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July 2004

July 18, 2004

ブログで拾う非暴力

 【追加アリ】
News & Blog Searchで「非暴力」を検索してみると、このごろ沢山引っかかるようになってきた。

私事ですが……の「自衛隊と銃社会」

ただ、自衛隊の話題で出てくる「国と国民を守るために武器が必要」という理屈は、銃社会の話題で出てくる「自分と家族を守るために銃が必要」という理屈と同じ構造であるような気がする。

猿虎日記の「非暴力的『緊張』」
 辺見庸の寝言はともかく、『暴力の哲学』に引用されているM.L.キングJr.の以下の言葉は、重要。
非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。緊張をつくりだすのが非暴力抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この「緊張(tension)」ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。
あ、そっか、こっちを強調する必要もあるのね。

航海中・・・の暑い夏の夜はでは、チベット・ミステリー三部作が紹介されてます。

町山智浩アメリカ日記の「『華氏911』は偏向しているか?」(町山さんのブログからもう一つ別の記事もClipしてます→右のバーの下の方にある「一人一人でバランス…」)

ベトナム反戦運動が急激に高まったのは、 テト攻勢の激戦がテレビで放送されたのがきっかけだった。 黒人公民権運動にアメリカ人が共感したのも、 非暴力デモを続ける黒人たちに警官隊が放水し、 犬をけしかける映像が放送されたのがきっかけだった。 だからブッシュ政府は戦争の悲惨な部分を隠し続け、 アメリカのマスコミはそれに協力してきた。

Daily Logの「豪 雨 と 自 衛 隊 で ふ と 思 う  ( ゚Д゚)ポカーン」
ガンジーの非暴力不服従運動も、最初は身内からも半信半疑、というかむしろ批判が出るような運動であったという節があります。それでも、最後には結果を出した。安易に路線切り替えで米国の追従をせずとも長期の批判覚悟で、独自の道を見出してもいいか。
……と、昨日の自衛隊の姿を見ていて思った事でありました。
(中略)
力がない国は生きていく価値がないのか?
そんな事はない罠、と漏れは思います。そういう国だって、自分の土俵と限られた資源を活かして、活路を見出している。この理屈は「武力」についても同じだと思うのです。日本の経営資源は他にあり。
こういう観点で活動を考える機会が、もう一度訪れて欲しいものです。
本隊で誰か死んだり、ブッシュマンセーで国が染まる前に。

nothing but troubleの「vs DQNを酒を呑みながら考えてみた。」
 俺は、若いころ、所謂ヤンキーさんたちに絡まれやすい人間だったのだけれども、基本的に「逃げない。目を逸らさない。言う事を聞かない。手を出さない。」を信条にそういう時は対処していたということを思い出した。こっちが切れて、手を出したりすると酷い泥仕合になったり、バイトや約束に遅刻したり(殴ったあと必死で逃げまくったりして)とか、必ず面倒なことになっていた。
そういう経験上、毅然とした態度で臨む非暴力が一番有用な暴力を止める力になりうると思っている。

所謂、非暴力主義で、一番拙いのはビビってしまう事なんだろうなと思う。
日本のイジメの構図のように、イジメっていう暴力に恐怖したら、止まることは無いんだろうなとか。ただ、あれは狭くて、ある意味強固なコミュニティ内であって初めて成り立つ現象だろうが。
それでも、言いなりになった時点で負けは負けだ。止める意思を失った時点で。

どういう形にせよ、負ける時って、自分可愛さのあまり、屈するような時なんだろうなと思う。屈した時点でそれより酷いことになるかもしれないのに。
そして、屈し続ける事に耐えれなくなったら、結局抵抗するわけだが、積もったものもあり、また負けたらと言う恐怖もあり、より悲惨な形でそれは実行されるものなんだと思う。
そして憎しみだけが降り積もり、どんどん悪化していくだけなんだと思う。

DQNとの対決体験、とても面白い。

おなじみJ憲法&少年A の「あえて非武装非暴力」

日本が軍隊(正規軍としての日本国軍)を持つ「普通の国」になるべきなのか、それとも、世界でも稀有の非武装非暴力平和主義の国家として人類史に偉大な功績を果たすことを選ぶのか。
(略)
唯一つ言えるのは、いったん「普通の国」になる道を選んだら、もう引き返すことはできないということだ。
引き返すのは、確かに物凄く困難になる。日本が今どちらを選択するかは、物凄く重要だと思う。それでも、既に軍隊と交戦権を持つ「普通の国々」からなる国際社会も、暴力的な機構を非暴力的な機構へと、一つ一つ、置き換える努力をしていくしかない。

 反戦翻訳団(スゴい名前)の「イスラエル国防軍への入隊を拒否していた5人に対して、法廷が減刑を言い渡しました」

委員会に対しては、刑務所当局そして同収容者たちから、彼ら5人の収監中の素行を絶賛する手紙が何通も届いていた。また委員会の構成員たちは、以下のことにも注目していた。即ち、彼らは投獄される以前に地域への奉仕活動に対して大変熱心に取り組んでいたことそして今後も奉仕活動を続けて行くと云う意思を彼らの声明文にて表明していることである。
良心的兵役拒否。私は女だからまだ他人事の気分が大きいけど、日本の成年男子諸君にとっては、まさに明日は我が身の問題。(兵役拒否の時に頼りになるのって、クエーカーの他にはエホバの証人だったりするんだけどね。でもまぁ、信教の自由はあることだし、信仰そのもののうさんくささには目をつぶってもいいかなと。あ、もちろん、イスラエルにで兵役拒否しているのはユダヤ教徒なのでしょう。)

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東欧の架空の国

『オルシニア国物語』A.K.ル・グィン ハヤカワ文庫SF
 たぶん十年ぶりくらいの再読。……中身、全然覚えてなかった。若すぎたんでしょうね。今読めば、面白い。
 東欧の架空の国オルシニアを舞台に、中世から東西冷戦期まで様々な時代に生きる人々を描いた短編集。作者デビュー前の作も含まれているとのこと。(この路線でデビューできなかったため、SFという「カテゴリーに合わせる」ことで出版の機会を獲得しようとした、と、本人の言葉が解説で引用されている)

 大別すると中世もの、資本主義勃興期もの、東西冷戦期ものがあり、それぞれの作品の最後に、何年の出来事かが書いてある。冷戦下の東側で暮らしたことがあるのかと思うほど妙にリアルな冷戦期ものは、自由を描くには格好の素材だったのだろう。が、まさか20世紀の内に冷戦が終結するとは、SF界の女王にも予想できなかったのだろうなと思うと、それもまた感慨深い。

 ル・グィンは知性が好きで何冊か読んでるんだけど、正直言うと、文体が合わない。省略されてる部分が分かりにくいのだ。長編でも「えっ、この文章で終わり??」と思うことが多い。最後の一文なんて絶対に必然のはずなのに、作者の考えるその必然性が飲み込めないことが、ままある。いや、だから嫌いじゃなくて好きなんだけど……読み方がいまいち分からないのだ。英語で読んだことないから翻訳の問題である可能性は消せないけど、訳者は複数いるし……それに、やはり複数の訳者で読んでも、英語で読んでも、ディネセンの文体はピタッと心にはまってくる。最初から最後まで、どの一文にも必然性を感じる。不思議なもんだなぁ。

