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April 16, 2005

『音の神秘』

 インド音楽の名手でもあったイスラム神秘主義の実践者ハズラト・イナーヤト・ハーン(1882-1927)による、主に欧米人向けに語られた講演・講義をまとめた『音の神秘』

 神秘主義への関心半分、小説のネタとしての興味半分で読み始めたが、意外にも神秘主義の教えが結構つっこんで語られていた。

なぜこの世は神秘家によって幻とよばれるのか。なぜなら、自らの秘密を内につつみこむのが「現れ」の本質であり、それは硬化した形で現れるため、細やかさ、美しさ、神秘性などの特性は隠されてしまうのです。 p.83
…彼らは肉体とよばれる小さな物質的領域に自分自身を限定して、実際よりもうんと自分自身を小さくしているのです。実は、人間は両面を持つ一個人なのです。ちょうど両端のある一本の線のように。それは両端を見ると二つですが、線を見るなら一つです。線の片端は有限で、片端は無限。一方の端は人間で、もう一方の端は神です。人は神の側の端を忘れ、自覚している片端のことしか分かりません。 p.98
「これは私の机、これは私の椅子だ。『私の』と言えるものはみな私に属しているが、本当は私自身ではない」ということに気づきはじめます。それからまた、「私は私自身をこの体と同一視する。が、これはまさに『私の机』とか『私の椅子』と同じような『私の体』なのだ。…(略)…この体はただの道具にすぎない」と言うようにもなります。…(略)…それでは、他に何があるのでしょう。自分と同一視すべきものとは、私の想像力でしょうか。しかし人はそれさえ、「私の想像力」「私の思考」「私の感情」とよぶのです。それゆえに思考、感情、想像力でさえ、本当の「私」ではないのです。…(略)…完全な自我は、偽りの自我の消滅によって達成されるということ… pp.335-6
 他には、声に出された言葉や、思考がこの世に波紋を残し、それ自体が大地に蒔かれた種のようにいつまでも残って育ち、実を結ぶという考え方が語られている。言葉や思考すらも因果の種となるがゆえに、賢者の観想は外的活動より一層、世を平安にする、ということらしい。これを俗化すると「ありがとう教」みたいに「ありがとう」を何万回言うと願いが叶う!とかってなっちゃうし、そうじゃなくてもニューエイジ・自己啓発系の影響のもとで世にはびこるポジティブ・シンキングになっていく。破壊的・暴力的な言葉や思考を抱くべきではないという教えの表層だけが流用され、自我の死に至る神秘主義の本質は覆い隠される。分かりやすい語り口というのも、善し悪しだなぁと思うのは、顕現と存在の成り立ちを語るときに「波動」という言葉が何度も使われることに関しても感じた。ニューエイジ系が飛び付きそうなボキャブラリーだなぁ、って。ニューエイジの何が悪いって、結局は科学主義・物質主義のくせに、精神的な言葉をもてあそぶから嫌い。物質的な「もの」に飽き足らなくなって、今度は精神的な「もの」を求めてるだけなんだもん。あと、無意識は意識より下位のヒエラルキーであるのに、上位のヒエラルキーに属する霊的・精神的領域とごっちゃにするしぃ。
 神秘主義繋がりでマイスター・エックハルトをパラパラめくり返してみると、こっちはまたずいぶんと難解な語り口。でも、当然ながら、違うことを言っているわけではない。

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