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February 19, 2005

『大聖堂の秘密』

 20世紀の大錬金術師フルカネリの『大聖堂の秘密』
 ゴシック建築の意匠に隠された錬金術的なシンボルを解き明かす本。でも、ヘルメス学の素養がないので錬金術の手順や材料がらみの話は術語が多様すぎてよく分からない。原質って元素とどう違うの、揮発性、不揮発性って何を意味しているの……などなど。

 そもそも、錬金術というものが何なのか、という疑問に牽引されて読み続けた感じ。真理の探究であり実践であるらしいから、おそらく、ヨーロッパにおけるヨーガなんだろうなぁと思いながら読んでいったが、解説の冒頭に引用されていた1958年第3版刊行当時の書評の中に、それを裏付ける記述を発見。

フルカネリは、天啓を希求する霊知、別言すれば、人間や物質の内部に幽閉された一握の光を目覚めさせ、解放するのに長じた真の西欧的ヨガの教義と技を教えるのである。物質の貴金属への変成は霊における同種の変成を惹起せしめ、霊におけるこの変成がさらには物質のそれを生む。
 錬金術が何なのかは、これで少し見えてくる。霊の変成のために肉体をコントロールするヨーガの方が、直感的に納得しやすいけど、物質をコントロールする錬金術も、目指すところは同じなのかなぁ…。

 また、フルカネリの弟子カンスリエによる序文の中に引かれている、フルカネリの師による書簡には、フルカネリに対して「あなたは善人である」ということがとても強調されていた。それを考えると、錬金術も衆生済度の発願のようなものか?という気もしてくる。

 どんな伝統にも公教的側面と秘教的側面はあって、秘教的な知は、準備の出来ていない者に対して迂闊に語ってはならないものだというのは当然なのだけど、錬金術のもったいぶり方って、胡散臭すぎ。

 あと、やっぱりすごく考えちゃうのは、錬金術と信仰の両立。
 錬金術って、教会にとって異端なのか? 歴代教父の中にも錬金術に精通した人はいるみたいだから、一概に異端として切り捨てられるものではないんだろうけど、錬金術→黒ミサみたいな、棄教と神の否定に流れるパターンもありがちな感じ。ヘルメス学の知が単に異教的なだけなのか、なにかしら悪魔的なのか。グノーシス イクない!と思ってるから、気になる。
 弟子カンスリエは敬虔なカトリック信者として生涯をまっとうした、と解説にあるし、序文の中でエキュメニズム批判をしているところなんかを読んでも、神秘家であって超越の否定とは無縁という感じはする。
 フルカネリ自身も、ルネッサンス批判をしているところでは、まっとうな神秘家という感じがするし、錬金術の実践について次のように言う。

これらのものから真の「創造」が可能だとでも思っているのか。断固として否である。なぜなら、創造の力は唯一無二の創造者たる神のみに属するからである。よってあなたが材料の内に生ぜしめようとしているのは「創造」ではなく「発生」である。

 いずれにせよ、興味はあるけど我が身の課題との接点は薄いかな>錬金術

 でもちょっとびっくりしたのが、解説の中にユイスマンスの名前が二度、ルネ・ゲノンの名前が一度出てきたこと。時代的に重なるフランスの神秘思想家だから当然なのかもしれないけど、なんか、「あ、書物の向こうに世界の奥行きがホントにあったんだ」って感じがしてしまった。
 フルカネリは錬金術三部作の3冊目として『世の栄光の終わり』を書いたが出版しなかった(草稿の一部は本書の第3章として読むことが出来る)。ルネ・ゲノンの『世界の終末』なら、目の前の本棚にあるなぁ。

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