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July 17, 2004

黙秘がデフォルト……らしい

ピースパレード逮捕者事件に絡んで、「砦の上に我等がセカイ」さんの本日のエントリーで、当「一輪庵」が取り上げられています。

7月4日に「ワールドピースナウ」のデモ中、3人の参加者が逮捕された(15日に釈放)。主催者の中間報告で、逮捕者は黙秘で闘っているので、ネットなどでの逮捕状況などについての言及を避けて欲しい、という文言があった。善意であっても、そのような言及が被疑者の不利に働く場合がある。被疑者のプロフィールを類推させたり、具体的な逮捕状況の記述が言葉尻をつかまれたり。デモの逮捕などというのは、逮捕者の人間関係を探ったり、それを破壊するのが目的であり、それ自体がまったく不当なものに過ぎない。警察に、被疑者の不利になる(かも知れない)情報を与えてあげる必要はまったくない。
だから、被疑者の黙秘自体は当然だし、これは法律に則ってのことで問題はまるでない。逮捕された人の権利を尊重するなら言及を避けて欲しいとのお願い(強制ではない)も…のだが、悲しいことに善意でこれを批判する人がいる。
たとえば、として、足立力也さんのところのコメントバトルとウチが並べられちゃってるぅ。
「一輪庵」の人の言う「黙秘したら却って拘束が長くなる」という場合もあるかもしれない。が、喋れば早く出られる保証はない。また、警察に喋る、という関係を作ることで、付け込まれる場合もある、というかそのために警察は黙秘を崩そうとする。立川テント村の3人が75日間拘束されたのは、黙秘したからではない。警察は身元を特定した上で逮捕したし、最初から起訴に持ち込むつもりだった…ビラを配ったという事実を以って。
当たり前の権利や当たり前の自由を主張したり、行使することを「おかしい」というひとがいる。警察がいうのなら、不当だとしてもそういうものだ、と諦めがつく。だが、それを善意で主張する人がいるのは、僕には不思議でならない。

 黙秘については、拘留が長引くんじゃないの?と単純に疑問を持っただけなので後回しにしますが、情報を流さないでというお願いにはハァ?と思ったので、その点を先に。ちなみに、当初のお願いの文言は「なお、今3人のひとびとは事実関係については「黙秘」で闘っていますので、参加したみなさまが当日の具体的な様子など、ネットその他で流すのは控えてくださいますよう、お願いします。」だったので、私は「逮捕状況」を含めてすべての情報と解釈しました。

匍匐前進の日々」によるとchance!のMLで以下のような説明が流れたそうです。(このブログ自体はいわゆるプロ市民嫌いのミギーな方のものなので、ツッコミどころ満載だ、という注釈付き(^_^)右と左って私にとってはほとんど同義なんだが、やはり両方から突っつかれる立場にあるんだなぁ…)

被拘束者はたまの弁護士接見以外、ほとんどの情報から遮断されています。一方、取り調べ官はあらゆる情報に接することができます。
逮捕当時の本人の具体的な行動とか、近くに誰がいたか、といった情報を警察が知ると、その情報をつかって (適当にアレンジして) 本人を動揺させたり、誘導したりして、黙秘や否認を崩そうとする可能性があります。
* 「動揺させる」というのはたとえば、今回は 3 人ですが、取り調べは別々ですから、「××はもうしゃべったぞ (黙秘を破った)」なんて嘘をついて、しゃべらせようとする、といったことです。そもそも、最初に拘束されたひとなどは、ほかにも拘束されたひとがいるということさえ知らされず、孤立感にさいなまれがちです。弁護士が早期に接見して、弾圧の全容や支援の状況をつたえることは、とても大事なのです。
本名を書いたらだめ、というだけの話ではないです。本名を書くと、ついつい本人の具体的な行動とか、運動の中での位置、役割とかを書いてしまうことが多いですよね。そういう情報を公開することは、本人の不利益になるから、やめましょう、ということです。
さらに、公開でないメーリングリストでも、本名や当時の本人の行動を書かないほうがいい、というひともいます。これは習慣づけとして大事です。
「このメーリングリストに書くと、だれかがうっかり転載しちゃうかな」という疑問がほんのすこしでもあるなら、書かないでください。そうならない絶対の確信がもてるなら、書けばいいでしょう。
「逮捕当時の本人の具体的な行動とか、近くに誰がいたか、といった情報」を書かないでほしい、というだけで、ぎゃくに、「『警察の規制がひどかった』『何十人もで襲いかかってきた』とかいうことは、ちゃんと伝えればいいんです。そうしないと、集会やデモ/パレードに参加していなかったひとに、弾圧のひどさが伝わりません 」。←これが伝わらなかったので、私はハァ?と思ったんですね(「弾圧」という言葉も、正しいか間違ってるかで言えば正しい言葉遣いなんでしょうが、一般市民を遠ざけるサヨク臭がするので私なら使わないけとね)。……ちょっと言葉が足りなかったみたい。現に私は誤解しちゃったみたいだからね。

 さて、次に「黙秘」について。
 どうやら警察に煙たがられる市民運動にとっては、黙秘はデフォルトらしいですね。『非暴力』FOR BEGINNERSシリーズ 現代書館によれば、

取り調べでの警察官や検事はよく次のようなことを言って、「自白」を強要する。取り調べのプロであるから、とにかく、あの手この手で何かをしゃべらせようとするが有効な対応策は「黙秘」である。
面白いので挙げられている例を並べると……しゃべったら起訴しない、罪もずっと軽くなるぞ。しゃべらないと、お前が主犯になるぞ。他のものはお前が主犯だと言っている。あいつはもうしゃべった。おまえがかくしてもムダだ。やっていないなら、本当のことをしゃべったらどうか。もうわかっていることだから、あっさり話して早くすまそう。おまえが強情はっていると聞いて、お母さんが毎日泣いているぞ。こんな弁護士に頼むと、どれだけ高く付くかわからんぞ。救援のやつらは、おまえを利用するだけだ。役に立たないとわかれば相手にしないぞ。しゃべらないと就職の口もなくなるぞ。……など、「家族や友人などを使って、弱みにつけこんでおどかしたり、さりげない世間話や雑談から泣き落とし作戦に出たり、挑発、論争などに引き込んで、しゃべらせようとしたり、とにかく、あらゆるテクニックを使ってくることを覚えておこう」だそうです。警察、必死だな、ってことですね。
 単なる平和運動だとしても、やっぱり実行委員の内部事情とか、人間関係とかを警察に知られると、陰険な手段での運動潰しをやられる可能性があるだろうから、やっぱり黙秘するのがいい、ってことなんでしょうね。

ちなみに「砦の上に我等がセカイ」さんのように、警官に呼び止められカバンを見せろと言われた場合、『非暴力』FOR BEGINNERSシリーズによると、カバンの中身は(国会議員の年金記録と違って)プライバシーそのものだから、原則的には丁重に断るべき。所持品検査は職務質問の理由と関係がある場合のみ可能。しつこく求められたら、「どうしてカバンの中まで見せる必要があるのですか?」「何が入ってるというのですか?」「理由もなく他人に見せるわけにいきません」などと対応すればよいそうです。こちらから相手に質問をする、というのは非暴力の基本的なテクニックだと思います。見せてもいいと判断した場合でも、自分でカバンを開け警察官にはさわらせないこと、と書いてあります。
強制的な身体検査は、もちろん、礼状なしには認められていないそうです。

……しかし、「面倒に巻き込まれたくない」のが人情。警察はけっこう無茶なやり方をしてでも、それで一般の人がピースムーヴメントから離れてしまえば、目的達成なんだろうな。
それでも今回、立川みたいな長期拘留にはならなかったのは、ビデオの存在が一つの抑止になったのかな。
非暴力は掲げてるだけじゃ足りない。ちゃんと周知徹底し、準備しないと。

