境遇も、立ち位置も。

 もう一つは、6巻で登場のユーゼフ以下ベルタ砦の面々。軍人として、戦争に全てを懸けたが故に平和を拒み、停戦後、周辺の民間人を集めて軍事演習を強制、ついには村に攻撃を仕掛け、村人との戦闘の中であわよくば「戦死」しようと企てる狂気っぷり。
 (どうして勝手に共和国へ突撃しなかったのかという疑問はさておき、)ベルタ砦の部隊は「不可視の9番」ではなく正規軍ですが、伍長自ら同類認定。過酷な戦場を経験した者同士であり、「戦争」という怪物に捕まって帰って来れなくなった彼らの気持ちが、殺すしか能がないと自分を卑下している伍長には、分かってしまう。
 「同類の面倒は…見てあげたい…」という伍長の言葉に対し、村人が思わず「同類って…アンタ達とアイツラは違うよ!」と言い返します。自己評価の低い伍長には、時々こういう言葉が必要ですよね。コマ割りに余裕があれば、村人の言葉に小さく喜ぶ伍長の顔が見れたかも知れません。

○戦災復興を沮むもの--銀の車輪結社
 3課が関わったいくつかの事件の背後で糸を引いている秘密結社「銀の車輪」。
 作中では未だ、この結社の目的も成り立ちも語られてはいません。ただ、戦車の自動給弾装置やオートマチックの小銃など、作品世界にとってはオーバーテクノロジーにあたる技術を持っていて、それを惜しげもなく末端に与えたり、麻薬を売らせて詳細なデータを集めていたりすることが分かっているくらい。
 元少女小説家として、また全国一千万陰謀ファンの一人として、この秘密結社について考察してみましょう!

 時代の先を行く軍事技術を持っているのですから、
その1 自ら世界征服をたくらむシネシネ団である
その2 再び戦争を起こし戦火の拡大をもくろむ死の商人的結社である
 のどちらかなら、その2を推奨。

 また、秘密結社というからには、何らかの思想的結びつきがあってもいいでしょう。秘密結社が広める思想と言えば、「自由、平等、友愛」と相場が決まっています(ホント?)。すなわち、社会秩序の破壊(=自由)、万人の万人に対する闘争(=平等)、目に見える世界以外の超越的価値の否定(=友愛)。
 こっちの方面で行くと、銀の車輪が革命を煽るというパターンも考えられますかね。その際は、ホースト侯爵がオルレアン公の役回りか?

 まとめると、戦争や麻薬や革命や、とにかく世界を混乱させてうまい汁を吸おう系の人達と、焦土の後に新たな理想の世界を築こう系の人達が集まってるのが「銀の車輪」結社なんじゃないでしょうか…。終わらない混乱そのものが目的という方が、むしろ現実に近いかな?(←レオ様はこのタイプかも)

 いずれにしろ、この結社との対決がパンプキン・シザーズのラスボス戦ということになるのでしょうか? カウプラン機関がどう動くのかも、伍長の運命を左右する重大な要素ですが…。

 もしもこの作品が、銀の車輪結社を通して、戦災は決して必然ではなく、それによって利益を得るものが仕組んでいる、という一般解まで導き出すとしたら、すごいですね。すなわち、全ての戦災は人為戦災である…。

 ヘヴィなテーマを扱いながら、それぞれのキャラの魅力はもちろん、キャラ配置のバランスも良く、ギャグパートでは思いっきり笑えて、ストーリー展開も納得いくし、絵も綺麗。これだけの作品を描く作家が、ラストに向けて「一人また一人と仲間が死んでいく…」ような安易な展開はやらないと思うけど、伍長が最後どうなるかは不安が残ります。伍長が犠牲になれば読者を泣かせることは簡単にできちゃうけど、それはあまりにもなぁ…。
 3課の誰かが犠牲にならなきゃいけないとしたら、一番納得いくのは、実は恐ろしいことにアリス少尉だったりするんですよね。彼女は武門の誉れマルヴィン家出身の軍人だから、作戦中に命を落としてもいいんだよねぇ、本人的に。でも、アリスが死んで伍長が立ち直り可能なパターンというのは……出来ないことはないけどさ、それも切ないなぁ。物語の法則を発動するなら、レオ様がアリスや伍長を救っちゃうという結末も考えられますが…それをやる作者かどうかまでは、まだ読めないです。(るろ剣では雪代縁が薫ちゃんを助けるところで物語の法則が発動されましたね。これはある程度期待通りでした。)
 いずれにせよやはり、3課のみんなには全員生還して欲しいですよ。大波乱の後、陸情3課にいつもの日常が戻ってくることを願ってやみません。

 まだまだ先は長いと思うけど、当分は、伍長が可愛くて可哀想で心配でたまらない日々が続きそうです。

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戦災復興マンガ『パンプキン・シザーズ』 その1

 るろ剣トライガン以来、久々に入れ込み甲斐のあるマンガに出会いました。
 一部地域で深夜アニメ放映中の「パンプキン・シザーズ」の原作。今回は非暴力プロパーのマンガではないのですが、戦災復興部隊のお話です。

『Pumpkin Scissors』1~6巻 岩永亮太郎 講談社コミックス 月刊少年マガジン連載中

 舞台は架空のヨーロッパ、架空の二十世紀初頭というところでしょうか。戦車が無敵の陸戦兵器として花形であり、小銃は未だボルトアクション、民間では先ごめ式ピストルも使われていて、電信網は試験的な整備途上のため、軍隊では伝令犬が活躍中、軌道列車も自動車もあるけど、馬車もまだまだ現役、という感じの舞台設定です。

 フロスト共和国との長きにわたる戦争が、ようやく停戦を迎えて3年。アリス少尉率いる帝国陸軍情報部第3課、通称パンプキン・シザーズ小隊の任務は、「戦災復興」です。
 とある村で、野盗化した戦車隊と対決する第3課。たまたまその村にいた巨漢の復員兵オーランド伍長とともに戦車隊を撃退するところから物語が始まります。
 以下、例によってネタバレありです。

 野盗化した戦車隊は、実は戦時中、国際条約違反の化学兵器を使っていた903CTT(化学戦術部隊)「死灰を撒く病兵(クランクハイト・イェーガー)」を母体としていて、帝国軍部は彼らを存在しなかったものとして隠蔽しています。「不可視の9番(インヴィジブル・ナイン)」と呼ばれる、帝国が犯した禁じ手である900番台の非公式部隊の一つです。それ故、情報部は援軍を出すことを拒み、陸情3課は独力で奴らから村人を救わねばなりません。揮発性戦術毒キルヒ3号によって汚染された村を救うため、アリス少尉は野盗化兵が持っている抗体の確保をめざします。

 最強の陸戦兵器である戦車を持つ野盗に対し、わずか3人の部隊で立ち向かおうとするアリス少尉を、オーランド伍長は「無茶だ、それじゃ無駄死にだ」と止めようとしますが、少尉は逆に、「苦しむ民を見て、むさぼる悪を見て、貴様は何も感じていないのか?」と問い返します。「伍長(オマエ)こそ、本当の気持ちを無駄死にさせようとしているのではないか?」と。

