ホームレスbloggers
健次郎さんの「ミッドナイト・ホームレス・ブルー Plus One」は、ホームレス自身によるブログ。7月の記事に、パソコン通信時代からのネット友達である阿川大樹さんの小説のことが書いてあったりして、(おそらく3人ともが)世の中狭いなぁ、不思議だなぁ、と思った。
ブログの内容は、外野の野次馬が期待するようなホームレス生活の苦労などは一切無く、ホームレスであることの精神生活の分析や、行政や支援団体への苦言なども。8/19のエントリーで、一時休止宣言。
もう一つのブログは、「ホームレスな日々」。失業中とはいえ実家に家族もあるらしいが、お盆前の求人情報激減を期に、一種のリフレッシュ休暇じみた逃走なのか、自らアパートを引き払って海に近い山中の神社で過ごす記録。文章もいい。8/16のエントリーで新しい仕事と住処を得たことが報告されている。
ビッグ・イシューを買ったり投稿したりする程度には「ホームレス問題」に関心があるが、上に挙げた2つのブログを見るだけでも、ホームレスの人たちは一括りにできない。当たり前だ、ホーム有りの人たちだって一括りじゃないんだから。
「ホームレス問題」に関しては、弱者切り捨ての構造改革や、効率化の名の下に進む“底辺へ向かうチキンレース”であるグローバル化のことなど、マクロな状況からして言いたいこともある。だからビッグ・イシューみたいなマクロかつローカルに展開するアクションを応援したい気持ちがあるし、単なる炊き出し以上の自律支援の必要性にも関心がある。
ただ、正直言って、私は苦労知らずに育ってきて、贅沢な悩み以外抱え込んだことがない。取り立てて言うほどバカでもブスでもビンボーでもなければ、苦労も悩みもたかが知れている。明らかに恵まれている自分の状況が負い目になって、困難を抱えている人たち、社会的に「弱者」と呼ばれるような人たちに対して、かける言葉を見つけられない。大変ですね、と言ったって、私自身はそんな大変さは知らない。むしろ自由な生活かも知れませんね、と言ったって、こっちは風の通る快適なマンションで愛犬の顎を膝に乗せて書いているのだ。上記のブログにコメントしようと思っても、出てくる言葉はせいぜい、「文章がいい」とか「冷静な分析だ」とか、高所からの無感情なもの。そこから先に踏み込む言葉が見つからない。
それでも私がホームレス自身の発信に興味を引かれるのは、社会からの孤絶感に、何となく共感してしまうところがあるからかも知れない。引きこもりと友達の少ない専業主婦と独居老人とホームレスは、心理的にヘルプレスな点だけは近いところもある(追い込まれ方は当然個々で違うが)。経済活動に参加しないこと自体がストレスになるような社会がまともかどうか私は知らん。賃金の授受以外に社会とのつながりが成り立ちにくいのは、社会としては貧しいんじゃないかとも思う。……食うに困ってない者の贅沢な戯言だけど。
最後にこんなことを書くといかにも言い訳じみているが、私もここ10年本が出ていない無職の物書きだから、ホームレス生活はまだ距離はあるものの、別世界ではなく、地続きに感じもする……と言うのも嘘ではない。今時はどんなサラリーマンだってそうだろう。リストラされて家賃が払えなくなれば、明日は我が身、なのだ。
年間4万人近くが自殺し、主要な死亡原因の一つが自殺という有様の日本では、ホームレスだって生きている、という発信は、とても重いものだと思う。
私は……社会が悪い、政治が悪い、と叫ぶのだって、恥ずかしいことじゃないと思ってる。だってホントに、意図的に、弱者を生み出し切り捨てていく仕組みが作り上げられつつあるんだから。
誰かが首くくる前に、飛び降りる前に、誰かが言ってやらなきゃいけないんじゃないか……「あんたが悪いんじゃない、あんたが無能だからじゃない」。恨めよ、怒れよ……死ぬなんて言うなよ、って。
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