黙秘がデフォルト……らしい
ピースパレード逮捕者事件に絡んで、「砦の上に我等がセカイ」さんの本日のエントリーで、当「一輪庵」が取り上げられています。
7月4日に「ワールドピースナウ」のデモ中、3人の参加者が逮捕された(15日に釈放)。主催者の中間報告で、逮捕者は黙秘で闘っているので、ネットなどでの逮捕状況などについての言及を避けて欲しい、という文言があった。善意であっても、そのような言及が被疑者の不利に働く場合がある。被疑者のプロフィールを類推させたり、具体的な逮捕状況の記述が言葉尻をつかまれたり。デモの逮捕などというのは、逮捕者の人間関係を探ったり、それを破壊するのが目的であり、それ自体がまったく不当なものに過ぎない。警察に、被疑者の不利になる(かも知れない)情報を与えてあげる必要はまったくない。たとえば、として、足立力也さんのところのコメントバトルとウチが並べられちゃってるぅ。
だから、被疑者の黙秘自体は当然だし、これは法律に則ってのことで問題はまるでない。逮捕された人の権利を尊重するなら言及を避けて欲しいとのお願い(強制ではない)も…のだが、悲しいことに善意でこれを批判する人がいる。
「一輪庵」の人の言う「黙秘したら却って拘束が長くなる」という場合もあるかもしれない。が、喋れば早く出られる保証はない。また、警察に喋る、という関係を作ることで、付け込まれる場合もある、というかそのために警察は黙秘を崩そうとする。立川テント村の3人が75日間拘束されたのは、黙秘したからではない。警察は身元を特定した上で逮捕したし、最初から起訴に持ち込むつもりだった…ビラを配ったという事実を以って。
当たり前の権利や当たり前の自由を主張したり、行使することを「おかしい」というひとがいる。警察がいうのなら、不当だとしてもそういうものだ、と諦めがつく。だが、それを善意で主張する人がいるのは、僕には不思議でならない。
黙秘については、拘留が長引くんじゃないの?と単純に疑問を持っただけなので後回しにしますが、情報を流さないでというお願いにはハァ?と思ったので、その点を先に。ちなみに、当初のお願いの文言は「なお、今3人のひとびとは事実関係については「黙秘」で闘っていますので、参加したみなさまが当日の具体的な様子など、ネットその他で流すのは控えてくださいますよう、お願いします。」だったので、私は「逮捕状況」を含めてすべての情報と解釈しました。
「匍匐前進の日々」によるとchance!のMLで以下のような説明が流れたそうです。(このブログ自体はいわゆるプロ市民嫌いのミギーな方のものなので、ツッコミどころ満載だ、という注釈付き(^_^)右と左って私にとってはほとんど同義なんだが、やはり両方から突っつかれる立場にあるんだなぁ…)
被拘束者はたまの弁護士接見以外、ほとんどの情報から遮断されています。一方、取り調べ官はあらゆる情報に接することができます。「逮捕当時の本人の具体的な行動とか、近くに誰がいたか、といった情報」を書かないでほしい、というだけで、ぎゃくに、「『警察の規制がひどかった』『何十人もで襲いかかってきた』とかいうことは、ちゃんと伝えればいいんです。そうしないと、集会やデモ/パレードに参加していなかったひとに、弾圧のひどさが伝わりません 」。←これが伝わらなかったので、私はハァ?と思ったんですね(「弾圧」という言葉も、正しいか間違ってるかで言えば正しい言葉遣いなんでしょうが、一般市民を遠ざけるサヨク臭がするので私なら使わないけとね)。……ちょっと言葉が足りなかったみたい。現に私は誤解しちゃったみたいだからね。
逮捕当時の本人の具体的な行動とか、近くに誰がいたか、といった情報を警察が知ると、その情報をつかって (適当にアレンジして) 本人を動揺させたり、誘導したりして、黙秘や否認を崩そうとする可能性があります。
* 「動揺させる」というのはたとえば、今回は 3 人ですが、取り調べは別々ですから、「××はもうしゃべったぞ (黙秘を破った)」なんて嘘をついて、しゃべらせようとする、といったことです。そもそも、最初に拘束されたひとなどは、ほかにも拘束されたひとがいるということさえ知らされず、孤立感にさいなまれがちです。弁護士が早期に接見して、弾圧の全容や支援の状況をつたえることは、とても大事なのです。
本名を書いたらだめ、というだけの話ではないです。本名を書くと、ついつい本人の具体的な行動とか、運動の中での位置、役割とかを書いてしまうことが多いですよね。そういう情報を公開することは、本人の不利益になるから、やめましょう、ということです。
さらに、公開でないメーリングリストでも、本名や当時の本人の行動を書かないほうがいい、というひともいます。これは習慣づけとして大事です。
「このメーリングリストに書くと、だれかがうっかり転載しちゃうかな」という疑問がほんのすこしでもあるなら、書かないでください。そうならない絶対の確信がもてるなら、書けばいいでしょう。