 この言葉こそが、伍長の人生を完全に方向転換させるきっかけでした。ワケありげな伍長は、901ATTと刻印されたランタンを腰に下げ、「戦車は俺が何とかします」と作戦への協力を申し出、ほぼ単独で戦車を排除。その後アリス少尉によって、陸情3課に迎え入れられます。

○ランデル・オーランド伍長
 2メートルを軽く超える巨漢で、全身傷だらけ。戦時中には「不可視の9番」の一つ、「901ATT」すなわち「対戦車猟兵部隊」に所属した「命を無視された兵隊(ゲシュペンスト・イェーガー)」の生き残り。
 腰に下げたブルースチールのランタンを点けると、恐怖も痛みも感じなくなって、どんな怪我を負おうとも戦車に向かって歩き続け、大口径の対戦車拳銃「ドア・ノッカー」でゼロ距離射撃を敢行、戦車を撃破する。帝立科学研究所、通称カウプラン機関によって何らかの人体改造を施されている(涙)。
 ランタンのスイッチを入れると頭の中に「殺セ!!」コールが鳴り響き戦闘モードに入る伍長ですが、その間も本人の意識はあるらしく、戦闘終了を待たずに自らランタンを消すことも、いつの間にか出来るようになってます(これって本人的には大進歩だったのでは…?)。ただし、「殺セ」コールの強迫観念との葛藤は、なかなか辛い様子。
 ランタンonモードでも、別に素早く動けるとか筋力アップするとかじゃないので、強くなるわけじゃないんですよね……もしかして少年マンガの主人公離れした弱さではないでしょうか。どんな怪我をしても怯まないってだけなので、結果、伍長はいつも怪我まみれ。初回、2回目くらいまでは、対戦車のバトルシーンもちょっと格好良く描かれてたりするんですが、回が進むと痛々しさが増していくばかり。今のところ戦車は一度に一台しか出てきてませんが、多数の戦車を相手にランタンonなんてことにならないよう祈るばかりです。誰か伍長に、まずキャタピラを狙って動きを止めるとか、砲塔の接合部を狙って砲撃を無力化するとか、合理的な戦術を入れ知恵してあげて下さいヨ。

 普段の伍長はというと、その巨体に反して、単発銃を向けられただけで震え上がるほど臆病で、気が弱くおとなしくて、蚤の心臓というかガラスの心臓というか、本当は虫も殺せないくらい優しい奴です。ただし、摘んで捨てたくなるようなウジウジキャラとは違い、伍長はおとなしいけど言葉足らずではなく、言うべきことはちゃんと相手に伝えられるコミュニケーション能力も持っています。
 ちなみにアスパラサラダやポテトサラダばかり注文するベジタリアン系(町の定食屋じゃ、サラダにもベーコンが入ってるかも知れないし、ポテトだってチキンスープで煮てあるかも知れませんが、ともかく肉は食えない)。3課に配属後も(何故か)橋の下で野良猫たちと暮らしています。冬の寒さが心配です。

 気が弱く臆病な伍長ですが、ちゃんと一かけらの勇気を持っている人でもあります。野盗化兵たちが戦車を持っていると知れば、それは自分の仕事だ、と、ほとんど反射的に引き受けてしまう。根が利他的な人間に、本物の臆病者はいません。

 「ランタン付けてりゃ殺しまくりで、ランタンなしじゃ、何も出来ない…」というのが伍長の自己認識だったのですが、アリス少尉との出会いから、殺す以外にも出来ることがあるんじゃないかと模索中。
 「世界から見ればほんの一部ではあるけれど、伍長(オマエ)がなしえた“戦災復興”だ!!」という少尉の言葉に、体ふるわせて感動する伍長(かわいすぎ)。この言葉が、停戦後の時代を生きるよすがとなったようです。
 橋の下で猫まみれになりながら、夜ごと戦場の悪夢や、殺した人たちに泥沼に引きずり込まれる悪夢にうなされているのですが、最近は悪夢の最後に少尉が出てきて、「何をしている、伍長? 戦災復興だ!!」と笑顔で引っ張り上げてくれるようになったりもしました。伍長の中でアリス少尉の偶像化が進むのも無理はありません。(脱・偶像のエピソードもちゃんとあります!)

 傷まみれはともかく、美形でもない巨漢なんて完全にストライクゾーンの外だったはずなんですが……伍長は私の大好きな「時代に翻弄され」キャラ。
 900番台の非公式部隊出身である彼は、腰と脳に「鏡写しの冬虫夏草」を植え付けられていて、どうやらそれがランタンとともに彼の異常な戦闘能力の秘密らしい。冬虫夏草が成長しちゃうとどうなるのか、そうじゃなくても無茶な戦い方ばかりして先があるのか、心配はつきません。

 そんな伍長の必殺技は「ドア・ノッカー(大口径銃)」よりも、むしろ「ごめんなさい…」ではないかと。他にも、オロオロする、困る、しゅんとなる、「あう、あう」と狼狽える、ジャガイモを眺めるなどの、視覚性戦術萌えを多数装備、キュン死者多数。ファンの間ではすっかり“ヒロイン認定”されて総受け状態(←専門用語)です。

 →その2

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May 10, 2004

春風Co.,Ltd.,

 坂田靖子さんのファンタジー漫画『水の森綺譚』の5巻に、「春風Co.,Ltd.,」というお話がある。
 そよぐ春風に「気持ちいいなぁ」と主人公が呟くと、どこからとも無く春風請求書が届く。支払いを拒否すると「姿」を差し押さえられ、透明人間になってしまう。が、主人公は逆に「これなら魚に気付かれない」と、大好きな釣りに行くのだが、湖にはいつの間にか有料釣り堀の看板が! 怒った主人公は気弱な友達を連れて反撃に出る…というお話。

 徹頭徹尾ファンタジーなのだけど、実に、見事に、「自由化・民営化」問題を突っついてる。
 勝手に吹いてくる春風を有料化するなんて、いかにもファンタジーの悪役的なナンセンスだけど、現実世界でも似たようなことが起きてる。
 大昔からの「暮らしの知恵」だった植物の薬効を企業が“知的所有権”で囲い込み、それまで何百年何千年とそれらの植物を利用してきた人々が、特許料を払わなければ使えないようにしてしまう……なんてことが行われようとしてる(たとえば、危うく特許取り消しに成功したインドのニームの木など→こちら)。
 人が生きていくために不可欠な「水」の供給は、日本ではまだ今のところ公的に行われているが、これが規制緩和の掛け声のもとに民間企業に任されると、アトランタのように茶色い水が出るなどサービスの低下が目立ったり(こちら)、さらに深刻なのは、料金アップにより貧困層が水道を使えなくなり、不衛生な雨水などを利用せざるを得なくなるなどの問題が起きている(たとえばこちらなど)。

 「春風Co.,Ltd.,」では、主人公は春風で苗が倒れたと損害賠償を請求し、さらに太陽の光と朝夕の露と空から降る雨を自分のものだと逆に主張して、有料釣り堀となった湖の魚や魚の卵がそれらを利用する料金を請求する、という反撃に出る。ナンセンスにナンセンスで対抗する胸のすく反撃だが……現実ではそうも行かないよね。

 自由化・民営化というのも市場原理主義に基づくグローバル化の流れの一側面で、それをファンタジーで寓話化するというのは……私にとって尽きせぬ野望だなぁ。「春風Co.,Ltd.,」を読んだとき、やられたぁ!と声を上げました。