明るくオープンであることが、最大の強みになるはず、って、今も私は思ってますよ。

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July 16, 2004

今年の祇園祭

 宵々々山で19万人、宵々山で31万人の人出。そしていよいよ宵山となりました。

 ダンナのブログに、提灯が点った夜の様子がありますが、山鉾って、船の屋形に見立ててるんでしょうかね。

 今年はハンナの散歩コースの小さなビルのところに、「長刀鉾 稚児家」の貼り紙がされ、ビル横の駐車場にたくさんの提灯が吊られています。時々、なんかの行事でお囃子が聞こえてきたり、関係者のバーベキューパーティーをやってることもありました。

 去年売り切れてて悔しかった占出山の吉兆鮎、八幡山の鳩鈴(鳩笛とともに、大中小豆サイズ、白とピンクがあってカワイイ)、菊水鉾の茶席で出している竿ものの茶菓子「したたり」、岩戸山の岩戸山煎餅、祇園祭にちなんだお干菓子のミニセット(亀屋良長)、保昌山の古帛紗と匂い袋など、散財してしまいました。
 粽は太子山のが欲しかったんだけど(御利益は“知恵”)、今年は一番くじを引いたので人気が高く、宵々山でも既に売り切れ。仕方なく今年も学問成就の白楽天山で粽をいただいてきました。去年のは販売所に持って行って、奉納してもらうようお願いしました。

 各山鉾町の販売品一覧はこちら。でも実際は、もっといろいろ売ってます。
 あと、いわゆる屋台の焼きそばやら何やらも結構ですが、沿道の飲食店が出店っぽく店頭販売しているものが、お味もまともだし、お値段もお得でお勧め。西洞院通りの中華レストランの角煮パオが我が家のお気に入りです。

 去年の祇園祭の記事は、こちら

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ピースパレート逮捕者釈放

 祇園祭の宵々山で出歩いてて、帰ってきてネット繋いだらJ憲法&少年Aさんで知りました。7月4日のピースパレートで逮捕された3人が釈放されたそうです。
74(ななし)救援会より

7.4弾圧で不当に逮捕、勾留されていた3人全員が本日7月15日の夕方釈放されました。16日に予定していた勾留理由開示公判は中止となります。ご支援いただいたすべての皆さんにお礼申し上げます。

しつこいようですが、救援会の財政状況は弁護士費用など未払いのものがたくさんあってまだまだ赤字であり、本人の勾留中の生活への打撃もあります。何とぞ今後ともご支援・ご注目くださるようお願い申し上げます。

_/_/_/ 74救援会カンパあて先 _/_/_/
みずほ銀行 八重洲通支店 普通口座 1357196
口座名義:マツムラタツヤ
※事態の緊急性から現在個人口座による募金となっておりますことご了承ください。

 何はともあれ、ひと安心。送検はしたけど、起訴は無理と判断されたってことでしょうか。ビデオもあるし、これ以上騒ぎが大きくなると、警察側への批難が大きくなる……ってとこでしょうか。
 これからは、デモ以外のアピールの仕方、非暴力に則ったユニークな戦略を考えていかなきゃなりませんね。いろんなアイデア、これからも思いついたら順次アップしていくつもりです。

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July 15, 2004

『森の生活』H.D.ソロー

『森の生活』(上)(下)H.D.ソロー 岩波文庫
 市民的抵抗の御大 ソローが、文学ではどういうものを書いてたのかな、と思い、読んでみた。
 ウォールデン湖の畔に自ら小屋を建て、畑を耕し、質素に暮らすなら経済的なくびきを逃れることが可能だと証明しながら、思索的生活を送った数年間を描いた作品。
 文庫本上下2冊600ページ超の多くが風景描写で、「うわ~、風景描写だけでこんなにページが埋められるんだ!」と脱帽。描写の質はもちろん素晴らしいし、読んでいて飽きてしまった箇所はごく僅か。爪の垢でも煎じて飲みたいくらい。
 簡素な生活の実践記録としても興味はあるが、いかんせんアメリカ的な匂いがして、終始違和感は残った。仄かなマッチョイズム、(思想を広めよう的な)押しつけがましさ。やはりディネーセンのアフリカものサン=テグジュペリの郵便飛行士ものとは、味わいがだいぶ違う。アメリカ文学は苦手なんだなと、再確認。

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July 14, 2004

ピースウォーク逮捕者 続報

朝日ですが、記事が出ましたね。

平和デモの過剰警備抗議で逮捕 「1人は暴行受けた」
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 51の市民団体でつくる平和運動ネットワーク「ワールド・ピース・ナウ(WPN)」の高田健・実行委員らが13日、衆院議員会館で記者会見し、「自衛隊の多国籍軍参加に反対するパレードで、過剰警備に抗議した3人が逮捕され、1人は機動隊から暴行を受けた」と発表した。デモ参加者が機動隊員にけられ、上半身裸で路上を引きずられる様子などを撮影したビデオも公開した。
 パレードは今月4日、東京・渋谷で実施され、1200人が参加した。警視庁と渋谷署は機動隊員ら約200人が出動して警戒にあたった。
 デモ参加者によると、行進の途中で機動隊員が盾で進路を規制したり、「早く進め」と押したりしたため、1人が「何をするんだ」と盾をけったところ、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。機動隊員ともみ合いになったもう1人も同容疑で逮捕された。
 ビデオによると、盾を押しながら、過剰な警備だと抗議した平和団体職員(39)に、機動隊員数人が一斉に飛びかかって逮捕。数人でけったりした後、上着を引っ張って上半身を裸にし、手錠をかけたまま両足をつかんで路上を引きずる様子などが約5分間にわたり撮影されている。
 記者会見に同席した内田雅敏弁護士は「明らかな不当逮捕と暴行による全身打撲。診断書もあり、法的対応を検討している」と話した。
 〈渡辺剣三郎・渋谷署副署長の話〉 デモ規制という正当な職務を妨害したので、法令にのっとって逮捕したまでだ。 (07/14 00:46)
この動画、まだネットでも見れるようになってないのかな?
 WPNって51もの団体で作られてたんだ。知らなかった。どうりで方針出すにも時間がかかるわけですね。
 何にせよ、ビデオに撮っておいたのは上出来。今後は非暴力的な対応も徹底していただけると、私は嬉しいな。やっぱ盾を蹴るような隙を見せちゃ、思うつぼなわけで。警官の挑発に怒ったら負けだということ、どうすれば広められるのかなぁ。
 PBIとか非暴力平和隊あたりでちゃんと研修を受けた非暴力トレーナーだって、日本には何人もいるだろうけど……そういう人たちは忙しすぎるのかなぁ。

