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January 21, 2005

人形

 本日の京都は終日冷蔵庫の中にいるみたいな寒さでした。
 犬の散歩に行ってすっかり冷えてしまいましたが、せっかく化粧したのだからと、晩ご飯の買い物に。あり合わせで間に合わせてもよかったんですが、昨日一昨日と犬の散歩以外そとに出ていないので、せっかく社会復帰しつつあるのに引きこもりに逆戻りしてはいけないと、勇気を出して外出。
 藤井大丸地下のナチュラルハウスで、オーガニックのトマトピュレと豆乳を購入。ベジタリアンのためのラーメンというインスタント麺も目についたので、みそ味と醤油味を試しに買ってみることに。玄米ラーメンより安いので、美味しいなら夜食用にいいかも。

 本屋でも寄って帰ろうかと思っているうちに、ふと思い出すことが。タカシマヤでジュサブローの人形展をやっているんだった。ご飯のスイッチ入れ忘れて来ちゃったけど、いいや、思い立ったときにやりたいことはやっておこう!と、タカシマヤへ(玄米ご飯は炊けるのに時間がかかるので、時間配分しながら行動予定を立てるのが、生活が不規則なのでけっこう難しいのです)。

 ちょうど6時を回ったところで、半額で入場できてしまい、ラッキー♪
 入り口近くにジュサブローの言葉。人形は、自分で自分を幸せには出来ない、人間なら、どんな生まれでも、どんな育てられ方をしても、自分で人生を変えていくことが出来るけど、人形にそれは出来ない……。命が無くてカタチがある人形って、人間「ではない」ことに意味があるという、不思議な存在。手元に置きたいとは思わないけど、見るのは好きだな。お話のモチーフとしても、好き。
 ややしゃくれた口元の美女たち。ファニーフェイスの個性的な人形たち。動物の人形たち。人形の仏像たち。衣装や装飾品も、細工の凝らされた素晴らしいものばかり。

 ドストエフスキーにならうなら、「過度の美意識はそれ自体が病気」なんだと思う。ジュサブローにしろ四谷シモンにしろ、人形師って病的な美意識の持ち主だろう。芸術自体が病気と紙一重だという以上に、人形作りに現れる病いの質は、パノラマ・ジオラマとかオルゴールの類に現れる病いの質に似ている気がする――フェティッシュ。それらは呪物なのだと思う。
 本来、呪物としてのヒトガタに顔は必要ない。呪う対象である人間の髪や名前があれば、呪物として機能するのだから。人形そのものは匿名性の範疇から出ることはない。
 けれど呪術が廃れて近代になると、近代の呪物たちが、虚ろなカタチによって人を魅き込んでゆく。子供の遊びであったものが、再び、大人の心を掴む(再び、というのは、かつての呪術が子供の遊びの中に残る場合があるから)。
 人形はあまりに美しい顔を持ち、細部に至るまで作り込まれ、それぞれ固有の名前を持ち、しばしば物語をも持っている。それらの人形を前に、匿名性の中に沈むのは、私たち観客の方なのだ……

 なんてことを考えながら、晩ご飯の買い物袋を下げて、一人でゆっくりと楽しみました。
 ちなみに本日の晩ご飯は、
 ・玄米雑穀ご飯
 ・切り干し大根とワカメのおみそ汁
 ・ジャガイモのさいの目切りカリカリソテー ハーブソルト
 ・茹で里芋マスタード酢みそ
 ・厚揚げと小松菜のソテートマト風味
 でございました。

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