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March 29, 2004

佐々木淳子サン新刊『リュオン』

 でかい口たたいておきながら実はなつをさんのサイトを見るまで知らなくて遅くなりましたが、SFを描いてほしい描いてほしいと願っていた佐々木淳子さんの新刊『リュオン』(冬幻舎コミックス)、昨日買ってきて読み終わりました。

 ダークグリーンの後日談「リュオン」は、2002年に雑誌掲載されたとき読んでいましたが、さらにその後のリュオンが『那由他』のストーリーの古代世界へ、そして『ブレーメン5』の世界へと迷い込む2作の書き下ろしが読めます(嬉っ)。その他にも過去に雑誌掲載された単行本未収録の短編数本と、後書き漫画を含めて300ページを超える分厚さです。

 何しろ懐かしの面々に会えたことが、まずは嬉しいなぁって感じです。そしてショートショートながらも「最後の海」「モデル1」は、That's 佐々木SFのセンス!! 『Who!』を読んだときのドキドキを思い出しました。私としては『青い竜の谷』も大好きなので、後日談なり外伝なりが読めたらよかったのにという気持ちもありますけどね。

 ダークグリーンの続編 「リュオン 」は、破滅への因子の象徴であるゼルを倒すために戦った本編から時は経ち、ゼルをすべて倒すのではなく、調和の象徴であるフィーン・フィールドとバランスがとれるようになる日がいつか来ることを願う…という物語。とても納得できるものです。ただ、そのテーマの重さに見合う感動があったかというと…キャラへの懐かしさが先に立って、物語の感動(心を動かされる)という点では、やや薄いかなぁとも思います。本編が凄すぎたんだけどね。
 那由他の続編「ターン」は、三千年前のソズの時代。いびつな発展・繁栄を誇る文明への批判を込めた物語になっていて、読み応えがありました。本編ではほとんど描かれなかったターンという少年と、本編とはほとんど別人みたいに若いソズが中心に描かれているので、キャラに引っ張られずにお話を楽しめたのも良かったかもしれません。
 ブレーメン5の続編「ヒュウ」は、何しろ楽しそうなキャラたちのにぎやかなお話。ブレ5の世界はいつも、未来への希望とか自分たちで切り拓いていく意志とかが描かれているので、いわゆるSFの楽天性みたいなのが一番強いシリーズかなって思います。ヒュウのお祖父ちゃんらしき立派な黒豹が、本当にカッコ良く立派に描かれていて、半人半獣のヒュウの物語として素敵でした。

 ひねりのきいたショートストーリーやスケールの大きな長編を、またどんどん描いてほしいなーと、改めて思ってしまう作家さんです。

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September 10, 2002

ディスカバリー木原敏江

 残暑で廃人!というか、年中無休で開店休業!っていうか、そんな今日この頃です。

★実家で古い少女漫画を読んで以来(姉の蔵書)、なんとなく「ディスカバリー、木原敏江」という気分になっています。

 十代の頃に読んで、好きでしたよ、好きといえば。
 「天まであがれ!」「王子様がいいの!」「銀河荘なの!」「日なたへ日かげへのロマンス」……。何度泣かされたか知れないし、新作を楽しみにしていた作家さんの一人でした。
 でも、「摩利と真吾」のラストがイマイチだった……という思いもあり、その後はあんまり注目してなかったんですね。文庫化されたのを見かけていても、手が伸びなかった。
 それがこの夏、実家で久しぶりに「…いいの!」や「…なの!」を読んで、やっばいいわー、この人!と思い、はまってしまいました。

 木原敏江さんの特色として認識していたのは、「とってもいい子」な主人公キャラに、まったく嫌味がなく共感できること(それ自体珍しいし、私がいい子キャラを嫌わないのは、ものすごく珍しい)。それとエンディングの処理が並外れて上手で、泣かせる。モノローグや語りが詩的で美しい。

 それとともに、物語世界の構築の仕方に、愛すべきルーズさがあるのも木原敏江さんの持ち味かなと思います。説明しにくいんですが、池田理代子や山岸涼子、竹宮恵子、萩尾望都あたりと比べて、私はなんとなく木原敏江さんの漫画は「お高くない」印象を持ってたんです。基本的にシリアスな作品であっても、青池保子のコメディに近いようなルーズさを感じるんです。名香智子も少し近いかな。
 物語世界に引き込まれ、活き活きしたキャラクターに共感しながらも、木原敏江さんの漫画では「ありそうな出来事」「いそうなキャラ」を感じることはあまりなく、こちら側のリアルに触れることもなかった気がします。愛すべきお伽話だから「お高くない」。それが評価の低さにつながっちゃいかねないとも思うけど。
 「摩利と真吾」ぐらいまでの絵柄が、お目目パッチリ睫毛バサバサなこともあり、男性の少女漫画ファンに木原敏江ファンが少ないような気もします。大島弓子や萩尾望都の「感性の繊細さ」とは、どこか別種の繊細さがあるのだけどね……。

 文庫で「夢の碑」シリーズなど買い込み、90年代以降の木原敏江さんの作品を読んで感じたのは、意外なことに、「山岸涼子化」している……という印象でした。キャラの感情表現で、表情の崩し方が独特の大胆さを増し、それが私には「ええー、山岸涼子が描きそうな顔だー」と思えたのです。でも、陰惨さがなく後味は哀しくてもサラリとしている……これが木原敏江の味。
 年をとるにつれ作品がヘヴィーになっていく作家というのはめったにいないし、木原さんの場合も軽みが増してはいるのだけど、描かれるキャラの感情は、業を積んできてるような気がします。

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May 18, 2002

佐々木淳子さんの新作が読みたい! SFマンガの奇才・佐々木淳子

『ダークグリーン』 メディアファクトリー文庫より全3巻(1983~87小学館)
『青い竜の谷』 全6巻 角川あすかコミックス(1990~92)ほか。

 今どきSFが流行らないのも、「子供たちの理科系離れ」も、算数が難しいせいじゃないと思うのね。
 ウルトラマンだって「地球のため」に戦うか、「人間のため」に闘うか、悩む時代なんだもの、「科学が拓く明るい未来」なんかにワクワクしてられない、ってだけじゃなかろか。環境浄化学科をたくさん新設すれば、すぐに理科系人気は回復すると思うんだけどな>文部科学省さん。

 そんなわけで、もうずいぶん前から、SFはエコな課題に何らかの応答を求められてきたと思うの。(展開が無理矢理? いいのよ、理屈じゃないもん。時代の気分の話だもん)
 今の時代、SFはエコであらざるを得ない、のだ。たぶん。
 「欲望は人間の業だ」で片付ける偽悪趣味も、「環境破壊は農業開始以来の一続きの不可避な流れだ」て済まそうとする転倒した楽観主義も、私はうんざりしてますケド。

 エコな課題に取り組んで、しかもSFのドキドキワクワクを見せてくれたSF作家で忘れられないのが、佐々木淳子さん。
 何だよ、マンガじゃんか、などと言うなかれ。趣味嗜好の問題はあるでしょうけど、佐々木淳子さんは日本SF界屈指の才能だと思いますよ。
 英語で小説にしてれば、とっくにヒューゴー/ネビュラ賞とってたんじゃないかと……いや、マジで。