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カッパ、でてます。

カッパ沼にカッパ出現中→ここ

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July 13, 2004

非暴力ネタへの様々な反応

 非暴力マニュアル非暴力防衛1に、ずいぶんたくさんの反応をいただいて驚いています。共感もあり、もちろん疑問もあり。

 一番驚いたのが、疑問を抱く方がみなさん、チベット問題に触れられること。日本人がこんなにチベット問題に関心があるとは思ってなかったので、正直、自分の不勉強を恥じています。
 非暴力で安全保障!のコメント欄でも少し触れましたが、もう少し思い出したことがあるので、ここで書いておきます。
 十年以上前になりますが、ある中国人の口からチベットについて聞いたことがあります。当時の私はダライラマの非暴力イイ!くらいにしか考えていなかったのですが、彼の口からは、「チベットなんて奴隷制のヒドいところだったんですよ」という言葉が。その人は教養ある、日本を含む自由主義社会にもなじみのある朝鮮系の中国人でしたので、朝鮮族への漢族の差別の歴史から、必ずしも中国政府を全肯定して思考停止している人ではありませんでした。
 それだけプロパガンダというものは力があるのだと思います。ここここで読めますが、5%の地主が95%の農奴を支配していた封建社会からチベットを解放・民主化改革したのだと書いてあります(う~ん、どっかの新しい歴史教科書みたい)。それ以上のことを自分で知ろうとしない限り、ああそうかで終わってしまうのです。
 ダライラマは徹底した非暴力思想によってノーベル平和賞を受賞するまでに国際的注目を集めることに成功しましたが、果たして、中国国内では?ここ十年で事情はどれだけ変わったのでしょうか……。
 以前よりも諸外国への経済依存を強めつつある中国にとって、ようやくこれから、国際的な圧力が意味を持ってくるはずです。そして、中国国内でプロパガンダのメッキが剥がれ、チベットの現実が広く認知されることが、問題解決にとって不可欠だと思います。チベット問題に取り組んでいる団体のページはこちら

 それから、私が非暴力ネタを書き始める少し前に、こんなエントリーをしている方がありました。
 ジロー's カフェ 右の頬を叩かれたら……より

僕はずっとキリスト教が苦手だったんです。
それは聖書の中のある言葉がひっかかっていたからです。

「右の頬を叩かれたら、左の頬を差し出しなさい」

右の頬を叩かれたら、叩き返すか、逃げるか、それとも訴えるか。
僕は、そう思っていたのです。

その聖書の言葉が、自分なりに理解できたのは、
英語教師として、授業で、キング牧師のことを教えたときのことです。
…(略)…
キング牧師は、牢屋に入れられても、
自宅に爆弾を放り込まれても、毎晩のように脅迫電話があっても、
仲間の黒人がリンチで殺されても、
非暴力を貫きました。
憎しみには愛をもってたたかう。愛だけが憎しみをなくすことができる、と。

それを教えて、僕はようやく「右の頬を……」が理解できました。
非暴力は、ただ暴力を使わないだけじゃないんです。
相手の暴力にひるまない勇気と、相手を許すやさしさがなくてはいけません。
聖書のその言葉はそのことを言っているのでしょう。
(後略)

そう、そうなのよ~!と、このエントリーを見つけたとき、とても嬉しかったんです。
 公民権運動や、ガンジーの対英独立運動の実例に触れれば、非暴力が単なる理想主義なんかじゃないことが分かる。同等の人間とすら認められず、言ってしまえば「毛のない家畜」くらいにしか思われてなかったアメリカ南部の黒人、植民地下のインド人の状況が、どれほど困難だったか。憎しみの連鎖を断ち切ることが、どれほど困難で、それでもなお可能だったか。それも聖人君子じゃない、家族もありしがらみもある普通の人々が。
 「非暴力は理想としては分かるけどねー、実際目の前で肉親や友人殺されたらさー」と言えてしまうのは、この困難さを軽視しているように感じてしまうんですよね。困難であることと不可能であることは、イコールじゃない。

 強者の弱者に対する憎しみって、根は恐怖ですよね。弱者の強者に対する憎しみって、ずっとたどれば「思い知らせてやりたい」→「わからせてやりたい」→「理解されたい」……。非暴力が憎しみから和解への道筋になりえるのは、きっと心理学的にも必然なんじゃないかな。

 あと、トラックバックの中にこんなのもありました。(コージ・コーナー 2004.7.13より)

非暴力で安全保障!その2には、あんまりノれません。人が戦争をする理由って、そんなに簡単に消し去れるもんじゃないと思う。「こいつ気にくわねぇ」ってすごく単純な感情が根本にあると思うから。
 私は戦争って、感情的なものであるよりまず、経済的なものだと思うんだけどなぁ。経済的なものだからこそ、観念としては、国家間の、近代兵器による戦争の廃絶という理想状態を想定できるかなぁと。もちろん戦争が簡単に無くなるなんて思っちゃいないけど、減らしていく努力はすべきだと思うし。
 あ、喧嘩や犯罪は観念的にも理想状態としても、なくならないですね。喧嘩や犯罪が皆無の社会を想定すること自体、どっかで個人性を否定してて暴力的だと思います。でもやっぱり、喧嘩や犯罪も、減らしていく努力は出来るし、やるべきだと思いますけどね。

同じエントリから。

こういうのって、特に思想・洗脳の対抗策と合わせて取り入れたほうがいいような。「同化せよ。抵抗は無意味だ」とか言うような、理屈の聞かない相手には相当強固な精神が必要だと思うから。
ボーグですか(スタートレック ヴォイジャーの)、宇宙人はちょっと……(^_^;)。エンダーのゲームが、問答無用に侵略してくる昆虫型宇宙人と戦って殲滅したら、実は……って話でしたね。そういえば同書の続編、死者の代弁者以降の作品群は、非暴力っぽいテーマを含んでますね。
 思想・洗脳対策って、今の日本で考えればマスコミと教育ですよねぇ……。どっちも信用できないな。国防と絡めるより、ネットの自由を守るとか、情報リテラシーとか、そういう方面から考えた方がよさそうかな。占領下でのこととして考えるなら、やはりノルウェーの教員団体がナチ化に抵抗した事例とか。

やはり同じエントリから。

う~ん。結局、人を対立足らしめているのは、思想でしかないのかな。思想を捨てれば、人々は簡単にわかり合える気がする。でもそれだって、ひとつの思想でしかない。アメーバだかバクテリアが簡単に融合したり分裂したりするわけにはイカンものね、人間ちゅうもんは。

 相手を否定しなきゃ気が済まないっていう、思想が時に陥る暴力性ってのはわかるけど、対立の根っこって、非暴力ヲタとしては、相手への無知と無関心かなぁとも思うんですよね……。相手の生命や尊厳への。
 思想の違いは、人の数だけあって当然。対立もあって当然。でも、それを暴力で解決するのは不毛だし、対立を構造的な暴力で永続化させるのに抵抗したい。せめて殺し合わずに済むように、非暴力的な仕組みに置き換えていきたい。ってとこかなぁ。

 一かけらの食料を奪い合って殺し合うことも出来るし、最後の一かけらを人に与えることもできる。どっちが素晴らしいというんじゃなく、どっちも可能だってこと。人間って自由だから。

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July 12, 2004

いくら俯瞰しても視点は透明にならない

 これは大学ん時のフランス文学の先生がよく使った例なんだけど、「He is sad.」という言い方は出来ても、「彼は悲しい」という日本語はない、って。日本語で言えるのは「彼は悲しそうだ」。彼が悲しいかどうかなんて分かるわけ無いのに「彼は悲しい」と言っても日本語にならない。透明な視点は日本語では無理というのだ。

 ここ数日、ブログで見かけたふたつの文章。
 一つめは人質バッシング批判をするマスコミを批判するもの。tool box under the treeさんの「バッシングとバッシング批判の悪循環の病理」というエントリーから。

 まず、第1に、日本は、欧米のように、自然と近代化された国ではない。「人権」というような概念は、あくまでも「輸入物」である。

 第2に、戦後の日本は、「輸入物」に過ぎない「人権」およびそれに類する概念を、神のように崇め奉り、逆に、日本人独特の共同体の感覚を「世間様を気にする」のような形で異常に貶めてきた。

 第3に、「人権」のような概念が絶対的に善であり、「世間」のような概念が絶対的に悪というわけではない、という反省が生まれてきた。つまり、それぞれの文化が相対化されてきたのである。
 実際に、「共同体」は人間のアイデンティティの源泉のひとつなのであり、日本的な「世間」の感覚も、欧米的な「人権」の感覚も、共に相対的なアイデンティティの源泉として理解されるようになってきた。

