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September 2004

September 23, 2004

秋分の箱

 ある人が河原を歩いていると、上流から真っ四角のハコが流されてくるのが見えた。
 黒っぽく塗られたふたの部分が、ゆらゆらと川面に浮かんでいる。
 やがてハコは流れのゆるやかな川岸に近づいてきて、浅瀬の小石に乗り上げて止まった。
 その人は何となく気になって、土手を下ってハコを拾い上げた。
 ちょうど掌におさまるくらいの大きさの宝石箱のようだったが、鍵穴の部分が乱暴にぶち破られていた。
 ちょっと力を入れると、少々歪んでいるふたが、難なくひらいた。
 中には銀色の鍵が入っていた。
 だが、鍵穴を壊したときに、この鍵も一緒に壊れてしまったのだろう、肝心の差し込み部分が曲がってしまっている。
 甲斐もないものを拾い上げたとがっかりしていると、また一つ、上流から流れてくるものが目に入った。
 同じような大きさの、今度は白く塗られたハコだった。
 ここまで来たら拾ってみようと思い、浅瀬に流されてきたところに手を伸ばすと、こちらは鍵穴も壊れていない。
 白と黒と、ふたつのハコを両手に、その人は土手に座り込んだ。ふたつのハコは大きさも同じ、どう見ても二つで一組と思えた。
 黒いハコから出てきた銀色の鍵を、試しに白いハコの鍵穴に当ててみる。
 曲がっていて入らないが、どうやら白いハコを開ける鍵に相違ない。
 と、いうことは……
 白いハコの中には、黒いハコを開ける鍵が入っているのではあるまいか。
 鍵を手にしたまま、その人は二つのハコを目の前に置いてがっくりと肩を落とした。
 鍵が曲がっている以上、白いハコを開けることはできない。
 仮に無理矢理開けたとしても、出てくるのが黒いハコの鍵ならば、黒いハコは既にこじ開けられているのだから、その鍵など用もないものでしかないのだ。
 二つとも閉じたままなら、それはそれで何とはなしに不思議めいてよろしかったものを、誰かが乱暴に黒いハコを開けたせいで、ますます甲斐もないことになってしまった……と、その人は深々と溜息をついてハコを二つとも川に流してしまった。
 その年の秋の、昼夜平分の日であった。


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 「王子と乞食は二つの閉ざされた手箱。一方の中に他方の鍵がある」という私の大好きな「二つの箱」の話も、現代ではこんな感じかな、って。

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September 14, 2004

パリのお勧めミュージアム

☆中世博物館 MUSEE NATIONAL DE MOYEN AGE
 6, PLACE PAUL-PAINLEVE 5区 クリュニュー・ラ・ソルボンヌ駅すぐ。サン・ミシェルからでも。
 宿の近くだったこともあり、二度も行ってしまいました。ローマ時代の温泉あとにある充実した博物館です。
 目玉は「一角獣と貴婦人」のタペストリー。これ、6枚組で残っているんだったんですね。ディネーセンの本の表紙になっているので以前から好きだったんですが、本物を間近に見られて感激。ガラスケースなんか無くて、ぼんやりと薄暗い(けどちゃんと見える明るさの)照明のもと、壁に直にかかっています。6枚組の内5枚は、それぞれ五感をテーマにした図柄。これらが半円を描く壁面にかかり、最後の一枚は真後ろに振り返った側にかかっていて、「我が唯一の望み」というラテン語が書かれています。五感の楽しみを越えたところに、唯一の望みがある……という解釈がされているそうです。タペストリーの下の方は、痛みが激しかったのを織り直して復元したのだそうですが、化学染料だったためにすぐに褪色し、元々の自然染料で染められた部分の鮮やかさと、ハッキリと違いが分かります。
 その他の収蔵品は、織物、教会の祭壇の浮き彫り、ステンドグラス、石像、石柱、貴金属の宝物など。どれも細工が細かく、空白恐怖症じみた物凄い精神エネルギーの集中と注入を感じます。ルーブルでルネサンス以降の作品を見たとき、ウウッ生っぽくて気持ち悪い……と思った私には、世俗文化と宗教文化がはっきりとは分かれていないような中世の空気がとても好ましかったのです。生な肉体というよりも、肉体を通したその向こうが感じられる方が好きなのです。とはいえ、聖母子像でも幼子イエスがマリアさまのおっぱい吸ってたり、結構おおらかな表現をしているんですが、ルネサンスのものみたいに肉々しくないんですよねー。ショップでもずいぶん散財してしまった……