 世界中の人間が同じ夢を見た……というところから始まる『ダークグリーン』は、地球と人類の運命を巡る大冒険に発展する、意識下世界の思弁的ファンタジー。滅亡のヴィジョンの鮮やかな提示は、今読み返しても、良く出来てるなーと思う。
 『青い竜の谷』は、白亜紀と現代を舞台にダイナミックに展開するタイム・ジャンプ&恐竜モノ(M.クライトンより前だよ~ん)。現代の汚染された大気と海水を、白亜紀のきれいなヤツと取り替えてしまおう、ってゆう、チョー時代を超えた植民地主義が描かれてたりして、本質的に鋭い作者だなーと思います。

 旧作の文庫化は進んでるみたいなんですが(メディア・ファクトリー)、佐々木淳子さんの新作長編には、もうずーっとお目にかかってないです。
 近頃はうさぎマンガを描いてらっしゃるという……いや、うさぎも可愛いんだけど。
 でもね、彼女ほどの才能にSF描かせないなんて……日本のSF業界は何やっとんじゃ(怒ッ)

 なので、皆さん、佐々木淳子さんの新作SFが読みたいよー、という署名に協力しましょう。
  →こちら
 詳しいデータもある佐々木淳子ファン・サイト(非公認)R-DREAMINGは、ここからどうぞ
も一つおまけに応援サイトもどぞ。

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November 08, 2001

非暴力漫画シリーズ2 トライガン & トライガン・マキシマム

内藤泰弘 TRIGUN 全3巻 徳間書店
TRIGUN MAXIMUM 1~9(YOUNG KING OURs連載中) 少年画報社

詰まらんとばっちりで話題になりましたが、腹を立てるのはたいがいにしとこうと思いました。
あたしのマスコミ嫌いは昨日今日に始まったことじゃないしな。
だってヴァッシュは「悪者扱い」には慣れっこで、でも全然傷つかないほど心は頑なじゃなくて、それでも、笑顔でいられる強さも、揺るがない真実も持ってること、私たちファンは知ってる。
だから心無い報道にも、ヴァッシュならヘラヘラ笑って頭でも掻いてるんじゃないかな~。
事件を起こした少年に向かっては、きっと、「人様にメーワクかけたらまずゴメンナサイだろーがッッ」とか言ってしばきつつも(ゴメンナサイとアリガトウが言えない子供にヴァッシュは意外と厳しかった in トライガン1巻)、「友達になろうよ」光線バリバリで近づいていくんじゃないかな……。
「未来への切符はいつも白紙だ」
レムも、ヴァッシュも、繰り返し読者にメッセージを投げ掛けてくれた。
だから事件を起こした少年にも、もう一度そのメッセージを届けてあげたいよ。
彼がトライガンを、読み返すことが出来たらいいな。
ヴァッシュは彼のような子供にこそ言いたかったんだと思う。

「じゃあ、仕切り直せよ。死なせるな、裏切るな。幸せを掴め、夢を語れ!! 未来への切符は……いつも、白紙なんだ」

 一部ネタバレあり

 舞台は熱砂の惑星。
 星間移民船団は、降り注ぐようにその惑星に不時着し、生き残ったわずか数%の命が、大地にしがみつくように命を繋いできた。それから150年……
 ……という設定の、SF西部劇タッチの非暴力マンガ(暴力シーンあり)。お気に入りです。

ヴァッシュ・ザ・スタンピード
 主人公は、情けないほどの平和主義者。「愛というカゲロウを追い続ける平和の狩人……みたいなカンジ?」(本人談)。
 その名もスタンピード(stampede 「とっとと逃げ出す」の意)──逃げのヴァッシュ……暴走とも言うが。
 本人は平和主義だが、「慢性トラブル症の危険人物」(メリル談)で、多額の賞金がその首に掛かっているお尋ね者でもある(後に賞金は取り下げられ、人間初の局地災害指定を受ける。曰く、人間台風)。
 普段はヘラヘラしていて町のガキどもにアゴでこき使われる始末。争いを好まずなぁなぁで済まそうとする事なかれ主義者であるが、困っている人をほっとけない(→だから、どこに行ってもトラブる)。

 奇跡のような早撃ちの腕を持っているのだが、いざ撃ち合いにまで追い込まれても、傷だらけになりながら相手の急所ははずす。たとえ相手がどんな「悪人」でも、殺人鬼でも。

 彼の設定は当初、謎めいていて、どうやら150年前の移民船団墜落の当事者らしいのだが……

ヴァッシュが命を愛する理由
 150年前、墜落していく移民船団を、自分の命と引き替えに、全滅から救った女性がいる。レム・セイブレム。ヴァッシュの心のヒトである。
 この手の「心のヒト」キャラは、「大切な」「憧れの」という以外にわりと中身のないキャラになりがちだが、レムは違う。
 女の私が見ても、信念を持ち、行動する勇気と決断力を持った、いい女だ。
 レムは、母星・地球を死に追いやった(愚かな)人間たちの「延命行為」である星間移民を、「それでも、生きようとする意志がここにはあるわ」と、強く肯定。
 ヴァッシュは彼女が守った命を、守り続けようとしている。

「いのちの灯がひとつでも消えると 彼女はきっと悲しむ」
 ヴァッシュは、彼女が死んでからの長い日々の中で、繰り返し、心の中のレムと対話する。
 「プラント」と呼ばれる生体機器の生産能力に頼らねば生きられない過酷な熱砂の惑星で、奪い合い、争い合う人間たちに巻き込まれ、ヴァッシュは思う。
「そんな所で、そうまでして、何の為に人は生きてるんだろう」
 レムは微笑む。
「私は、生まれた時に手わたされた切符が白紙なのにドキドキしてる。
征き先[なにができるか]を自分の胸に訊くだけで精いっぱいだよ」
 このシーンは、アニメ版の演出もよかった。町中で破壊を繰り広げる追っ手をついに追い詰めたヴァッシュが、その追っ手の頭に銃口を突きつけながら、レムのこの言葉を思い出し……そして、ヴァッシュ自身、「精いっぱいだよ……」と泣きながら呟く。もちろん、ヴァッシュは追っ手を撃たないさ!