 第4に、しかしながら、「人権」のような概念を絶対善とする人々が、依然として存在する。彼らは、第2の段階にあり、今もまだ、日本人的な「共同体」の感覚をひたすら貶める。彼らは、一定程度孤立化したため、異常なほど日本的な感覚を嫌う人権主義者になり、人権を布教するようになり、ある種の政治団体になっていった。(ネット上では、そのような人々を、「プロ市民」と呼ぶようである。)

 第5に、逆に、一般の人々には、異常なほど日本的な共同体感覚を貶める彼らは、「常識はずれの、人権ばかり主張するおかしな人」と映るようになってゆく。彼らが異常なほどに、「人権」を主張し、日本的な感覚を貶めれば貶めるほど、反作用として、一般の人々は、彼らに嫌悪感を抱くようになる。

 第6に、人権主義者はマス・メディアに多く、声高に人権を叫ぶ。さらに、マス・メディアは、自分たちを正当化するため、「弱者」を引っ張り出し、自分たちと同じ人権主義者に変貌させる。「弱者」たちは、悲しいかな、プチ人権主義政治団体に変貌してしまう。

 第7に、一方、異常なほどの人権主義者に嫌悪感を抱いている人々は、一般人に多く、自分たちの疑問を表明する場はない。彼らの発言の場は、ネット上に限られる。彼らの、「異常な人権主義者」や「異常な人権主義者に変貌してしまった弱者」への疑問は、ネットではき出され、これまた、「異常なバッシング」へと激化してゆく。
 「異常なほどの人権主義者」に対して、「異常なほどの共同体主義者」の群れが生まれる。

 第8に、こうなると、もはや悪循環である。マス・メディアは、一般大衆の(特にネット上での)「異常なほどの共同体主義」を口を極めて叩き、一般大衆は(特にネット上で)、「異常なほどの人権主義」を口を極めて叩く。
 「人権主義」・「共同体主義」の本質的な部分は、もはや互いに触れることもない。互いの「異常さ」を言い立てるのみである。

 第9に、このような、互いに異常さを言い立てるのみの社会は未熟である。一般大衆も未熟であるし、マス・メディアも未熟である。

部分的に賛成。左翼や筑紫みたいのがウザイ理由を、よく言い当ててる。悪循環の構造も理解できる。でも、「日本独特の共同体感覚」(で、それって何?)を異常に主張する政治家連中が外交感覚ゼロの家父長制おやじであるとか、そういう視点を覆い隠しちゃってると感じるのは気のせいだろーか。「共同体感覚」の健全な発露がどういう形になるのか不明なので、みんなと違うこと考えついちゃったときにどうすればいいのか、わかんないし。輸入物である「人権」を絶対善とすることへの批判は分かるが、じゃ、日本には人権は必要ないものなの?共同体感覚で補完しきれるのかな?

 もう一つは▼CLick for Anti War 最新メモさんのエントリー「文化のチカラ」から、ソース不明の、伝 ひろゆき(偽 ひろゆき)の発言として流布している文章。

西村 「右翼的なことを書いてる人々は、逆差別に怒ってるつもりなんですよ。……(略)……現実を無視して、”逆差別を批判する”と息巻いてみても、それは”正義”の仮面をかぶった単なる差別主義以外の何物でもない。それこそが差別の典型なんです。
つまり、逆差別への批判、つまり差別主義の裏の裏をかいたつもりが、結果的に単なる昔ながらの差別になっているということです。」
……(略)……
西村「テポドンがどうこうとか、拉致がどうこうって言っていた同一人物が、テポドンも撃ってない、拉致もしてない、独裁でもない韓国の悪口を言う。しかも、朝鮮国籍だけでなく、韓国籍の人の地方参政権まで否定してたりする。矛盾もいいとこ。あげくに、過去の日本の戦争責任も否定していたりする(笑)。」
……(略)……
記者「でも、そういう書き込みが多いですよね?なぜ?」
西村「だから、そりゃ職業右翼の人もいるし(笑)。それに、そういう書き込みが他の書き込みや普通の人々を2ちゃんねるから遠ざけてる面もある。」
……(略)……
記者「でも、反北朝鮮の投稿は国益重視ってことじゃないの?」
西村「それは、繰り返しになるけど、差別主義の正当化の理屈だと思う。
っていうのは、韓国という自由貿易国との友好は、日本の国益に適うのに、反北朝鮮の人は同時に反韓国でもあるからね(笑)。国益は関係ないでしょ。」
記者「国益のためじゃない?」
……(略)……
西村「そう。強いていうなら、個人益だね。自分の考えを書いて、快感を得てる。
 もし本当に国益のことを考えるなら、小泉不況下の経済自殺とかにも言及する筈。自分も仕事柄、IT系のスターティングアップ期の企業経営者とかと話すけど、今の日本では、毎日、数十人の経済自殺が出てるわけ。倒産も凄い。もしかしたら、この中に、第二のソニーやホンダがあったかもしれない。
こういうことを考えたら、5人の拉致被害者も重要だけど、毎日起きてる数十人の自殺や企業倒産のほうが国益には直結するはずなんですよ。」
……(略)……
記者「群集心理みたいなもん?」
西村「そう。論理的に見て疑わしい言説も、なんとなく信じちゃって、一回信じると、それがスタンダードになって、皆もそうだと信じてしまって、その結果として右翼的投稿の連続になると。」
記者「論理的には疑わしい?」
西村「うん。だって、国益って言っている人は、沖縄の基地問題についてはどうですか?
日本の民間人が戦後、米兵によって無数の人が殺されたり、強姦されたりしてますよね。それは現在進行形ですよ。でも、それについては、なぜか、何も言わない。」
記者「北朝鮮がやったことについてだけ、国益を持ち出すと?」
西村「っていうか、安保が大切だから、日本国民が殺されてもレイプされてもいいと言うなら、それはそれで一つの考えなの。でも、その論理だと、100人くらいの拉致に怒る理由はなくなっちゃうんだよ。だって、北と貿易したほうが国益になるもん(笑)。
あるいは、拉致を無かったことにして国交樹立したほうが軍事的にも安定する(笑)。
でも、北朝鮮を批判する人は、一人の生命や尊厳も守るのが国家であり国益だと、言うと思うんだよ。でも、実際は、沖縄で今現在も続く悲劇にはなぜか無言(笑)。」
記者「たしかに矛盾ではありますね。」
西村「国益が聞いて呆れるよ。思想の問題じゃなくて、矛盾してるのが良くない。ダブルスタンダードだから。基準がひとつなら、どんな思想もいいんだけど。
日米安保が大切だから、米兵の強姦なんか全然OKって言うなら、経済交流が大切だから、北朝鮮の拉致も、別にいいじゃんとなる筈。論理的には。」
私は2chの名無しさん文化って好きなんですけどね。ストーリーテラーは名もなく炉辺で語るべきなので。
 ひろゆきがニュー速などでの職業右翼の活躍についてネットラジオで言及したことがあるのはホントらしいですね。
 どれだけ「ひろゆきっぽい」のかは判断できないけど、視点も文体もブレがない。何しろ偽書にしても良くできてる。

 どれだけ書き慣れても、文体は筆者をも縛り、欺くことがあるので注意が必要。

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選挙はギャンブルに似ている と トービン税

 投票はちゃんとしました。……でもなかなか感想を書く気にならなくて。
 自民の議席があまり減らなかったので、かな~りがっかり。民主は勢い得たなぁと。みどりの会議の中村敦夫さんが議席失うなんて~(泣)、支持層しっかりあると思ってたのにぃ!

