« 七人の妃 1 | Main | Musical Baton »

June 18, 2005

七人の妃 2

その1よりつづく)

 そこまで語ると、王は深く息を吐き、眼を閉じた。落ちくぼんだ瞼には病と疲労とが影を落としていた。再び目を開けた時、王は力なく呟いた。
「余は、余が為し遂げた偉業を誇りに思う。だがそれらは余を傷つけてもきた。一つ為し遂げた後にはいつも、さらに偉大なことを為さねばと、余は常に自らを追い立ててきたように思う」
 老婆は打ち解けた声音のまま、ひっそりと問いかけた。
「何に追い立てられたというのでしょう? 陛下の偉業は、七つの内のただ一つでさえ、一人の王が生涯かけて為し遂げるほどの偉大さですのに」
 王は陰鬱に応える。
「半年で蛮族を追い払った時、余はすぐにはそのことを信じられなかった。望んでいた以上の結果だったのだ。南海の航路の時も、その後も、どれもがそうだった。その時は必死になり、全精力を傾けて事に当たり、余は無我夢中だった。だが、いざ目的を達成してみると、そのあまりの偉大さの前では、それが本当に余の力によって為し遂げられたのか、分からなくなるのだ。余は、余自身の偉業に打ちのめされ、更なる偉業を為すことで過去の偉業に打ち勝たねばならないと感じていたのだ」
「陛下の偉業は、謂わば陛下が生み出した子供のようなもの。陛下は御自分の子供と競い合わねばならなかったと、そう仰るのですか?」
 王はひどく苦しげな表情で、目を伏せた。
「この広大な帝国の主であると自負してきたことさえ、余を傷つける。誰もが帝国を頌え、余を称える。だがそれは、帝国が偉大であるが故に余も偉大だと思われているに過ぎない。ならば……余は本当に帝国の主人だと言えるのか? その僕ではなかったか? 他人の僕ならまだしも、余自身が生んだ子供の僕になるなど、余には堪えられぬ」
 王は必死に屈辱に耐えながら、言葉を継いだ。
「余は七人の妃達に愛され崇拝されることで、余の誇りを確かめてきた。あの者らは余を愛し敬う。だがそれも、七つの偉業のゆえだ。七つの偉業に七人の王妃だ。それを合わせれば、余という一人の人間が汲み尽くせるというのか?」
 微かに震える王の頬に、枯れ枝のような老婆の手が伸びて、そっと触れた。
「陛下御自身の偉大さは、陛下の七つの偉業に遙かに勝るもの。陛下が何を為したかではなく、陛下が陛下御自身であられることそのものが、遙かに偉大なのです」
「ではなぜ余は、まさに余自身は、それを心から信じることが出来ないのだ?」
 少しの静寂があり、老婆は掠れる声で囁いた。
「陛下は幾多の偉業をお生みになった。この帝国も。けれど陛下は、陛下御自身を生むことは御出来にならない。御自身の偉大さを信じたいと仰るが、まさにその陛下御自身というのは、陛下の意志や、能力や、あらゆる偉大さよりも先に、常に、既に、この世界に投げ込まれているのです。これ程に偉大な陛下にして尚、御自身の創造者とはなり得ず、それ故、御自身の偉大さの凡てを識ることは出来ないのです」
 沈黙が長引くにつれ、枕元の明かりが大きく揺らいだ。やがて王は、重たげに唇を開いた。
「余が何を為したかよりも、さらに偉大であるはずの余自身を、余は、知り尽くすことが出来ない……それならば、余は、我が子の奴隷であることの屈辱を、堪え忍ばねばならないのか」王は激しい瞳で老婆を見つめた。「七つの偉業を称えられ、七人の王妃を道連れにして……それだけが私の凡てではないと傷付けられ、屈辱を感じさせられねばならないのか!」
 老婆の顔の皺が、微かに蠢いた。それが微笑みであると判るのは、王だけだった。王はじっとその笑みを見つめ、囁くように問いかけた。
「……なぜ笑っている? 私が滑稽か?」
 老婆は寛いだ声で応えた。
「思い出していたのですよ。遠い昔のことを。貴方の求愛を退けた、ただ一人の女だった私の、あの遠い日のことを」
「そう……貴女は私を拒んだただ一人の女だ。あれほどの屈辱はなかった。だが……それでも許されるほどに貴女は美しかった。この世の燦めきを一身に集めたように、若く、美しかった」
「陛下よりは随分年上でしたけれど……昔も、今も」
 二人の間に不思議に暖かな親密さが通った。老婆は言葉を継いだ。