メリル & ミリィ

 レギュラーで登場する女性キャラは、「局地災害」指定されたヴァッシュの「リスク回避業務」のために派遣された、保険会社のOL二人組という、ちょっと気の利いた設定だ。

 のほほんとマイペースな二人は、けっこうな修羅場に遭遇してもヴァッシュの真実を見失わないでいてくれる存在だ。
「確かに何度も危ない目には遭いましたけども、
 ヴァッシュさんは皆が思っているのとは全く違って
 『人間として』ごくまともな方でしたから……」

ニコラス・D・ウルフウッド

 でっかい十字架の包み(実は中身は銃器)を背負って旅するヤクザなグラサン・黒服、なぜか関西弁の巡回牧師。
 教会でひきとった子供たちのために、牧師以外の裏稼業でも稼いでいるのだが……

 旅の途中でヴァッシュやミリ・メリたちと知り合い、やがてヴァッシュと行動をともにしながら深く関わっていくことになる。
 無印「トライガン」3巻より登場。でも、本領発揮は「マキシマム」突入後ですね。

 ウルフウッドの手は血で汚れている。彼の葛藤は、とてもよく描かれている。
 ヴァッシュの「殺さない」信念と、彼は繰り返し対立し、それが物語に深みを与えてくれる。
「しゃあないやろ。
 誰かが牙にならんと
 誰かが泣くことになるんや……」

「ワイはな、トンガリ(注・ヴァッシュのこと)……
 絶対に死ねへんのや、ガキ共のためにな。
 危ないと思たらためらいなく引き金を引く。
 祈りながら。
 頭に二発、心臓に二発」
 ヴァッシュのようにギリギリまで遊んでる余裕はない、という彼に、ヴァッシュは答える。
「……余裕なんかじゃないよ…
 …そんなんじゃない……
 ただ……ずっと考えてるのに
 答えがわからないだけだ……」
 ウルフウッドがヴァッシュへの非難、懐疑を表明するたびに、作者は、ヴァッシュに何かを答えさせている。それが完全な「解答」ではなくとも。
「一人も殺せん奴に、一人も救えるもんかい。
 ワシら神さまと違うねん。
 万能でないだけ鬼にもならなアカン……」
「ウルフウッド……
 でも、やっぱり、それは言葉だ。
 今そこで人が死のうとしている
 僕には その方が重い」

「弱虫はおまえのほうだ ウルフウッド
 なんでもかんでもあっさり見限ってる……」
 読者が、ヴァッシュの考えを甘いと見るかどうかは、当然、読者に任されている。
 でも、ウルフウッドの血まみれの覚悟なしにヴァッシュを非難するのは、それこそキレイごとの偽善(っつーか偽悪ぅ?)じゃなかろうかと私は思う。

 アニメでのウルフウッドには、最後、泣かされてしまいましたが、マンガではまだまだこれからです。
 何とか、彼の祈りが届くような展開を願ってます。重たい十字架を背負って、それでも、ウルフウッドが引き金を引かずに済むことを……


ナイヴス、レガート、GUNG-HO-GUNS

 ヴァッシュの「兄弟」であり光に対する影であるナイヴスは、人類を深く憎悪している。
 もうほとんどイッてしまっている御方として描かれているから、個人的に共感はないけど、まぁ、人間がろくでもないもんだってのは、今の地球を見りゃ大概明らかだよね。人間がいなくなれば、地球はきれいになるだろうって、私だって考えるもんな。

 そのナイヴスに仕えるレガート。
 アニメ版では「私は無に帰りたい」なんて言うセリフもあった。
 彼の闇も、今後もっと描かれることを期待します。
 そして、たとえヴァッシュがレガートに引き金を引くことになるのだとしても、アニメの時のように「自分が人を殺した」ことだけに打ちのめされるのではなく、ヴァッシュが、レガートの死をほんとうに哀しめるよう願います。(パーム・シリーズ「殺人衝動」で、JBはサロニーを殺したけど、サロニーは「救われてる」……レガートも、物語で救ってあげて欲しい)

 ヴァッシュを追い詰めるために繰り出される「魔人」たち──GUNG-HO-GUNS。
 それぞれに個性あり、葛藤ありの魅力的な敵キャラたちだけど……今のところ、ヴァッシュも物語も、彼らのうち一人も「救えて」ないような気がする。5巻に収録される部分では、ちょっと違う展開もあるらしいので、期待してます。

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July 05, 2001

ゴーショーグン、知ってますか?

 ああ……買ってしまいました。「戦国魔神ゴーショーグン DVD-BOX」。やっぱ私、ダメ人間かも知んない。でも、モモリスに触れたシュドー・チャイルドとしては、日銭が入るとふらふら手がでてしまうのよ……(意味不明な方、ごめんなさいね)。

 原案・脚本 首藤剛志、演出・監督 湯山邦彦……といえば、今はポケモンで一世風靡してるコンビですが、ゴーショーグンは首藤・湯山コンビの元祖。私はゴーショーグン以来、首藤先生のファンで、ミンキーモモとこのゴーショーグンが、けっこう青春の記念碑なわけです。
 若い世代の方たちがゴーショーグンを知ってるとしたら、スーパーロボット大戦で知ったか、アニメ・チャンネルで再放送されたのを見たかでしょう。たぶん、今の人が見ても、けっこう面白くて変なアニメだと思います。

 オモチャ屋さんがスポンサーのロボットアニメでありながら、当時まだ珍しかった大人の会話劇で、誰も死なない最終回というのも、とても珍しかった。会話劇としては……J9シリーズやカウボーイ・ビバップなんかの先駆けと言えるのかも。
 作画や動画は、まぁ、当時の平均的な予算の限界で、ちと辛いところはあるけどもね。「一生懸命、透過光つかいましたっ」って時代ですよ、当時の最新ギジツ。

 ゴーショーグンの魅力は、やはりキャラの個性に尽きると思います。大人になるのも悪くないな……と思わせてくれるキャラクターたちでした。大人の役目って、それで充分かも知んない。
 主人公側のメンバーは、戦闘中も冗談を言い合って雇われファイターのスタンスを崩さない。正義のために命を懸ける覚悟なんて、さらさらない。振り回すような正義を持っちゃいないと自覚しつつ、でも、譲れない一線はちゃんとあったりして。
 国連平和部隊破壊工作員上がりの真吾。
 ヨーロッパでスパイやってたのが任務に失敗して処刑されるところを拾われてきたレミー。
 ブロンクスのギャングで懲役200年を宣告されて逃げ込んできたキリー。
 もちろん敵キャラもそれぞれ魅力的。
 片目で肩にはカラス、精神安定剤を手放せない製薬会社社長、大国の大統領候補でもあるカットナル。
 元ボクシングのヘビー級チャンピオンで、外食産業チェーンの社長でもある愛妻家のケルナグール。
 片手に赤いバラ、片手にブランデー、二言目には「美しい……」と独自の美学を振り回す情報局長ブンドルさんなんか、もー衝撃的でした(塩沢兼人さんのお声が、また、異常に素晴らしくて……合掌)。
 アクの強いメインキャラ6人は、その後、敵味方の垣根を越えて小説版でともに活躍を続けました。アニメージュ文庫から8冊でたところで、中断のままかれこれ10年です。

 今回のDVD-BOXには、劇場版とOVA『時の異邦人』も含まれてます。劇場版は、テレビ放映された中から二話をつなげて、途中に爆笑もののCMを挟むという反則技のゲリラ攻撃。制作側も「二度とはできない」と仰っておられます。

 『時の異邦人』の方は、ちゃんと力の入ったOVAで……これが思春期のバイブルだった方、実はけっこうおいでになるのではと思うのですが。
 たどり着いた砂漠の町で、6人は自らの死を予告する「運命の手紙」を受け取る。素直に死を待つタマじゃないもんで、運命に逆らう彼らに町の住人たちは憎悪と敵意を向ける。
 2日後の死を予告されたレミーの、運命との戦いがメインのストーリーなんですが、同時に、子供の頃のレミーと、年老いて交通事故で死にそうなレミーの時間軸も挿入されるという、ちょっと洒落た作りで、「運命に逆らうことの意味」をテーマにしています。(→詳しい紹介は那智さんのサイトのこちらのページでどうぞ)
 ほかにこちらなども。

