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April 13, 2005

『ジョヴァンニ』

 例によってCOCON烏丸の京都シネマで、『ジョヴァンニ』を見てきました。
 メディチ家の血筋でありながら、華やかな宮廷を遠く離れ武将として戦場を駆け回ったジョヴァンニ・ディ・メディチの最後の一週間。鉄砲、大砲といった火器が一騎打ちの伝統を崩壊させた16世紀前半の戦場。ルター派のゲルマン軍が侵攻する北イタリアで、教皇軍の前衛として戦うジョヴァンニの黒い部隊。いとこであるマントヴァ候の背反行為により窮地に陥り、フェラーラ公が敵軍に提供した大砲によってジョヴァンニは致命傷を負う。負傷した足を切断するその間際、彼は体を押さえつける部下達を下がらせ、自ら片手に燭台を掲げて手術に臨む。だが片足切断の甲斐もなく、高熱が続く中、彼は兵士として死ぬために野戦用のベッドに移って静かに息を引き取る。

 全編美しい映像。荒涼とした雪景色のなか進軍していく黒い甲冑の列。戦いという身体性のただ中で、匂い立つような精神性が印象に残る。マントヴァ候、フェラーラ公はそれぞれの理由でジョヴァンニを裏切り、あるいは疎んじ、命がけで守ろうとしている教皇自身にすら、彼は報いられることがない。それでも、彼を突き動かす魂の力は、単なる生存以上のものを求めてやまない。ジョヴァンニは死の数日前の進軍の途中、半ば狂乱している村の神父に人殺しと罵られる。死の床で、おそらく終油の秘蹟を授けに来たのだろう司祭に、「もし、兵士でなく司祭になっていたら……」という内容のセリフを呟くシーンがあるのだが、彼の戦争は、彼の信仰と命の表現だったことは疑い得ない。
 致命傷を負うことになる戦場で両軍が対峙したとき、ゲルマン軍の将軍はジョヴァンニに敬意を表す仕草をする。ジョヴァンニをじっと見詰める将軍の表情は、寂しさの入り交じった親愛すら感じさせる。結局、誰よりもジョヴァンニを理解していたのは、あの将軍なのか?
 映画の冒頭とラスト、戦争の近代化に対する批判めいたナレーションが入るのはやや蛇足という感じがした。

 それに何しろまぁ、ジョヴァンニがいい男。帰るべき安らぎの場所である家庭を守る妻を愛しながら、マントヴァの貴婦人とも激しい恋を燃やすなんて、信仰深い男にしてはいい気なもんだけど、あれだけのいい男なら、まぁ、それも許せる。
 途中寝てる人も結構いたみたい。描かれている精神性に興味がなければ、淡々とした展開の退屈な映画だったのかもしれない。戦争という行為にまつわるやりきれない無意味さと、行為の不可避性による崇高さ――『戦う操縦士』に通じる、底流に不思議な静寂が流れ続ける、戦いの映画。

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