「あの頃の私には若さも美しさもありましたが、その二つとも、じきに失うことくらいは知っていました。私にだって祖母もいれば、祖先の女達の物語だって伝わっておりましたので。私は自分の若さと美しさを存分に楽しみましたが、美しさの勲章として王を夫に持つことは、やめておこうと思いました。いつか美しさを失った時、勲章だけが残るのは惨めではないかと思ったのです」
 王はやや憤慨して口を挟んだ。
「貴女の美しさだけを、私が愛したと思っていたのか?」
「そうではありません。でも、美しさは確かにあの頃の私の、大きな一部でしたから。本当に、あの頃……私は貴方の偉大さに激しく心を揺さぶられていました。貴方が王でさえなければ、私も拒まなかったかもしれません。でも偉大な王であることは、やはり貴方の大きな一部でした。それ抜きでは貴方ではない。私は偉大なる王を夫に持つことより、偉大なる王の求愛を退けた女であることを選びました。それはずっと、私の誇りであり続けました」
「だから、逃げたのか……?」
「ええ。貴方の求愛を逃れ、いろいろな町や村を転々としました。陛下の統べる帝国の、東の果てにも行ってみました。もちろん南海航路を旅して、南の大地へも。大河の堤防も見ました。美しく生まれ変わった都にも戻ったことがあります。再生した若い森も歩きました。神々の山脈を望む、古い山村にも行きました。多くの人と出会い、多くのことを見、また聞きました。でも……」
 老婆はそこで微かに言い淀み、しかしすぐに、心を決めたようにきっぱりとした口調で、言葉を続けた。
「でも、貴方の偉大さに比べれば、何もかもが色あせて見えました。世界は色彩を失い、葡萄酒は香りを失くしました。誰一人、貴方のような人などいない。貴方を拒んだことの報いを、私は一生支払い続けねばならなかったのです」
 王の眼差しの中で、老婆は静かに顔を上げた。二人は真っすぐに見つめ合い、身動ぎもしなかった。
 王が口を開いた。
「一つだけ聞かせてくれ……貴女は、私を愛していたのだろうか?」
 老婆はひっそりと微笑んだ。王を拒んだ者としての誇りを守るために、彼女は彼女の愛を口にすることは出来ず、代わりにこう言った。
「例えば、もしも……私が貴方を愛し続けてきたとしても、それはさほど重要なことではないのだろうと思います。それが『私の愛』である限り、それは私自身ではない。貴方の偉業が、貴方自身ではないように。『私の愛』は私自身ではないし、愛そのものでもないのです。実際には、人が人を愛しているだけなのですし……そして本当の本当は、そこに愛があるだけ。ただそれだけ」
 女たちに愛されることで自らの誇りを確かめてきた王は、か細い声で老婆に問い掛けた。
「ここに、愛はあるのだろうか……?」
 王が求めたのは彼自身への愛だった。偉業の故でもなく、帝国の偉大さの故でもない、彼自身への愛を求めていた。王は彼女の愛を信じたがっていたが、老婆は、王が愛そのものを信じることを願った。偉大な王に相応しいのは一人の女の愛などではなく、愛そのものでしかないと知っていたからだ。しかし人の言葉は、誰かから誰かへと、愛そのものを告げるようには出来ていない。
 老婆は静かに王を見詰め返した。
「……貴方にお話ししておくことが、もう一つだけあります」
「聞かせてくれ」
 王の声は力なく掠れた。老婆はそっと瞼を閉じ、幾分苦しげに眉を寄せ、それから吐き出すようにこう言った。
「貴方から逃れた私にとって……貴方のあとには、誰一人いなかった。誰一人、私の心を本当に動かす人など現れなかった。貴方の後にいたのは……神だけでした。ただ神がいただけ」
 枕元の灯りが揺れ、沈黙が降りた。
 老婆はゆっくりと立ち上がり、歩き出した。その後ろ姿がしだいに滲んで、扉の軋む音が響いて消えた。
 王の口許には安らぎか諦め、或いはそのどちらにも似た何かが浮かんでいた。そして王の心には、いつまでも老婆の最後の言葉が残った。
 神だけだった――――神だけがいた。  (了)

|

« 七人の妃 1 | Main | Musical Baton »

「創作」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/32134/4599423

Listed below are links to weblogs that reference 七人の妃 2:

« 七人の妃 1 | Main | Musical Baton »