 十代の頃、私は首藤先生に影響を受けまくりで……考えてみればコバルトで書いてたシャラナのシリーズも、ミンキーモモとレミーちゃんのちょうど中間の年齢で同じタイプのヒロインが書きたかったんですね。オリジナリティないっす(髪ピンクだったしさぁ)。
 最初の頃は、首藤先生も小説が上手とは言い難かったけど、ストーリーテリングは天才的だし、脳天気なキャラにシリアスなテーマでドラマ性ありまくりだし。こんなふうにお話書きたいって、すごく思ってました。展開の早さとか、すごく学ばせていただきました。

 でも……本当言うと、小説版のゴーショーグンにしろ、「永遠のフィレーナ」(小説オリジナル、アニメージュ文庫から全9巻)にしろ、首藤先生の描く異世界って、私にはそれ程ジャスト・フィットしない。歴史とか科学に対する考え方が、だいぶ違うから。
 だからむしろ、ゴーショーグンなら最初の2冊や番外編の「幕末豪将軍」、それから「都立高校独立国」(オリジナル。アニメージュ文庫上下巻)みたいな現実世界ベースのお話の方が好きだったりする(同じ番外編歴史物でも「美しき黄昏のパバーヌ」は、【暗黒の中世】観が鼻について、ちょっとダメなんだけど。【中世お気楽楽園説】だから、私)。
 世界観は今一フィットしないんだけど、どんな世界であれ、その中で生きてるキャラクターは、すごく魅力的で共感できちゃったりするのよね。今でも、好きな作家の一人にあげてしまうのです。
 ゴーショーグンを見てみたいという方、京都まで来ていただければ、ぜひとも我が家で鑑賞会やりましょう(^_^;)

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May 23, 2001

非暴力漫画シリーズ るろうに剣心

『るろうに剣心』全28巻 和月伸宏 集英社ジャンプコミックス

幕末に「人斬り抜刀斎(ばっとうさい)」と呼ばれ、恐れられた緋村剣心。
新時代明治をおのれの血刀で斬り拓いたはずの彼は、
新政府幹部となったかつての志士仲間の前から姿を消し……

──やがて明治十年。
文明開化の東京に、一人の流浪人(るろうに)が現れる。
廃刀令を無視して腰に帯びるのは、逆刃刀。
……峰と刃を常とは逆に打って、普通に振るっても人を殺めることのない、奇妙な刀。
彼は「不殺(ころさず)」の信念をもって、目に映る人々の小さな幸せを守ろうとする、お人好しの、剣の達人だった。

やっぱりネタバレあり

 「人々が安心して生きられる時代」が来ることを信じて、幕末の動乱に身を投じた剣心。
 自らの手を血に染めて、心に深い傷を負い、悲しみを抱えながら、明治も十年経った時代に、彼は「不殺」のるろうにとして生きようとしていた。それが、自分が殺めた人々への償いになると信じて……。

 バトルを見せる少年マンガにとっては、たぶん新境地だったんじゃないでしょうか……「不殺生」自体をテーマに据えた少年マンガの、もしかしたら元祖?
 そしてこれは、とても質の高い、非暴力マンガです。
 ついでにギャグ・センスも秀逸。

不殺 ころさず
 「不殺」が、単に「殺さない」というストーリー展開上のルールではなく、作品そのものを貫く重要なテーマであることを、作者の和月先生は作品の一等最初から示しています。
  連載の初回で剣心が出逢うのは、「人を活かす剣」を志す神谷活心流の師範代、神谷 薫という少女です。
 剣心の殺人剣 飛天御剣流とは対極にある活人剣が登場するのです。
 殺人剣の達人が不殺の誓いをたてたという矛盾に加え、殺人剣と活人剣の出逢いという矛盾が、物語の通底音となっていきます。
 剣心は、

「剣は凶器、剣術は殺人術」
 と認め、薫の語る活人剣の理想を、
「甘っちょろい戯れ言」
 と認めます。
 が、それでも尚、そんな甘っちょろい戯れ言の方が、
「拙者は好きでござる」
 と言って憚らないのです。

 剣心の剣術の流儀、飛天御剣流は、戦国時代に発する最強の殺人剣として設定されています。
「いわば陸の黒船だ」
 とは、剣心の師匠、比古清十郎の弁。
 味方に付いた方が、確実に勝利してしまうほどの強さ故に、飛天御剣流の理は、いかなる権力にも与してはならないと教えます。
 強い力で「正義」を実現しても、必ずどこかにゆがみが出る。
 強すぎる力を持っていても、所詮、一人の人間でしかない己に、背負いきれてしまうほど、世界は軽くない。
 実際、幼い剣心を拾うまでの比古師匠は、黒船来航以来の騒がしい世情の片隅で、それこそ「目に映る」弱者のために、野盗なんぞをバッタバッタと斬り捨てていたらしいことが描かれています。
 斬り捨てられちゃった盗賊たちの人生はどうなるの~っ、という尤もな疑問には、きっと比古師匠が墓場まで背負っていくのでしょう、としかお答えできませんけども。比古師匠は、「るろ剣」ナンバー1のいい男なんで、その辺は信じてあげて下さい。

 陸の黒船たる飛天御剣流には、流儀の理を具現化する仕組みが内包されています。
 最強の奥義は、師匠を破ることによってしか会得できない。
 つまり、奥義の伝授が成功することは、すなわち弟子の師匠殺しを意味するのです。
 逆に伝授が成功しなければ、弟子は師匠に殺されてしまう。
 師匠から独立して一人前になって世間に出て行く、その最初の一歩に、「師匠殺し」というヘヴィな運命が位置づけられている流儀なのです。いやでも命のやり取りの意味を刻みつけられて、独り立ちするわけですね。

 実は剣心は、物語の途中まで、奥義の伝授を受けていません。
 奥義を伝授される前に、少年剣心は動乱に身を投じ、長州藩に拾われて人斬りになってしまったのです。
 それが明治も十年経って、今のままの自分では立ち向かえない敵に出逢って、師匠の元に出戻り、奥義の伝授をお願いする羽目になります。

 剣心は逆刃刀でこの伝授にのぞみ、結果、比古師匠は奇跡的に一命を取り留めます。
 ここで、戦国期以来の飛天御剣流の歴史に、新たな道が開けたことになるんじゃないかな、と、私は思います。
 「新たな道」と言っても「未来に続く御剣流」という意味ではありません。剣心は飛天御剣流を後世に伝える気はないと公言してますし、比古師匠にしたって、剣心を拾うまでは、自分で終りにするつもりだったと思います。
 だから、「これで御剣流も、やっと終れる」というニュアンスなんですが。
 物語全体としては、活人剣の神谷活心流の今後が、より重要になってくるわけです。

 比古師匠がいい男、って点に関して。
 比古師匠、はっきり言って主人公より強いという掟破りなキャラです。
 闘いぶりも余裕綽々です。
 「俺は手加減しねぇ」とか言いつつ、さり気なく峰打ちにしてたりするところもかっこいいです。
 たぶん、昔の師匠だったら切り伏せてるところなんでしょうが、師匠だって剣心や剣心の仲間たちと出逢って、何かを得ているんでしょうね。
 自分は見付けられなかった未来を、「負うた子に教えられる」面が、言葉には出しませんが、何かあるのだろうと思います。

