非暴力ネタへの様々な反応
非暴力マニュアルや非暴力防衛1,2に、ずいぶんたくさんの反応をいただいて驚いています。共感もあり、もちろん疑問もあり。
一番驚いたのが、疑問を抱く方がみなさん、チベット問題に触れられること。日本人がこんなにチベット問題に関心があるとは思ってなかったので、正直、自分の不勉強を恥じています。
非暴力で安全保障!のコメント欄でも少し触れましたが、もう少し思い出したことがあるので、ここで書いておきます。
十年以上前になりますが、ある中国人の口からチベットについて聞いたことがあります。当時の私はダライラマの非暴力イイ!くらいにしか考えていなかったのですが、彼の口からは、「チベットなんて奴隷制のヒドいところだったんですよ」という言葉が。その人は教養ある、日本を含む自由主義社会にもなじみのある朝鮮系の中国人でしたので、朝鮮族への漢族の差別の歴史から、必ずしも中国政府を全肯定して思考停止している人ではありませんでした。
それだけプロパガンダというものは力があるのだと思います。ここやここで読めますが、5%の地主が95%の農奴を支配していた封建社会からチベットを解放・民主化改革したのだと書いてあります(う~ん、どっかの新しい歴史教科書みたい)。それ以上のことを自分で知ろうとしない限り、ああそうかで終わってしまうのです。
ダライラマは徹底した非暴力思想によってノーベル平和賞を受賞するまでに国際的注目を集めることに成功しましたが、果たして、中国国内では?ここ十年で事情はどれだけ変わったのでしょうか……。
以前よりも諸外国への経済依存を強めつつある中国にとって、ようやくこれから、国際的な圧力が意味を持ってくるはずです。そして、中国国内でプロパガンダのメッキが剥がれ、チベットの現実が広く認知されることが、問題解決にとって不可欠だと思います。チベット問題に取り組んでいる団体のページはこちら。
それから、私が非暴力ネタを書き始める少し前に、こんなエントリーをしている方がありました。
ジロー's カフェ 右の頬を叩かれたら……より
僕はずっとキリスト教が苦手だったんです。そう、そうなのよ~!と、このエントリーを見つけたとき、とても嬉しかったんです。
それは聖書の中のある言葉がひっかかっていたからです。「右の頬を叩かれたら、左の頬を差し出しなさい」
右の頬を叩かれたら、叩き返すか、逃げるか、それとも訴えるか。
僕は、そう思っていたのです。その聖書の言葉が、自分なりに理解できたのは、
英語教師として、授業で、キング牧師のことを教えたときのことです。
…(略)…
キング牧師は、牢屋に入れられても、
自宅に爆弾を放り込まれても、毎晩のように脅迫電話があっても、
仲間の黒人がリンチで殺されても、
非暴力を貫きました。
憎しみには愛をもってたたかう。愛だけが憎しみをなくすことができる、と。それを教えて、僕はようやく「右の頬を……」が理解できました。
非暴力は、ただ暴力を使わないだけじゃないんです。
相手の暴力にひるまない勇気と、相手を許すやさしさがなくてはいけません。
聖書のその言葉はそのことを言っているのでしょう。
(後略)
公民権運動や、ガンジーの対英独立運動の実例に触れれば、非暴力が単なる理想主義なんかじゃないことが分かる。同等の人間とすら認められず、言ってしまえば「毛のない家畜」くらいにしか思われてなかったアメリカ南部の黒人、植民地下のインド人の状況が、どれほど困難だったか。憎しみの連鎖を断ち切ることが、どれほど困難で、それでもなお可能だったか。それも聖人君子じゃない、家族もありしがらみもある普通の人々が。
「非暴力は理想としては分かるけどねー、実際目の前で肉親や友人殺されたらさー」と言えてしまうのは、この困難さを軽視しているように感じてしまうんですよね。困難であることと不可能であることは、イコールじゃない。
強者の弱者に対する憎しみって、根は恐怖ですよね。弱者の強者に対する憎しみって、ずっとたどれば「思い知らせてやりたい」→「わからせてやりたい」→「理解されたい」……。非暴力が憎しみから和解への道筋になりえるのは、きっと心理学的にも必然なんじゃないかな。
あと、トラックバックの中にこんなのもありました。(コージ・コーナー 2004.7.13より)
非暴力で安全保障!その2には、あんまりノれません。人が戦争をする理由って、そんなに簡単に消し去れるもんじゃないと思う。「こいつ気にくわねぇ」ってすごく単純な感情が根本にあると思うから。私は戦争って、感情的なものであるよりまず、経済的なものだと思うんだけどなぁ。経済的なものだからこそ、観念としては、国家間の、近代兵器による戦争の廃絶という理想状態を想定できるかなぁと。もちろん戦争が簡単に無くなるなんて思っちゃいないけど、減らしていく努力はすべきだと思うし。
あ、喧嘩や犯罪は観念的にも理想状態としても、なくならないですね。喧嘩や犯罪が皆無の社会を想定すること自体、どっかで個人性を否定してて暴力的だと思います。でもやっぱり、喧嘩や犯罪も、減らしていく努力は出来るし、やるべきだと思いますけどね。
同じエントリから。
こういうのって、特に思想・洗脳の対抗策と合わせて取り入れたほうがいいような。「同化せよ。抵抗は無意味だ」とか言うような、理屈の聞かない相手には相当強固な精神が必要だと思うから。ボーグですか(スタートレック ヴォイジャーの)、宇宙人はちょっと……(^_^;)。エンダーのゲームが、問答無用に侵略してくる昆虫型宇宙人と戦って殲滅したら、実は……って話でしたね。そういえば同書の続編、死者の代弁者以降の作品群は、非暴力っぽいテーマを含んでますね。