 え~、話を進める前に一応ご説明申し上げると、京都は改選議席が2。候補者は自民、民主、共産の3人。で、京都は「共産党の牙城」と言われてきたそうで、事実、市民運動に若い子がいるなと思うと、半分はM青なんじゃないかという勢い。若い身空で何が哀しうて政党の下部組織なんぞに……大学で最初に親切にしてくれたのが壺売りや草加じゃなくM青だったのかねぇ。
 今回の選挙戦でも、中年・初老のおじちゃん、おばちゃんたちが「消費税引き上げ絶対反対、年金改悪法廃案!」とかのポスター広げてメガホン持ってスーパーの前で活動してたり、道歩きながらビラ配ってたりしました。

 だからね、共産が落ちるなんて思ってなかったわけ。いや、共産が落ちたってそれ自体は、それ見たことか人に通じる言葉で喋れ党事務所の推薦図書以外も読めよ、くらいなんだけど、共産が落ちると自民が通っちゃう!
 あのねー、そんなに弱体化してるなら、ちゃんとそう言っといてよ!暑いなか活動してたおじちゃん・おばちゃんも、自己満でしょぼいデモなんかしてる暇があるなら、天敵公明みたいに小学校からの同級生みんなに電話攻勢でもすりゃぁ良かったじゃない。私だって選挙区は入れてやれば良かったと、後悔しましたよ。国会で、どっから手に入れたの?って内部資料をネタに与党を追求する共産が、なくなっちゃ困るわけ。きっと余人には窺い知れない魅力から、共産党が共産党であるが故に、そういう内部資料を流してくれる内部協力者がいるんだろうから。
 完全に読みが外れました。選挙ってギャンブルみたい……と思いました。

 そんなこんなで凹んでた我が家を明るくしてくれたのは、ベルギーでトービン税法案が通ったというニュース。詳しくはダンナのブログにありますが、トービン税っていうのは、為替取引に低率で課税し、その税収を世界の貧困問題や環境問題解決の財源に充てると言うもの。通常時は0.01%という、為替変動リスクにも満たない低率で課税、急激な変動時には税率を上げて、通貨危機を防ぐ意味もある。現代では、実際の財やサービスを伴う国際貿易量の70倍もの為替取引があり、それは一日に何百回と為替取引を繰り返して、つまりマネーを転がすことで利益を得るということが行われているせい(為替レートの差を利用して、3カ所で売買を繰り返せば儲かるので)。実体経済に比べてマネー経済が肥大化するのは、経済の不安定要因になるし、金のあるところに金が集まるという傾向を極端に加速するものでもある。だからトービン税は、環境・貧困問題解決の財源確保と、世界経済の安定化に役立つ、一石二鳥の妙案として注目されているわけです。
 貧困問題、重債務国の問題に触れると、「借りた金は返すのが当たり前だ」と脊髄反射する人がわりと多いんだけど、日本のODAを見ても明らかな通り、貸し込む先進国のゼネコンやらに資金が環流する仕組みがあったり、国内経済を破壊して先進国からの輸入を増やすような「改革」とセットで貸してたりと、金貸しの方があくどいのが常なんですよね。途上国政府にも問題あることが多いのも事実だし。この辺のことは、ノーベル賞経済学者スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』なんかが分かりやすいと思います。
 なんにせよ、テロの温床を無くしていくためには、絶望的な貧富の格差を是正していく、より公正な仕組みを作らないと、泥沼にはまるばかり。トービン税が唯一の妙案ではないし、トービン税ですべて解決するほど単純な話じゃないけど、世界経済という巨大な歯車にひとつかみの砂を投げ込んで全体を軋ませる、希望を感じさせる話なのであります。
 地方がますます貧乏なのもボーナスがカットされるのも、歪んだグローバリズムと繋がってるんだからね。グローバル化の歪みを正さないと、貧乏人は黙って死ねという、小泉の言う通りの未来になっちゃうよ~。

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July 10, 2004

非暴力で安全保障!その2

 前のエントリーでは、非暴力による社会防衛が絵空事ではなく真剣な検討の対象になり得るんですよ、というところに力点を置いて、護憲派への憎まれ口も織り交ぜつつ現実主義者の方に向けて書きましたが、今度はもう少し理想主義的・理念的に、脱武装・戦争廃絶への一歩として、というところに力点を置いて書いてみたいと思います。

 非暴力による社会防衛という政策は、当然ながら、市民社会の成熟と並行して進めないと、“国家による国民の動員”という色合いを帯びる危険性がある……と感じられるでしょう。(ダンナのブログにある「ご近所の底力」の危なさ・両義性と似てる感じ)
 その危険が皆無だと言うつもりはありませんが、注意すべきは、非暴力的な社会防衛の主眼が、国家なるものや領土の防衛にあるのではなく、そこで暮らす人々の生活と、価値あると考えられている社会的次元の防衛にあるという点です(教育のナチ化を拒否したノルウェーの例など)。国民を犠牲にして遂行される軍事的防衛とは、逆のものである、と考えたいわけです。市民の生活圏で戦闘が起こることを防ぐ意味もあります。
 もう一つには、非暴力抵抗そのものの性質として、強制よりは自主性と親和的であるという点もあります(過信は出来ませんが)。果たして、国家にだけ都合のいい「重要施設」の防衛のために、人間の鎖として人々を動員するようなことが可能か?人々は、自分たちの意志と信念によって、何を守りたいか選ぶことが出来るのではないか?そうでなければそもそも社会防衛とは呼べないのではないか?とも思うのです。
 暴力手段を含む市民防衛はcivil defense、非暴力による市民的防衛はcivilian defense又はcivilian-based defenseと、用語上の違いもあります。社会的防衛social defenseの場合は、社会の構成員が社会を直接防衛する点に力点があり、市民的防衛が政策としての有効性に力点を置くのに比べ、より構造的暴力やエコロジー、社会構造の変革にも関心を向けた用語だと言われています。

 軍事的防衛から非軍事的・市民的防衛への力点の移動――出来うるなら転換――は、それ自体が脱武装の過程となります。これは徐々に進めることになるでしょうし、様々な情勢に応じてやり方も一通りではないでしょう。社会の中に根を張る軍事的機構・部門を、段階的に非軍事的・非暴力的なものに置き換えていくための模索として、非暴力防衛の探求は意義が小さくないと思います。

 さて、戦争廃絶のためには、戦争が必要ない仕組み作りと、戦争をしにくくする仕組み作りと、戦争に代わる紛争解決方法の確立、の少なくとも3つの側面から努力していかなきゃならないと思います。
 戦争が必要ない仕組みとは、現状を考えると、まずはエネルギー、それから稀少鉱物などの資源を巡る利権を無力化すること……。化石燃料に頼らない自然エネルギーの推進は、遠回りですが戦争廃絶の第一歩。大量消費型の経済システムから脱却することも、それ自体が壮大な目標ではありますが、やはり戦争廃絶へと繋がる道のりだと思います。何百年かかけてでも、やってみる価値はあります(そんなに地球が保つかどうかわかんないけどな)。
 戦争をしにくくする仕組みは、様々な条約で軍事力行使の手足を縛ること。「人道的な戦争」という、それ自体は転倒した理念も、非戦闘員を建前上標的にしないというルールの確立や、捕虜の扱いの改善などの面では、ないよりはまし、それなりに役に立ったのも事実だと思います。国際条約の他にも、戦争に流れるお金を少なくすることも重要です。今なら、アメリカ国債を組み込んでる金融商品は買わないようにするとか、そういう草の根的な意識。
 戦争に代わる紛争解決方法としては、一つには国際機関による調停力の強化(国際機関そのものの民主化と透明性確保も)。そしてもう一つとして、非暴力による社会防衛が考えられると思うんです。

 戦争廃絶、非暴力的な仕組みへの置き換え、という文脈の中で社会的防衛を考えるなら、それが一国平和主義でないことは明らかです。国防は軍事力によるものだ、という固定観念からの解放は、戦争の廃絶に向けて大きな一歩となるんじゃないでしょうか。戦争廃絶のための具体的・現実的構想として、非暴力防衛というのを考えることは、大きなエンパワーメントになりうると思うんです。
 いかがです?