 そしてね、師匠が剣心を拾ったときのチョットいい話。
 人買いに買われて行くところを野盗に襲われて、剣心は師匠に助けられるのですが、一緒に売られて行くところだった娘たちは既に殺されちゃってて、師匠は間に合わない。
「一歩遅かったか。俺も万能じゃねぇんだ、悪く思うなよ」
 と師匠。
 呆然としているチビ剣心(幼名・心太)に人里の方角だけ教えて、一旦は置き去りにする世捨て人ぶり。
 けどさり気なく、数日後に酒を買いに里に下りたついでに、少年の行方を尋ねます。
 そんな子は来てないと言われた師匠は、もう死んだか……と思いつつ現場に戻ります。
 すると剣心、娘たちばかりか人買いや野盗にまで、墓を作ってやっています。
「死んでしまえば、みんな同じだから」
 と剣心は呟きます。
 ここまで見て、初めて、比古師匠は剣心を拾って育てる決意をします。剣の素質よりも、人間としての資質を見て決意したのです。
 そして、師匠は剣心にこう言います。
「お前には、俺の飛天御剣流(とっておき)を教えてやる」
 この台詞、すごいんです。
 飛天御剣流を伝授すると言うことは、いつかこの子に、自分は殺される、ってこと。
 だからこの台詞、「お前には、俺の命をくれてやる」という意味ですよね。
 これ以上のものを、誰が与えてくれるでしょう。
 ……なのにもー、剣心ったら、師匠の言うこと聞かずに奥義も伝授されない前に維新志士に与して、勝手に傷付いちゃって……。
 ま、その後の剣心があればこそ、師匠も新しい光を見ることが出来たんでしょうが。

新時代、明治
 幕末の動乱を経てやっと訪れた新時代、明治。
 けれど、動乱の中で血まみれになりながら信じた理想が実現したわけではないことを、和月先生はかなりちゃんと描いています。
 威張り腐った官憲を描くぐらいなら凡百の作家でもやるでしょうが、赤報隊が出てくるところなんざ、わたしゃ度肝を抜かれました。
 御存知ない方のために赤報隊について。
 鳥羽・伏見の戦の後に作られた官軍の先鋒隊で、年貢半減令を布告しながら明治の新政を民衆に伝えて東へと進軍。しかし、財政難の新政府は年貢半減を撤回。
 一番隊隊長の相良総三は、なおも世直しを信じ進軍を続けるが、新政府によって〈偽官軍〉の汚名を着せられて、信州下諏訪で処刑。29年の短い生涯を閉じる。
  で、しかも、赤報隊のことを一過性のエピソードとしてではなく、重要なレギュラー・キャラ 左之助の過去に位置づけて、物語り全体の流れに組み込んでしまう度量の大きさ!
 実は私は、左之助の過去が一番暗くて重たいと思ってるんです。
 剣心の負った傷は、いわば自業自得なところがあるんですが、左之助の場合は完全に時代に翻弄され、理想(というか少年の夢と憧れ)を踏みにじられてる。
 でも、キャラとしては左之助が一番脳天気で明るい。
 もし、もうちょっと考え込むキャラにしちゃったら、少年マンガではとても扱いきれない暗さが出てしまうところを、カラリと明るいキャラで、しかも不足なく描いてしまうところが和月先生のすごいところだと思います。

 剣心の周りには、元赤報隊あり、将儀隊の遺児あり、薫の父は西南戦争で戦死してるし……もう、思想信条では互いの過去を認め合えないはずの者同士が、無理なく仲間になっている。
 この辺のストーリーテリングの手際と絶妙のバランス感覚は、本当に素晴らしいです。

 特にバランス感覚の妙を感じさせるのは、「左之助と錦絵」の回。
 左之助の赤報隊時代の親友が出てきて明治政府に対する爆弾テロを計画、左之助もそれに協力します。
 剣心は左之助の気持ちを理解しつつも、彼らを止めようとします。
 剣心を「明治政府の犬」とののしる元赤報隊員と、現在の剣心が決して明治政府を快く思っていないことを知っている左之助。
 私は、このテーマを自分で描いたとしたら、とても収拾をつける自信がありません。けど、和月先生は(ページが足りなくて、御自身としては描き足りない部分は多いのでしょうが)、みごとに説得力ある結末を用意してくれている。ぜひ読んでみて欲しいです。

 赤報隊がらみの他にも、「明治」以後の日本に対する眼差しは、随所に感じられます。
 明治政府が「迷走」を始めると登場人物に語らせ、やがて日清・日露戦争へと「暴走」していくことをナレーションで入れてしまうところなんて、キラリと光る作者の眼差しを感じます。

剣と飛び道具

 近代化の波の中で、剣はしだいに時代遅れな武器になりつつあることも、剣客マンガ「るろ剣」は、ちゃんと描いています。
 物語には拳銃やガトリング・ガン、アームストロング砲などが出て来て、剣心の前に立ちはだかります。
 主人公が飛び道具に負けたら少年マンガは成り立ちませんが、成り立たないから勝つように展開させてるのではなく、どうも、「滅びていく最後の剣士」たちの匂いがするんですよね~。
 でも、だからといって少年マンガっぽく特攻したりしないところが好き。

 これは敵キャラの一人が死ぬ間際、元新選組の斉藤一(!)に言うのですが、
「近代化する明治の中で、お前はいつまで剣に生き、悪即斬の信念を貫けるのかな……」
 斉藤のメチャかっこいい答えは
「無論、死ぬまで」
 !! くぅ~~っ!

 「追憶編」では、剣心が鳥羽伏見で闘った相手が、とどめを刺そうとしない剣心に殺せと言いながら、こう語ります。
「これからは、魂も心もない銃火器の時代が来る。ならばせめて、この場で武人らしく死にたい」
 また「カネこそ最強の力」と喚く卑劣漢が、ガトリング・ガンを持ち出して剣心たちと対決する場面もあります。
 剣心の敵キャラとして登場した美形キャラ 四乃森蒼紫は、そのガトリング・ガンのために四人の部下を失います。
 これなんか、一歩間違えれば少年漫画的特攻精神になっちゃいそうなシーンなんですが、微妙に違う気がするんです。
 剣心の不殺の誓いは、「命こそ何よりも重い」という信念で、ヒューマニズムのきれい事に限りなく近いんですが、死んでいった四人を犬死にとは認めない。
 「命こそ何よりも重い」けれど、「死に意味がない」わけではない。
 「命をかける」ことを否定しはしないんです。
 前近代の「闘いに生き、闘いに死ぬ」、いわば時代錯誤な精神が、近代兵器の前に倒れるという四人の死を、意味あるものとして掬い上げながら、しかも特攻精神の美化に堕すことがない。
 ここも絶妙のバランス感覚なんです。