思想・洗脳対策って、今の日本で考えればマスコミと教育ですよねぇ……。どっちも信用できないな。国防と絡めるより、ネットの自由を守るとか、情報リテラシーとか、そういう方面から考えた方がよさそうかな。占領下でのこととして考えるなら、やはりノルウェーの教員団体がナチ化に抵抗した事例とか。
やはり同じエントリから。
う~ん。結局、人を対立足らしめているのは、思想でしかないのかな。思想を捨てれば、人々は簡単にわかり合える気がする。でもそれだって、ひとつの思想でしかない。アメーバだかバクテリアが簡単に融合したり分裂したりするわけにはイカンものね、人間ちゅうもんは。
相手を否定しなきゃ気が済まないっていう、思想が時に陥る暴力性ってのはわかるけど、対立の根っこって、非暴力ヲタとしては、相手への無知と無関心かなぁとも思うんですよね……。相手の生命や尊厳への。
思想の違いは、人の数だけあって当然。対立もあって当然。でも、それを暴力で解決するのは不毛だし、対立を構造的な暴力で永続化させるのに抵抗したい。せめて殺し合わずに済むように、非暴力的な仕組みに置き換えていきたい。ってとこかなぁ。
一かけらの食料を奪い合って殺し合うことも出来るし、最後の一かけらを人に与えることもできる。どっちが素晴らしいというんじゃなく、どっちも可能だってこと。人間って自由だから。
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Comments
どうもはじめまして。久しぶりにまじめなことを考えて、とりとめのないことになってしまいましたが、お読みいただけていやはや。
ボーグの比喩は、伝わらなかったようですね。チベットに侵攻している中国のつもりだったんですが。
俺は基本的にお互いが分かり合うなんてのは幻想だと思っているふしがあります。個人レベルなら、「情」ってやつで歩み寄ることができるけど、国家間が歩み寄るなら、利害関係なのかな。歩み寄ることはできても、理解し合うのは多分無理。悲観的だし、思考停止なのかもしれないけど。
そうそう、チベットが奴隷制のひどいところだったとしても、それが人々を殺し、文化を破壊する正当な理由にはならないと思います。外国の人に「あなたの国はここがおかしい」といわれたら、やっぱり口答えしたくなるのが人情ってモンだろうから、別にその朝鮮族の中国人さんを責めようとは思わないけど。
最近まで気がつかなかったけど、日本って敵に囲まれてますよね。北朝鮮のミサイルは東京に向けられてるし、韓国じゃ「親日的」って言葉が政治家にとって致命的なダメージになるし、領土問題も抱えてる。中国とは今まさに資源と領土の取り合いをしようとしている。隣国とは仲が悪いのが常だからしょうがないけど、だからと言って攻められないようにする工夫は怠っていいわけじゃない。
そこで、非暴力抵抗ってやりかたがどこまで有効なのか、あるいは有効じゃないのか。引き続き、ぼんやりとだけど考えてみたいですね。
戦争は誰だってイヤだ。でも、侵略されて自分達の文化やら生活習慣やらを奪われて、隷属するのもイヤだ。右の人も左の人も、程度の差はあれ、そこらへんは同じかなと想像します。
と、ダジャレとか釣りとかがメインの痛い個人サイトの人が、いろいろ思いをめぐらせて見ました。今度はもうちょっとまとめてから書きます。長いし乱文だし失礼しました。
Posted by: コージ | July 16, 2004 01:23
ボーグの比喩のところは、自分で書いててもちょっと意味がハッキリしないなと思ってたんです。逮捕されて洗脳されるとか、そういう一人一人のケースかなぁとも思ったんですが、占領下での洗脳教育・思想矯正等のことだったんですね。ナチス占領下の傀儡政権は100人の教師を殺せずに釈放しましたが、中国の場合、天安門事件で「1万人くらい死んでもどうってことない」と言ったとか言わないとかのお国柄ですからね。ましてチベットの実情は外部に漏れにくい。非暴力も無力なケースかも知れません(それでも武力抵抗するよりはましだったと思ってますが←自力だけじゃ無理だから西側のどこかに援助されてアフガン化したのでは)。
> 日本って敵に囲まれてますよね。
あと、外国の駐留軍に首都を囲まれてますしね(^_^;)
まぁ、わざわざ神経逆なでするような靖国参拝にこだわる首相を選び続けてるし、日米安保一本ヤリ!で、東アジアの安定策を講じてこなかったというのもあるし。まずは中国・韓国に「反日教育」をやめてもらうよう、あの手この手の外交で取引(一層の関係正常化、ってやつですか)するのが重要では。さもないと、個別の問題を片付けてもあとからあとから問題が沸いてきそう。北はもうすぐ経済から自滅するんじゃないでしょうか。ミサイル撃ったらアメリカに叩かれるの分かってておっぱじめるほど将軍サマ根性座ってるのか、そもそもミサイルの燃料、あるの?とも思いますが。
攻められないようにするためには、経済交流の活発化が一番だと思うんですよね。金かけて戦争するより、貿易した方が国益にかなうという状況を維持すれば、個々の場面で利害の対立があっても、戦争に至る動機にはならない。エコノミック・アニマルらしく、その辺したたかにやっていった方が現実的なのではと思うのです。
もちろん、美しい言葉で付け加えるなら、市民レヴェルで互いに良く知り合い、交流することが不可欠ですけどね。
Posted by: shimada | July 16, 2004 02:25
ああ、ああいえばこういう状態を招いてしまったかも。
推敲が甘かったかな。
Posted by: コージ | July 16, 2004 16:17
ゴメンナサイ。そろそろ黙ります(^^;)
Posted by: shimada | July 16, 2004 17:04