☆ギュスターブ・モロー美術館 MUSEE (NATIONAL) GUSTAVE MOREAU
 14, RUE DE LA ROCHEFOUCAULD 9区 メトロTRINITE駅から5分くらい?
 住居兼アトリエがそのまま美術館に。描きかけらしい大作が結構多い。とにかくありったけ壁面を覆い尽くしてる。有名な「神秘の華」は、意外と部屋の隅っこにさりげなく展示されていました。デッサンや水彩画もパタパタパネルに大量に納められてて、私は一カ所しか見なかったんだけど、大作のモチーフが繰り返し描かれてた。目に留まったのは、サロメと走り書きされた男性……王様……ヘロデなのだろうか。油絵の作品でも何枚かサロメがあったので見てみたが、どうやらやはりヘロデ王のよう。これが、油絵よりデッサンの方が数倍色っぽい。山岸涼子か佐藤史生かと思うような、少女漫画のヘロデ王って感じ。ヘロデ王萌え~、でした。ショップはあまり充実してません。

☆ダリ美術館 ESPACE MONTMARTRE-DALI
 9-11, RUE POULBOT 18区 メトロABBESSES駅より、迷った迷った。行くつもりのなかったサクレ・クール寺院に出てしまってから、道ばたの看板を頼りに辿り着きました。途中で腹減ってクレープ買って食べたよ。図らずもモンマルトルを満喫できちゃいました。
 ここは小さな美術館ですが、ダリの溶ろけた時計や足長のゾウなどの立体作品があって、どうやら販売もしているようです。平面作品ももちろん沢山。ショップにはダリのデザインの瓶に入った香水セットとか、溶ろけた時計のペンダント(買っちゃった。27ユーロ)とかもあってなかなか楽しいです。

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September 10, 2004

イタリア人NGO職員人質事件

 イラクでの人質事件は未だ頻発していて、もう大してニュースにすらなりませんが、NGOで働く女性が人質になってしまったそうです。

伊女性2人拉致 バグダッドの援助団体事務所に襲撃(アサヒコムより)

 バグダッド中心部にある人道援助団体「バグダッドへの架け橋」(本部・ローマ)の事務所が7日、武装グループに襲われ、イタリア人の女性職員2人とイラク人2人が拉致された。今年4月から始まった武装グループによる一連の人質事件は移動中に拉致されるケースがほとんどで、建物内部にいる外国人を特定して拉致する手口は、イラクで活動する援助関係者に衝撃を与えそうだ。
 ロイター通信などによると、拉致されたのは、イタリア人のシモーナ・パリさん(29)とシモーナ・トレッタさん(29)、同じ団体に勤めるイラク人男性、別の非政府組織に勤めるイラク人女性の計4人。
 ロイター通信やAFP通信によると、商業地区にある目立たない事務所の前で、カラシニコフ銃などで武装した約20人の男が車を止め、うち2人が押し入って4人を連行した。発砲はなかった。事務所に入った2人の男は武装していたがスーツ姿だったという。
 女性が人質になったのは、4月初めの日本人人質事件以来。これまでの外国人を対象とした人質事件は、8月に南部バスラのホテルで英国人記者が拉致されたケースを除き、紛争地域近辺で起きており、バグダッド中心部での発生は初めて。武装グループは、イタリア人女性らがどこにいるかあらかじめ知っていた様子で、周到に計画された犯行とみられる。
 「バグダッドへの架け橋」は湾岸戦争後の91年に設立。イタリアは約2700人の部隊をイラクに派遣している。これまで民間人5人が拉致され、うちフリーの記者を含む2人が殺害されている。 (09/08 12:05)

 わたくしもご多分に漏れずこのニュースは知りませんでした。バグダッドの真ん中でもさらわれちゃうとは……イラクの状況、ホントにヒドい。こんなイラクに誰がした。
 MLで彼女たちの釈放を求めるメールが流れてきましたので、こちらも一応貼っておきます。
バグダッドで拉致されたイタリア人・イラク人援助従事者の釈放を求める声明
―彼らは占領者の道具ではない―

私たちは、イラクにおける占領に反対し続けている世界中の個人および組織であり、2004年9月7日にイラクで拉致された2人のイタリア人と2人のイラク人の援助従事者の釈放を懇願します。

イタリア人のシモナ・パリとシモナ・トレッタ、およびイラク人のラアド・アリ・アブドゥル・アジズ、マハノアズ・バッサムは、1992年からイラクで活動しているイタリアの独立した人道組織、「Un Ponte Per Baghdad(バグダッドへの架け橋)」のメンバーです。経済制裁の間、他の人道組織がイラクで活動することを拒んでいた時期に、このイタリアの組織は、民間人の苦しみというのが政治的な交渉に使われてはいけないという信念のもと、活動を続けてきたのです。

この占領では、米国とその同盟国(軍)は人道と政治の境界線を曖昧にし、援助と人道支援をイラク人の沈静化のための道具として使ってきました。その結果、イラク人は日増しに、そして理解に難くないことですが、国際的な人道機関に疑いの目を向けるようになりました。このような混乱によって引き起こされた危険にも関わらず、「バグダッドへの架け橋」は、イラク人が彼らの活動の意図を汲み取ってくれるだろうとの信念のもと、イラクでの活動を続けることを決意したのです。