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非暴力で安全保障!その1

 成り行きで非暴力強化月間みたいになってますが、非暴力情報を発信してる日本語サイトは少ないみたいなんで、もうちょっとがんばってみます。

 で、今回は、欧米では国の安全保障にも非暴力的手法が真剣に検討されているという話。9条!9条!と唱えてるだけの護憲勢力はもっと勉強して欲しいもんです。まだ寺島俊穂さんの『市民的不服従』で読んだだけなんですが、ざっとあらましだけ。
 
 フィリピン革命や、ルーマニアを除く東欧革命以来、革命は非暴力が主流になってます(なってるんですよ、革命的時代錯誤思想の皆さん!)。ソ連共産党の崩壊も、クーデターに対して数万人の市民が“人間の鎖”をつくって合同庁舎ビルを取り囲み、戦車の前に立ちふさがる、というクーデター阻止が引き金になりました。
 社会の内部変革には、非暴力が有効だということが、グローバルに手を繋ぎ始めた市民社会では理解されてきました。

 さらには、国の防衛、安全保障の分野でも、非暴力が政策の選択肢として真剣に研究されている、と。
 ノルウェー、スウェーデンでは1960年代から、フィンランド、デンマーク、オランダでは1970年代から、フランスでは1980年代から、政府レベルでの検討が始まり、80年代以降オーストリア、スウェーデンなどで軍事的防衛を補完するものとして、非軍事的(非暴力的)防衛が採り入れられてるそうです。
 その他にも、リトアニア、ラトヴィア、エストニアのバルト三国では、非暴力防衛の政策が決議、又は真剣に検討されたとのこと。防衛省支援のもとに非暴力・市民防衛にかんする文献が訳出されたりしたそうです。

 イギリスの退役海軍司令官ステファン・キング=ホールは、早くも1957年に、「核兵器を含む軍事的手段よりも、準備された非暴力抵抗の方がよりよい防衛政策となる可能性」があると指摘し、暴力を他の権力メカニズムに置き換える必要性を主張しました。軍縮や地雷禁止などの国際条約、(アメリカが参加を拒んでる)国際刑事裁判所などの国際的なメカニズムで、戦争を縛っていく試みは、一部で実現し始めてますね。これを強化していくこと。それプラス、「準備された非暴力抵抗」が、実は安上がりで犠牲も少なく、結局は侵略を無力化させる方策なんじゃないか、という話です。市民的防衛論とか、社会的防衛論とか呼ばれています。

 侵略されても、支配されない。
 外国軍が侵入してきても、国土で生活する人々の生命や社会組織を守ることは、可能だ!なぜって、侵略には目的があって、つまりは利益を吸い上げるために侵略するわけだけど、外国軍が地元民の協力を一切得られなかったら、円滑に利益を吸い上げることは出来ないのですよね(ある程度までは、イラクの現状もそう)。
 徹底した非暴力で非協力を貫けば、ガチガチ戦闘をするよりは結局は少ない犠牲で、占領が割に合わない状態と、国際世論の喚起が期待できる。

 占領に対する非暴力抵抗の事例としては
 ◎1923年からのフランス・ベルギーのルール地方占領に対するドイツ人官僚・鉄道員・炭鉱労働者・経営者の抵抗
 ◎1940~45年の、ナチス占領下におけるオランダ・デンマーク・ノルウェーの抵抗。スポーツストライキが非暴力業界では有名ですが、他にもあります。教員団体が国民社会主義イデオロギー教育!を拒否して、1000人逮捕・北辺寒冷地にある強制収容所送りになり、その中で「十人に一人射殺する」と脅しをかけられても、教員たちの家族が屈しなかったので、結局は釈放せざるを得なくなったという、胸ときめくエピソード。占領を退けるには至らなかったが、国内のナチ化を抑止する力にはなり得た。
 ◎1968年チェコ事件。ワルシャワ条約軍に対して国民的規模の民衆抵抗が行われた。農民や小売店は侵略軍への物資供給を拒否、市民は戦車の前に座り込んだり、交通標識を壊したりすり替えたりして占領を妨害、ラジオやポスターで占領軍兵士を説得し、士気・効率の低下を招いたりした。しかしながら、アイスホッケーの対ソ試合勝利で熱狂した民衆が非暴力の規律を失い、最終的には抵抗運動そのものも失敗。
 ◎1956年ハンガリー事件。ソ連軍との市街戦も行われたが、説得や非暴力抵抗も主要な役割を演じ、一部のソ連軍将校の中には、ハンガリー側に身を投じて戦う者も現れ、戦死した者もあった!これは……感動的すぎます。

 チェコ事件を除いては国民的規模ではなかったし、あらかじめ注意深く準備された非暴力抵抗でもなかったので、もし日頃から非暴力抵抗を準備している国だったら、占領軍の困難はもっともっと増大すると期待できます。
 もちろん、非暴力抵抗でも、負けることもあるし、時には犠牲者も出るでしょう。でも軍事的に戦争をしても、負けることもあるし、犠牲者はずっと多いでしょう? そもそも軍事力って、より強大な軍事力にはかなわないわけで、お金もかかるし。

 国民規模での非暴力防衛を安全保障の主軸に据えるという議論を、寡聞にして護憲派から聞いたことがないんだけど、世論がここまで来る前に、声のデカイ議員さんたちの口から聞きたかったなぁ。
 今すぐ脱武装→非暴力防衛のみ、なんてことではなく、市民はあくまでも積極的な非暴力抵抗で戦い、既存の軍事力は領土防衛に限定、その上で、非軍事的防衛に比重を移していく努力をする、くらいだったら、これまでの日本の政策と、ほとんど摩擦がないと思う。このまま徴兵制まで行き着くくらいなら、国民全員に非暴力トレーニング義務化の方がいいと思うなぁ。
 非暴力防衛を高らかに宣言しちゃえば、逆説的に、抑止力となることも考えられます。永世中立国に侵略するのが憚られるように、非暴力防衛国に侵略するのは、もっと憚られるでしょ?
 で、私としては、自衛隊にも非暴力トレーニングをしてもらって、世界最強の非暴力平和部隊になって、人道支援のプロとして世界で活躍してもらうのがイイかもと思います。

 現実的な代替防衛構想として市民的防衛を提唱するアダム・ロバーツは、市民的防衛を可能にする条件を5つ挙げています。

1. ある程度の社会的結束と規律が保持され、国内暴力がかなり低い水準にある
2. 自分たちの社会制度や政治制度、文化に対する意識が強く、価値を感じている
3. 全面戦争に対する一般的認識と安全を保証する手段としての軍備に対する猜疑心
4. 遠隔地の同盟国や植民地の防衛よりも、自分自身の領土や社会に関心を持つ
5. 国内あるいは国際的紛争で、市民的抵抗を活用する伝統がある
 ロバーツさんは、このうち5以外の条件を日本は満たしているとして、9条がある日本こそ、非軍事的抵抗を基盤とする防衛について、少なくとも検討くらいはするべきだ、と言ってくれたそうですが……まだ、今なら間に合う、かな?どうかな? ちなみに5についてですが、日本の農民には重税に対して逃散しちゃうという立派な伝統がありますね。わけの分かんないエエジャナイカの伝統とかも。

