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July 10, 2004

非暴力で安全保障!その2

 前のエントリーでは、非暴力による社会防衛が絵空事ではなく真剣な検討の対象になり得るんですよ、というところに力点を置いて、護憲派への憎まれ口も織り交ぜつつ現実主義者の方に向けて書きましたが、今度はもう少し理想主義的・理念的に、脱武装・戦争廃絶への一歩として、というところに力点を置いて書いてみたいと思います。

 非暴力による社会防衛という政策は、当然ながら、市民社会の成熟と並行して進めないと、“国家による国民の動員”という色合いを帯びる危険性がある……と感じられるでしょう。(ダンナのブログにある「ご近所の底力」の危なさ・両義性と似てる感じ)
 その危険が皆無だと言うつもりはありませんが、注意すべきは、非暴力的な社会防衛の主眼が、国家なるものや領土の防衛にあるのではなく、そこで暮らす人々の生活と、価値あると考えられている社会的次元の防衛にあるという点です(教育のナチ化を拒否したノルウェーの例など)。国民を犠牲にして遂行される軍事的防衛とは、逆のものである、と考えたいわけです。市民の生活圏で戦闘が起こることを防ぐ意味もあります。
 もう一つには、非暴力抵抗そのものの性質として、強制よりは自主性と親和的であるという点もあります(過信は出来ませんが)。果たして、国家にだけ都合のいい「重要施設」の防衛のために、人間の鎖として人々を動員するようなことが可能か?人々は、自分たちの意志と信念によって、何を守りたいか選ぶことが出来るのではないか?そうでなければそもそも社会防衛とは呼べないのではないか?とも思うのです。
 暴力手段を含む市民防衛はcivil defense、非暴力による市民的防衛はcivilian defense又はcivilian-based defenseと、用語上の違いもあります。社会的防衛social defenseの場合は、社会の構成員が社会を直接防衛する点に力点があり、市民的防衛が政策としての有効性に力点を置くのに比べ、より構造的暴力やエコロジー、社会構造の変革にも関心を向けた用語だと言われています。

 軍事的防衛から非軍事的・市民的防衛への力点の移動――出来うるなら転換――は、それ自体が脱武装の過程となります。これは徐々に進めることになるでしょうし、様々な情勢に応じてやり方も一通りではないでしょう。社会の中に根を張る軍事的機構・部門を、段階的に非軍事的・非暴力的なものに置き換えていくための模索として、非暴力防衛の探求は意義が小さくないと思います。

 さて、戦争廃絶のためには、戦争が必要ない仕組み作りと、戦争をしにくくする仕組み作りと、戦争に代わる紛争解決方法の確立、の少なくとも3つの側面から努力していかなきゃならないと思います。
 戦争が必要ない仕組みとは、現状を考えると、まずはエネルギー、それから稀少鉱物などの資源を巡る利権を無力化すること……。化石燃料に頼らない自然エネルギーの推進は、遠回りですが戦争廃絶の第一歩。大量消費型の経済システムから脱却することも、それ自体が壮大な目標ではありますが、やはり戦争廃絶へと繋がる道のりだと思います。何百年かかけてでも、やってみる価値はあります(そんなに地球が保つかどうかわかんないけどな)。
 戦争をしにくくする仕組みは、様々な条約で軍事力行使の手足を縛ること。「人道的な戦争」という、それ自体は転倒した理念も、非戦闘員を建前上標的にしないというルールの確立や、捕虜の扱いの改善などの面では、ないよりはまし、それなりに役に立ったのも事実だと思います。国際条約の他にも、戦争に流れるお金を少なくすることも重要です。今なら、アメリカ国債を組み込んでる金融商品は買わないようにするとか、そういう草の根的な意識。
 戦争に代わる紛争解決方法としては、一つには国際機関による調停力の強化(国際機関そのものの民主化と透明性確保も)。そしてもう一つとして、非暴力による社会防衛が考えられると思うんです。

 戦争廃絶、非暴力的な仕組みへの置き換え、という文脈の中で社会的防衛を考えるなら、それが一国平和主義でないことは明らかです。国防は軍事力によるものだ、という固定観念からの解放は、戦争の廃絶に向けて大きな一歩となるんじゃないでしょうか。戦争廃絶のための具体的・現実的構想として、非暴力防衛というのを考えることは、大きなエンパワーメントになりうると思うんです。
 いかがです?

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Comments

戦争に代わる紛争解決方法としては、バチカンのローマ法王による発言がありますかね。世界のキリスト教徒の世論に多大な影響力を持ってるようです。(あたりまえか^^;)

日本もせめてアジアのバチカンになってほしいな。もちろん障害はたくさんあるでしょうけど。

Posted by: カワケン | July 12, 2004 at 05:41

コメント&TBありがとうございました。
バチカンはイラク開戦前にずいぶん動いたみたいですが、残念ながらDQNブッシュを止めることは出来ませんでしたね。止めることが出来なかったと言えば、世界中での数百万人のデモも開戦を止められませんでしたが、開戦を遅らせ、開戦へのハードルを高めたとは思います。
日本をアジアのバチカンに、かぁ……遠い道のりだなぁ(うつろな目)。

Posted by: shimada | July 12, 2004 at 15:55

非・民主国家においては強制収容所による強制労働と
働かない人間・障害者・病人などを役立たずとみなし
「慈善としての死」という名の虐殺が行われるので、
非武装中立とは全く無意味な話です。
元々、非武装中立は日本を共産グループにいれようとした社会党の
陰謀から始まっている説ではありませんか。
日本人が歴史を忘れていることは哀しむべきことですね。
ソ連がどれだけの人間を虐殺したかご存知ないので?
三千万と見積もられていますよ。
虐殺された彼等の多くは劣悪な環境の病気などで働けないのに、
働かないとみなされて殺されたのです。現代も同じです。
チベットの状況をご存知ないのですか?
ナショナル・ネイションの武力が虐殺を防ぎ
国民を真に護るのです。

Posted by: kagami | July 13, 2004 at 05:12

>kakamiさん
コメントありがとうございます。
そーかも知れませんねー。

Posted by: shimada | July 13, 2004 at 06:33

管理人さま、初めまして。

kagami氏の無礼かつ独りよがりのコメントは、
ネット上でも有名ですのでお気になさらずに。
完全に「放置」というのが正しい態度かと思います。
議論は時間と労力の無駄ですので。

えーと話を本筋に戻します。
もう既にご存知なら申し訳ないのですが
コスタリカの政治研究をなさっていて
今回の参院選「みどりの会議」から出馬された(残念ながら落選)
足立力也氏のサイトを紹介させて頂きます。
http://www.adachirikiya.com/costarica.html

Posted by: フィル | July 13, 2004 at 12:30

>フィルさん 初めまして。お気遣いありがとうございます。
足立力也さん、ele-logにWPN逮捕事件の声明を出してた方ですね(それにしてもみどりの会議全滅、残念っ)。
京都の方でも、コスタリカ・キネマ・カフェとかが良くイベントをやってて、関心は持ってました。サイト紹介ありがとうございました。読んでみますね。

Posted by: shimada | July 13, 2004 at 20:03

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