「バグダッドへの架け橋」は、占領をイラク人にとって我慢しうるもの、許容しうるものにするためのイタリア政府の道具でもなければ、米国主導の同盟軍の道具でもありません。そもそも最初から、「バグダッドへの架け橋」はそのスタンスにおいて明らかであり、一貫していました。この組織は、経済制裁に反対し、侵略に反対し、そして占領に反対してきたのです。イタリアにおいて「バグダッドへの架け橋」は、米国主導の同盟に加わるという政府の決定を批判してきました。また、彼らは百万人以上のイタリア人が戦争に反対して行進した2003年2月15日の行進、その後の多くの
平和デモなどの全国的な運動を率いてきたリーダーでもあります。「バグダッドへの架け橋」は、その世界的な反戦運動において活躍し、世界中の反戦組織とのネットワークを築きながら、バグダッドの「占領ウォッチセンター(Occupation Watch Center)」の設立に中心的な役割を果たしてきました。このセンターは、占領を監視するために様々な国の反戦組織・ネットワークによって作られたものです。

シモナ・トレッタは、彼女の人生の3分の1をイラクで過ごしてきました。シモナ・パリは2003年にトレッタに合流したのです。「バグダッドへの架け橋」の現場代表として、シモナ・トレッタは破壊され機能していなかったイラクの水インフラや学校の建物を再建するプロジェクトを監督していました。シモナ・パリは、他の多くのことに加え、イラクのトラウマを持った子どもたちのための教育プログラムを組織していました。ラアッドはイラクの技術者で、この組織のバグダッドとバスラの学校事業に責任を持っていました。マハノアズは社会福祉事業に関わっていました。これらの活動のほかに、「バグダッドへの架け橋」はイラク現地の組織が占領軍による人権侵害の事例を記録できるよう助けていました。今年の4月には、「架け橋」は攻撃下にあったファルージャの民間人に食糧、水、血液、医薬品などを送る人道コンボイを組織し、支援を行いました。先月、米国軍とイラク暫定政府の軍がナジャフを攻撃している間も、「架け橋」はそこにいて、砲火に挟まれたイラク人を救うための救援活動をしていました。

二人のシモナとラエッド、マハノアズはイラクの人々の敵ではありません。彼らは、占領が今すぐ終るよう、イラクの人びとと肩を並べて求めているのです。彼らを拘束している人々に対し、我々は迅速な釈放を求めます。

また、私たちは、イタリア政府に対し、米国主導の同盟から脱退するよう要求します。
私たちは、米国とその同盟国に、占領を終えるよう求めるものです。

2004年9月8日 午後3時(GMT)
【組織】
Iraq International Occupation Watch Center

Alianza Social Continental (Latin America)
Campaign Genoa 2001 (Greece)
Continental Campaign Against FTAA (Latin America)
Code Pink (United States)
Global Exchange (United States)
Globalize Resistance (United Kingdom)
Focus on the Global South (Philippines, Thailand, and India)
International Civilian Campaign for the Protection of Palestinians(France)
Palestinian Workers Union
Stop the War Coalition - Greece
Stop the War Coalition - UK

翻訳以上

(To sign this appeal, please send an e-mail with your name, organization,
country, contact details, to free-our-friends@focusweb.org. Please indicate
if you wish to sign as an organization or as an individual. Contact:Herbert Docena +96 1 316 4370)


 イラクのために働いてきた人たちがこういう目に遭うっていうのは、本当にいたたまれないなぁ。でも、非常に皮肉な言い方になりますが、拉致されて殺されるなら、NGO関係者の方がいい。なぜなら、「憎しみの連鎖」が起こらないだろうと、かなりの信頼度で期待できるから。残された友人や肉親がイラクへの憎しみを抱くよりは、ことの始まりを視野に入れることができるだろうと、期待できるから。とても非道い言い草だとは思いますが。
 戦争って、始めてしまうと、終わらせるのが本っ当に難しいんだな。

 彼女たちが無事解放されることで、国と国のレヴェルで起きた戦争も、人と人との架け橋を壊すことができないのだという確信を、もう一度私たちに信じさせて欲しいと、心から願います。

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プロ野球のストとガンディーのハルタール

 私は野球に興味がないというか、どちらかというと日本の野球カルチャーは嫌いなので、まるで愛情を持っていないのだが、選手会がストをやるというニュースには、どうにも興味を引かれている。

