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September 10, 2004

プロ野球のストとガンディーのハルタール

 私は野球に興味がないというか、どちらかというと日本の野球カルチャーは嫌いなので、まるで愛情を持っていないのだが、選手会がストをやるというニュースには、どうにも興味を引かれている。

 「ストライキ」というもの自体が、かなりのマイナスイメージを持っているんだなというのが面白い。私が子供の頃は、国鉄も私鉄もストがあったけど、もうずいぶんストの話は聞かない。社会全般に、ストに対する激しいためらい、マイナスイメージが感じられる。
 それももっともかな、と思うのは、ストライキが従来よって立ってきた枠組みが、「労働者vs経営者」というものだから。それ自体はその通りなんだけど、「労働者vs資本家」というどこぞのイデオロギーに回収され尽くしてしまって、現実感覚とそぐわない感じがあるなぁ、なんて。私だって多国籍企業の暴走には危機感持ってるけど、それって「労働者vs資本家」って図式とは、だいぶ違うもんなぁ。

 マハトマ・ガンディーも「ハルタール」という一斉休業、すなわちゼネストを、対英独立運動の中で何度か呼びかけて実行に移してる。これはもちろん「植民地vs宗主国」の図式なんだけども、より正確に言うなら、「インドは誰のものか」を問う土台の上で、(様々な非暴力戦術の一環として)行ったものだと思う。ハルタールに参加する名もない一人一人が、「インドはわしらのモンだ」という実感を持つことが重要で、その上で、英国への意思表示と圧力という意味があるものだと思うのですよ。
 つまり、誰が未来を決めるのか、という問題。それは英国じゃないだろう。お偉方じゃないだろう。わしら一人一人が、インドの未来を作っていきたいんだよ、という意志。

 で、プロ野球選手会のストも、旧式の枠組みで見ると、果たして選手会は労働組合なのかという法的問題が出てくるわけだけど、選手やファンは、なにも「労働者vs経営者」という枠組みから声を上げてるわけじゃない。「プロ野球の未来を密室のオーナー会議で決められちゃかなわん」という不満から、一生懸命「ひらけゴマ!」と叫んでるんだと思う。オープンに未来を語ろうよ、って。カネ出してるのは確かにあんたらだけど、金だけじゃないんだよ、野球ってもんは……。
 このストライキが日本で一般の人々にどこまで受け入れられるかは、もしかすると結構重要かも知れない。
 何一つ変わらず野球界の密室政治が続くなら、日本人はまたも「ああ、そんなもんなんだ」とあきらめを深くするんじゃないかな。
 逆に野球界の体質がオープンになっていく動きが出るなら、「やれば変わるじゃん」という成功体験が一つ積み上げられる。
 私は球団が減ろうが1リーグになろうが野球が衰退しようが構わないのだが、今回のストに関してだけは、良い結果を望む。日本社会には成功体験が必要だ。古田選手って頭のいい人みたいだから、慎重にがんばって、ファンの心を繋ぎ止めつつ「痛み分け」以上の譲歩を勝ち取って欲しいな。

 誰が未来を決めるのか。
 その意志決定に参加する回路を開こうというのは、世界的に市民社会が今まさに挑戦していることであり、21世紀をテロと戦争に覆い尽くさせないための、もう一つの大きな流れ。それがプロ野球なんてトンでもない分野から吹き出すところがいかにも日本的だけど、野球文化って、ナベツネ≒自民党55年体制そのものであるだけに、象徴的意義も大きい、はず。

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