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April 02, 2005

『幻想の東洋』

 エゾテリズム繋がりで購入した『幻想の東洋』
 読み始めたときに「普通の現代のアカデミシャンの書いたエゾテリズム系の本」と書きましたが、著者の彌永信美さんは一応、「アカデミックな機関にはまったく属していない」文筆家のようです。でも、書かれたもののスタイルは完全にアカデミックライティングです(多少文筆家らしく文章がひねってあったり劇的な展開になってたりはしますから、普通のアカデミシャンよりはずっと文章が日本語になってますが)。

 で、前回書いた通り、やはりゲノンのあとに読むのは辛い。多様な文明の根底に唯一の真理を前提とする思考を「真理の普遍主義」とか「真理の一元論」とか呼ぶことについて、真理であるからには当然唯一のものであるはずだと言いながらも、普遍「主義」、一元論、と呼んでしまうのは、相対「主義」からの視点であって、ヒエラルキーの混乱を批判する伝統的視点とはかけ離れている。
 キリスト教の「普遍主義」がほとほとお嫌いなんだなというのはよ~く分かるけれど、本当は何が嫌いなのか、見分けているのか疑わしい。70年安保世代とのことで、その辺のジェネレーションギャップも感じる。ゲノンやA.K.Cには知的能力のギャップは感じてもジェネレーションギャップなんてものとは無縁なのに。
 普遍主義は顕現のレベル、本来多様性に開かれているはずのレベルでの画一化をめざすものであって、当然ながら有史以降の古代末期、12世紀半ば以降の中世末期、ルネサンス、近・現代に共通の病理で、一般の歴史学が取り上げないような錬金術やら神秘思想やらの精神史の中に、ナチズムに至る暴力性の萌芽を見つけられるのは当たり前なんだと思う。だからその当たり前のことを、本文・後注わせて600ページ近い大作でくどくどと書かれても、論の展開自体に妙味はなく、むしろ常に、ちょっと違うんだよな~と思いながら読まなければならなかった。真理の概念そのものの問題性とみなして、知を感覚的現実のみに縮小してしまうことの問題とは考えていない。フランスで東洋思想を学んだという経歴からして、著者がゲノンを読んでないとは思えないけど。まぁ、ジョン・ディーやピコ・デッラ・ミランドラが登場してくるのは、それだけで面白いですが。

 でもすごいいい物語が見つかったから、600ページくらい許してもいいやと思う。

イタリアのクロトーンに生まれたポルミオーンは、ある戦いで双児神ディオスクーロイの一人によって傷つけられ、神託によってスパルテーに赴き、そこで最初に彼を食事に招くものによって傷を癒されるであろうと告げられた。その教えに従ってスパルテーに行くと、彼を最初に食事に招いたのは、彼を傷つけたディオスクーロスその人だった。傷を癒されてその家を出たとたん、彼はそれがクロトーンの我が家だったことに気づいたという。 p.58
 ラビ・エイシクの物語に似た、本物の物語のエッセンス。

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