 「ストライキ」というもの自体が、かなりのマイナスイメージを持っているんだなというのが面白い。私が子供の頃は、国鉄も私鉄もストがあったけど、もうずいぶんストの話は聞かない。社会全般に、ストに対する激しいためらい、マイナスイメージが感じられる。
 それももっともかな、と思うのは、ストライキが従来よって立ってきた枠組みが、「労働者vs経営者」というものだから。それ自体はその通りなんだけど、「労働者vs資本家」というどこぞのイデオロギーに回収され尽くしてしまって、現実感覚とそぐわない感じがあるなぁ、なんて。私だって多国籍企業の暴走には危機感持ってるけど、それって「労働者vs資本家」って図式とは、だいぶ違うもんなぁ。

 マハトマ・ガンディーも「ハルタール」という一斉休業、すなわちゼネストを、対英独立運動の中で何度か呼びかけて実行に移してる。これはもちろん「植民地vs宗主国」の図式なんだけども、より正確に言うなら、「インドは誰のものか」を問う土台の上で、(様々な非暴力戦術の一環として)行ったものだと思う。ハルタールに参加する名もない一人一人が、「インドはわしらのモンだ」という実感を持つことが重要で、その上で、英国への意思表示と圧力という意味があるものだと思うのですよ。
 つまり、誰が未来を決めるのか、という問題。それは英国じゃないだろう。お偉方じゃないだろう。わしら一人一人が、インドの未来を作っていきたいんだよ、という意志。

 で、プロ野球選手会のストも、旧式の枠組みで見ると、果たして選手会は労働組合なのかという法的問題が出てくるわけだけど、選手やファンは、なにも「労働者vs経営者」という枠組みから声を上げてるわけじゃない。「プロ野球の未来を密室のオーナー会議で決められちゃかなわん」という不満から、一生懸命「ひらけゴマ!」と叫んでるんだと思う。オープンに未来を語ろうよ、って。カネ出してるのは確かにあんたらだけど、金だけじゃないんだよ、野球ってもんは……。
 このストライキが日本で一般の人々にどこまで受け入れられるかは、もしかすると結構重要かも知れない。
 何一つ変わらず野球界の密室政治が続くなら、日本人はまたも「ああ、そんなもんなんだ」とあきらめを深くするんじゃないかな。
 逆に野球界の体質がオープンになっていく動きが出るなら、「やれば変わるじゃん」という成功体験が一つ積み上げられる。
 私は球団が減ろうが1リーグになろうが野球が衰退しようが構わないのだが、今回のストに関してだけは、良い結果を望む。日本社会には成功体験が必要だ。古田選手って頭のいい人みたいだから、慎重にがんばって、ファンの心を繋ぎ止めつつ「痛み分け」以上の譲歩を勝ち取って欲しいな。

 誰が未来を決めるのか。
 その意志決定に参加する回路を開こうというのは、世界的に市民社会が今まさに挑戦していることであり、21世紀をテロと戦争に覆い尽くさせないための、もう一つの大きな流れ。それがプロ野球なんてトンでもない分野から吹き出すところがいかにも日本的だけど、野球文化って、ナベツネ≒自民党55年体制そのものであるだけに、象徴的意義も大きい、はず。

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September 07, 2004

暴力は恐怖の表現

 ダンナの出張にくっついてフランスに行ってました。その件に関しては、またいずれ書くかも知れません。何しろヘヴィなフレンチ・キュイジーヌに胃腸をやられて、当初の予定(フォアグラ三昧、ワイン三昧)はもろくも崩れ去り、帰りの飛行機の乾燥にノドをやられて夏風邪状態という情けなさでございます。

 フランスに行っている間中、ロシアが大変なことになっていたようです。飛行機は2機も爆発する、自爆テロがあり、トドメに学校占拠。ニュースは宿でCNNやBBCで見ていましたが、帰りの飛行機の中で、ついに突入が始まり情報が錯綜している……というニュースを見ました。成田に着いて(成田……だもんなぁ)夕刊を買うと現地の見取り図が載っているし、現場近くに外国の報道陣も張り付いている……鉄のカーテンはもう無いんだなぁと、ふと感じたり。もちろん、まだまだ閉鎖的で強権的な政府の体質には違いないけど、一昔前なら、あの村ごと「無かったこと」にされてたんじゃないか……なんて想像してしまう世代だから、現地からすぐに情報が流れてくること自体、隔世の感があるのは事実なのです。
 映像が生で流れた分、テロリストの残虐さだけがクローズアップされてしまっているけれど、ロシアによるチェチェンでの人権侵害(虐殺…)についても、報道が全く触れないわけではないのも、まだしも少しはマシな状況かなぁ(バランスが取れているとは到底言えないでしょうが)。
 IRAとの長い戦いにも、ともかくも終わりが有り得たという希望を抱きつつ、「恐怖の支配」が広がる時代を生きて行かなくちゃなぁ……なんて、風邪っぴきには気の重い今日この頃です。

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