さて、次に「黙秘」について。
どうやら警察に煙たがられる市民運動にとっては、黙秘はデフォルトらしいですね。『非暴力』FOR BEGINNERSシリーズ 現代書館によれば、
取り調べでの警察官や検事はよく次のようなことを言って、「自白」を強要する。取り調べのプロであるから、とにかく、あの手この手で何かをしゃべらせようとするが有効な対応策は「黙秘」である。面白いので挙げられている例を並べると……しゃべったら起訴しない、罪もずっと軽くなるぞ。しゃべらないと、お前が主犯になるぞ。他のものはお前が主犯だと言っている。あいつはもうしゃべった。おまえがかくしてもムダだ。やっていないなら、本当のことをしゃべったらどうか。もうわかっていることだから、あっさり話して早くすまそう。おまえが強情はっていると聞いて、お母さんが毎日泣いているぞ。こんな弁護士に頼むと、どれだけ高く付くかわからんぞ。救援のやつらは、おまえを利用するだけだ。役に立たないとわかれば相手にしないぞ。しゃべらないと就職の口もなくなるぞ。……など、「家族や友人などを使って、弱みにつけこんでおどかしたり、さりげない世間話や雑談から泣き落とし作戦に出たり、挑発、論争などに引き込んで、しゃべらせようとしたり、とにかく、あらゆるテクニックを使ってくることを覚えておこう」だそうです。警察、必死だな、ってことですね。
単なる平和運動だとしても、やっぱり実行委員の内部事情とか、人間関係とかを警察に知られると、陰険な手段での運動潰しをやられる可能性があるだろうから、やっぱり黙秘するのがいい、ってことなんでしょうね。
ちなみに「砦の上に我等がセカイ」さんのように、警官に呼び止められカバンを見せろと言われた場合、『非暴力』FOR BEGINNERSシリーズによると、カバンの中身は(国会議員の年金記録と違って)プライバシーそのものだから、原則的には丁重に断るべき。所持品検査は職務質問の理由と関係がある場合のみ可能。しつこく求められたら、「どうしてカバンの中まで見せる必要があるのですか?」「何が入ってるというのですか?」「理由もなく他人に見せるわけにいきません」などと対応すればよいそうです。こちらから相手に質問をする、というのは非暴力の基本的なテクニックだと思います。見せてもいいと判断した場合でも、自分でカバンを開け警察官にはさわらせないこと、と書いてあります。
強制的な身体検査は、もちろん、礼状なしには認められていないそうです。
……しかし、「面倒に巻き込まれたくない」のが人情。警察はけっこう無茶なやり方をしてでも、それで一般の人がピースムーヴメントから離れてしまえば、目的達成なんだろうな。
それでも今回、立川みたいな長期拘留にはならなかったのは、ビデオの存在が一つの抑止になったのかな。
非暴力は掲げてるだけじゃ足りない。ちゃんと周知徹底し、準備しないと。
明るくオープンであることが、最大の強みになるはず、って、今も私は思ってますよ。
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Comments
いろいろ周辺を読んでいると、なんだか、警察と闘うことが目的になっている人が結構いるんだな、というのが感想。
運動の目的がすりかわっちゃってるような気がする。
警察は敵でも味方でもないやね、ただの社会のファンクションなんだから。
警察と敵対するヒマがあったら、さっさと運動の目的にあった別のアクションをすればいいんじゃないかな。
カバンの中を見せようと見せまいと、そんなことどうでもいいじゃないか。もちろん見せないことは正当だから、見せなくていいのだが、わざわざ論評するほど重要なことには思えない。自分は見せなくても見せる人がいたってかまわないしね。
できればよけいなものとは闘わないで目的に向かってまっすぐ進みたいと思う。戦いは手段であって目的ではない。ましてや、警察と闘うことにあまり意味があるとは思えない。
Posted by: 大樹 | July 18, 2004 03:29
>こんにちは、大樹さん(^v^)
「権力と戦う」発想で平和運動やってる方々も、多いですね。キャリアも長かったり。「共感を広める」発想とは、習性がちょっと違うんですよね。
こういう議論にはまりこむこと自体、本来の道筋からそれちゃうだけでなく、関心は持ってるけど「反権力大好き」じゃない人を遠ざけちゃうなーと思って、このエントリーもやめようかと思ったんだけど……でもま、そんなとこまで私が心配する必要ないや、と思って。でもやっぱりね、書いてても読んでても楽しくないんですよ、この手の議論って。「明るい非暴力マニュアル」を書いてるときは楽しかったんだけどな。
Posted by: shimada | July 18, 2004 05:22