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October 2005

October 15, 2005

キース・エマーソン

 キース・エマーソン@大阪厚生年金会館芸術ホール行ってきました、13日の木曜日のことです。
 グレッグ・レイクとカール・パーマーはエイジアの来日公演で見たけれど、生キースは今回が初めてだったのです。こじんまりした音響の良いホールで、アンコール前まではみんな椅子に座ったままという、実に年寄り向きのライヴでしたが、ンにゃ~、プログレの血が騒ぎましたよ。異様に凝ったアレンジ、一曲の中で展開に次ぐ展開、すぐに拍子が変わる、しかも変な拍子が混じる、ベースラインが極悪……と、私にとってのプログレのデフォルトがすべて満たされていて、気持ちいいの何の。やっぱ好きなんだわぁ。
 ギター&Vo.のお兄さん、中高音域シャウト系の声がグレッグに似ちゃうところまでは分かるんだけど、なぜに顔までグレッグ・レイク系? "Come inside, come inside....Come and see the show"とか歌われてしまうと、一瞬錯覚します。エピタフなんかも歌ってくれましたが、最後はだいぶ省略。「アメリカ」はやったけど「ナットロッカー」はやらずに、アンコールではBlack Dogというサービスもあり。
 キースの機材は相変わらず、コードで物理的に繋いでて、コンピュータ通してないっぽい。キースが死んだら博物館行きだろうなぁ。ローディーもみんなキース専属なのか、ステージの途中でギーターVo.のお兄ちゃんのギターからラインが抜けた時、自分でせっせと繋ぎ直していました。ちょとかわいそうだたぁよ。
 このところ、緊張感を強いられる音楽というものをまったく聞いていなかったので、ほんとに充実感ありまくりでした。やっぱELPのCDくらい揃えとかなきゃ。キーボードソロから何の予告もなくいきなり全パートでグワーンと音を重ねてくる展開、すごい好きだわー。

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食べるな危険!!

 タイトルは「買ってはいけない」系かと勘違いしそうだが、こめられている皮肉は、むしろ「洗った猫を電子レンジで乾燥」系のバカらしい裁判への当てこすりで、原題はDon't Eat This Book――この本を食べないで下さい。
 映画のモーガン・スパーロック監督による、スーパーサイズ・ミーの裏話他。スパーロック自身は、芝刈り機が回ってる時には刃に指を突っ込まないとか、ヘアドライアーを使っている時には水に浸けないで下さいとか、そういうバカバカしい注意書きが必要になったバカらしい裁判沙汰には辟易している。一方で、多額の賠償が請求されたタバコ裁判に関しては別の見解。タバコが身体に悪いことは、「何となく」みんな知っていたので喫煙で肺ガンになったからと裁判を起こすのは「バカらしい裁判沙汰」の一つのように見られているが、実際に裁判の中で明らかになったのは、タバコ会社は消費者にタバコの危険性を十分に知らせていなかった、という事実だったという。
 同様に、ファスト・フードの害もまた、私たちには十分には知らされていないのだ。カロリーの半分が脂肪分だと意識している人は少ないだろうし、トランス脂肪酸の害を認識している人は、日本では特に少ないだろう。

 原料の生産から加工、小売店での問題など、ファスト・フードの危険性については、なんかを読んでいれば、特に新しい情報は少ない。アメリカの学校給食での、背筋の寒くなるような報告が目新しいくらい。

 「マック食べない方がいいんだろうけど、あると買っちゃうんだよねー」という人に、ぜひ試してもらいたいことが、この本には2つ書いてあった。
 一つめは、マックのハンバーガーやポテトを買ってきて、包装を開けて、風通しのいい場所に設置して経過を観察すること。実際にやった人がいるとのことなのだが、1995年もののチーズバーガーが、いまだに腐っていないらしい。さすがにレタスは分解するらしいが、パンは乾燥してもろくなるだけでカビもせず、パティにいたっては表面が乾くほかには、ほとんど変化がないとのこと。高温多湿の日本でも、同じ結果になるのか興味あるところ。一人暮らしで家族に迷惑のかからない勇者、ぜひ実験して! 少なくとも数週間では腐りもカビが生えもしないんだろうなぁと予想します。
 もう一つは、より穏やかな実験。バーガーのパティだけを取り出して、ソースもこそげ落として、パティだけを味わってみること。肉の味がしないのはもちろんのこと、ガムのようなというかゴムのようなというか、不思議な味がするらしい。

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October 05, 2005

ナルニア国物語

 『神曲』の地獄編・煉獄編・天国編を読み終わったあとに、キリスト教文学繋がりで『ナルニア国物語』7冊再読。

 ナルニアにおけるキリストの化身アスランが、全能すぎてちょっとなぁ~……と感じたのは、私がまだ積極的に無神論者であった頃の、遠い昔のお話。今読み返せば、アスランの存在が微塵も揺らがないのはごく当然のことと受け止められる。
 日本の作家には、こういう存在を書くことはなかなか難しいだろうな。天帝でもビッグソウルでも、「超越者」として設定したはずのものがシリーズが進むにつれて「抑圧者」「敵」になってしまうことが多い。そもそも「超越」に対する意識が稀薄なので、設定が破綻するのは仕方ないと思うけど。超越への服従って、近代的価値観からは肯定しにくいだろうし。でもそれを肯定できないってことは、真実も善も信じてないってことなんだよね。「この世において絶対的な真実や善を僭称すること」を否定してるつもりで、真実や善そのものの在処を否定して、せいぜいが真実や善の個人化・陳腐化に陥るのが通例かと。

 (「指輪物語」もそうだけど)ナルニア国物語は、謙虚さを学ぶ旅、自己犠牲による救済の物語。単なる知恵や勇気や友情(などの人間的価値)による「勝利の物語」ではないところが、ほんとのファンタジーのミソだと思う。勝利ではなく、救済。あるいは世界との和解。
 う~ん、ファンタジーって、本当にイイですね~(^v^)

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