安慈 救世の誓い

 「京都編」に登場する安慈和尚も、濃くていいです。
 親を亡くした子供たちを寺に引き取って育てていた優しい和尚さんの運命を狂わせたのは、神仏分離令……廃仏毀釈の政治的な流れでした。
 ボロ寺を取り潰そうとする村長によって、寺に火がかけられ、子供たちは焼死します。
 一歩遅れて焼け落ちた寺に戻った安慈和尚は、黒こげになった子供の腕を見つめ、仏に向かって叫びます。
「なぜ、この子らを救わない!」
 その後、安慈は罪無き者を救い、悪を打ち砕く力を求めて修行し、「二重の極み」という少年マンガ的な技を会得して(^_^)、明治政府転覆を謀る一派に身を寄せます。
 世を救うには、まず今あるものを毀さねばならない……。
 暴走しているとはいえ、安慈の想いは純粋です。

 この安慈を受けて立つのが、剣心ではなくて左之助というところもなかなかいいです。
 展開上、サブキャラの左之助にも対決相手が必要なわけですが、他のキャラではなく安慈と対決させるところが和月先生のストーリーテリングの妙です。
 散々闘って決着が付いた後に
「優しさでは、世は救えぬ」
 と呟く安慈に、左之助は、赤報隊の相良隊長を思い起こしながら、
「んなこた、10年前から知ってるさ」
 と応える…。
 高潔な理想に生きたにもかかわらず、明治政府の都合によってエセ官軍の汚名を着せられ首を曝された相良隊長。
 でも、左之助は剣心と出逢うことによって、過去の恨みから解放され、相良隊長の理想を自ら生きようと歩き始めている。
 そんな左之助だからこそ、安慈も恨みから解放されてほしいと願う。
 このシーン、かなり痛いです。

 安慈という人は、お話の中ではまだ、解放されていません。
 和月先生御自身も「やっと暴走が止まった」ところまでしか描けなかったと仰ってます。
 なんとか、その後を見せていただきたかった。シリーズ完結した今となっても、未練が残ります。

四乃森蒼紫

 「るろ剣」ファンの中では案外と評価の低い美形キャラですね。
 他のキャラに比べキャラクターの中身が薄いと、一部では言われているようです。

 でも、私はこのキャラ、かなり好きです。

 隠密御庭番衆、最後の御頭。
 闘うことしか知らず新時代に取り残された部下達を率いて、闘いの場を求めて生きてきた人です。
 幕末・維新という時代の波に翻弄されたキャラが好きなんでしょうね、私は。(人気のある瀬田の総ちゃんなんかは、特に好きというわけじゃない。時代とは無関係にごく個人的な家庭の事情でネジがゆるんじゃったキャラだから)

 前述のように、ガトリング・ガンの攻撃により四人の部下を死なせてしまった蒼紫は、精神のバランスを崩してしまいます。
 抜刀斎を倒して「最強」の称号を四人の墓前にそなえる、という強迫観念にとり憑かれ、そのためだけに生きる修羅と化します。
 「京都編」の中で、剣心対蒼紫の再戦があるのですが、これが、かなり濃い(^_^)。

 全力で闘いながら、〈説得の魔術師〉〈闘うカウンセラー〉などの異名を持つ(?)剣心は、蒼紫の心を開いてゆくのです。
「お前のその妄執こそが、四人を亡霊にしている」
 鋭いご指摘です。
 でも、単に言葉で説得されちゃったら蒼ちゃんの苦悩は身も蓋もなくなっちゃうわけで。
「それでも、お前と闘わねば
俺は俺自身と決着がつけられない」
 と、蒼ちゃんは言います。
 蒼紫さまもけっこう不器用な生き方をしてるんです。そこが好き。
 受けて立つ剣心は、いつだってギリギリのところで闘わねばならない。

 飛天御剣流の奥義によって蒼紫は敗れるのですが、不殺を貫く剣心は、蒼紫を殺さずに解放するのです。
 ここまで来ると、剣心の剣はもう、限りなく活人剣になってます。

 蒼紫さまの死んでしまった部下の一人に、般若くんというのがいました。
 密偵方として変装の便宜を図るため、自ら鼻を落とし、頬を削ぎ……という異形の姿になった人なんですが、この般若くんのが登場するシーンが、「京都編」の中にあります。
 蒼紫の元で育てられた操ちゃんという忍者少女が、ずっと蒼紫の行方を探していて、たまたま剣心と知り合って……まあ、色々あるのですが、剣心は操ちゃんに、「必ず蒼紫を連れて帰る」と約束します。
 剣心や左之助たちが闘いに向かった留守中に、操ちゃんたちの方も攻撃されてバトルになるんですが、操ちゃんが一発喰らって気絶しかけたとき──これがちょうど、剣心と蒼紫の決着が付いた後なんですけど──操ちゃんのところに般若くんの霊が出てきて、
「操様……抜刀斎が約束を守りました。蒼紫さまが帰ってきます」
 と伝えます。
 こうやって書いてもあんまり伝わらないとは思いますが、この般若くんの霊が出てくるシーン、私としては「るろ剣」のベスト・シーンです。
 泣けました。
 蒼紫の妄執の中で亡霊となっていた般若くんたちが、やっと解放され、操ちゃんが知っていた「大切な仲間」に戻ったことを伝えてたりする。
 そうなんです、蒼紫にとっての般若、操にとっての般若や蒼紫……人格が関係性の中にあること、和月先生はよっく御存知なんだなぁと、感心します。

 蒼紫さまは「復讐編」でも再登場しています。
 その中で、和月先生は蒼紫に、ひとつの答えを用意してくれました。

 剣心のバトル・カウンセリングで暴走を止めた蒼紫さまは、その後しばらく座禅など組んで更正につとめ、社会復帰の道を模索していました。
 時代に取り残され、闘うためだけに生きてきた自分の存在意義を新時代の中に見いだすことは、蒼紫にとって困難です。
 かといって、改心してマイホーム・パパになりました……というわけにも、いかない。
 蒼紫はどっぷりと血にまみれた、隠密御庭番としての「外法の力」を持っている。
 そんな蒼紫は、「外法」のワザで世に仇なすマッドな悪党に向かって、こう言います。
「新しい時代を迎えた今、外法の技術(ワザ)は、
もはや静かに人知れず滅ぶべきもの…」
 御庭番御頭としての自分の存在をも、同時に否定するような言葉です。
 けれど、彼にはまだ、すべきことがある。
「外法の悪党は、外法の力を以て更なる闇へと葬り去る。
それが隠密御庭番衆の、最後を締め括る御頭としての務めだ」
 彼の幕末はまだ終わらないけれど、終わりを始めることが出来た。……やっと。
 この感じが、私の好きな「るろ剣」っぽさなんですよね。


さて……

 ……最後になりましたが、「復讐編」以降の展開について一言。
 やはり、どう贔屓目に見ても、「京都編」以前と比べると、不満足な点が多いです。
 剣心が、自分自身の過去の罪と直面するという、まさに「るろ剣」のテーマ編的なストーリーであるにもかかわらず、不満が残る展開でした。
 和月先生のストーリー・テリングにも、冴えがない。
 剣心はウジウジしたり、妙に力んだり、どうもしっくりこない。

 ただ、救いがあったと思うのは、剣心への個人的な復讐に燃える雪代縁の、憎しみの終わり方。
 大切な人を救えなかった縁が、憎むべき敵であるはずの剣心の大切な人を、思わず救ってしまう……
 ここに物語の魔法があり、理屈じゃ導き出せない救いがあると……私は思います。

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