 安全保障とか、ほんとは政治とかも、あんま関心ないし関わり合いになりたくないんですけどね、私。のんびりとネットでオカルトネタをあさる日々が、早く戻ってきますように。選挙が終わったら、もうちっとのんびりしよう。

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July 08, 2004

玻璃の小瓶

玻璃の小瓶をくれると約束した
とても貴重な とても綺麗な小瓶だと その猫は言った
玻璃の小瓶には あらゆる問いの答えが――
なにを いかに いつ どこで そして 誰が
――そんな問いの答えが みんな 詰まっているのだという

「でもね 瓶には しっかりふたを しておかなきゃいけない
 現世の空気に触れると 偽りが 混じってしまうんだ

 ずっと昔には 世界の中心に置かれてたのに
 いつの間にか放り出されて 世界の片隅で見つけたんだ
 誰かが大切に 守っていかなきゃならない

 だから 小瓶を きみの窓辺に置いて
 静かに 静かに 揺らさないように
 息をひそめて のぞき込むんだ
 瓶の中で きらきら きらきらしているのが見えるよ」
 
その瓶は何処から来たの?

――その答えも 瓶の中

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ピースウォーク3人逮捕がらみの

 7月4日のピースウォークの写真見つけました。
 → こんな雰囲気のデモでした。でも逮捕者3名! in大木晴子さんの明日も晴れ

 あと、参院選候補者たちのブログサイトele-logで、緑の会議の足立力也さんがワールドピースナウ不当逮捕に厳重に抗議する緊急声明。をエントリーしてます。(このele-log、かの有名な山拓センセが書いてるのを見て以来、どうしてもエロログと言ってしまう…。だってテレビで報道できないような変態スキャンダルだもんねー。でもエロ爺逝って良し!とかのコメントが付かないで、山宅センセーガンバッてぇーコメントが付くのが、なんか不思議だよなぁ。この国が終わってんのか職業右翼ががんばってんのか、謎だ。)

▼CLick for Anti War 最新メモより

 それにしても政府なり警察上層部なりは、こういう「事件」を引き起こすことで、「平和運動なんかやってると逮捕されるぞ。そんなものにかかわると人生棒にふるぞ」という脅迫的なメッセージを発したいのだろうなあ。しかし、そんなメッセージに説得力はない。

 たとえ警察に逮捕されることがあっても、人生は終わりになんかならない。アメリカ大統領にだってなれるんだということを、ブッシュ大統領が証明してくれているじゃないか。彼の場合は飲酒運転だったけど。

 たとえ婦女暴行事件で逮捕されることがあっても、人生は終わりになんかならない。日本の総理大臣にだってなれるんだということを、小(以下略)

上手いこと言うなぁ。

【追記】WPNの家宅捜索をうけて新たに「許すな!憲法改悪・市民連絡会」が声明を出したとJ憲法&少年Aさんで知る。
 でもさ、あたしんちを捜索されたとして、ひっくり返せばM青や厨◇の仮面団体主催のイベントのビラくらいは出てくるだろうなぁ。講演会とかで配ってるの受け取って、「おおッ、普通っぽいチラシ作ってんじゃーん」とか言って記念にとっといたりするから。そうすると「左ヨク団体(過激歯)の関連書類が多数押収された」とか言い出すんじゃないの?公安9課ならいいのに……

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July 06, 2004

3人逮捕に中間報告。でも、ハァ…

 ピースウォークで3人逮捕の件ですが、主催者であるワールドピースナウから、やっと中間報告が出たんですね。J憲法&少年Aさんで知りました。

 しかし……「なお、今3人のひとびとは事実関係については「黙秘」で闘っていますので、参加したみなさまが当日の具体的な様子など、ネットその他で流すのは控えてくださいますよう、お願いします。もし、裁判になるようでしたら、そのときは改めてご協力をお願いすることになると思います。」とのこと。
 えええっ、ネットで流しちゃダメって、どういうことよぉ!?
 そりゃ、今回は非暴力的対応の準備がなかったから、「揉み合い」「双方が激昂」という場面があったのでしょうが、わざわざ情報の流通を控えて下さいとお願いする理由って、あるかぁ? 神経質になり過ぎじゃないのかなぁ。
 「黙秘」はね、取り調べに慣れてない人、心理的にスゴく動揺させられてしまった人にとっては、次善策としてアリかもなぁとは思うのね。弁護士さんが、その方が有利だと判断したんでしょうからねぇ。でも、黙秘するとかえって拘留を長期化させる口実を与えちゃうんじゃないかなぁ。立川の自衛官官舎のポストにビラを投函しただけで逮捕された3人なんか、75日よ。

 でも、こういう対応すると、ヘンに勘ぐる輩が出てきちゃうのよねぇ。
 そりゃね、日本ではこれまで左翼がウザすぎて、イデオロギーがらみじゃない本当の市民運動って、なかなか育ってこなかったさ。でも、アフガン攻撃前からのピースムーヴメントには、左翼とは全然関係ない若い人たちがずいぶん参加するようになってきてたのも事実。ま、旧来型の「ハンターイ、フンサーイ」デモ行進に間違って参加しちゃった若い子達が、ウンザリして来なくなっちゃったってのも、ありふれた事実。
 私だってセクトがらみの団体には近づきたくないモンね。でも素人だから知らないことも多い。「あれ××派ですよ」と教えられて、ええーっ、あんなフツーっぽいカワイイ若い女の子もいて言ってることもソフトなのに?!と驚いたことあるし。彼女も豹変してソーカツしちゃうのかしらと、いらぬ妄想をふくらませたりもしましたが、そういう連中が来てるからと言って、ピースウォークがアブナイ運動ってことにはならないんだよね。「意見の違いを暴力で解決」したくない人たちが集まって、歩いて、アピールしようって活動なんだから。
 WPNには知り合いがいないから、実際のとこどんな感じの団体なのかわかんないし、逮捕された3人がどういう人たちなのかもぜんぜん知らないけど、ピースウォーク参加者みんながみんな、香ばしいサヨクに違いない!というのは、ネットウヨの単なる妄想だよ。
 情報流さないでくれなんて言わずに、もっと堂々としてりゃいいのに。と、単純な私は思ってしまうのでした。

【追記 7/17】 どうやら黙秘するのが当然らしい→ここで批判されちゃった♪ 一輪庵7/17のエントリーも。

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明るい非暴力マニュアル

 ピースウォークで逮捕者というご時世になったことですし、明るくオープンな市民活動のために、ちょっと非暴力的対応をまとめてみよう。
 まずはピースウォークの場合を考えてみます。

【心構え】
 お巡りさんに最初から敵意を持つ必要はありません。
 「今日は見せしめに何人かしょっぴいてやるぞ」という上の方針があっても、一人一人のお巡りさんは個性のある人間です。そりゃ、中には「反戦運動なんかやるのは人間のクズ。誰のおかげでのうのうと暮らせてると思ってんだ、いい気になりやがって」と思ってる人もいるかも知れませんが、全員がそうとは限りません。職務に忠実な人も多いでしょうし、何より、警官を志した動機が「人の役に立ちたい、市民の安全を守りたい」という思いだった人も多いと……信じたいじゃありませんか。平和な未来を信じたいと思ってる私たちなんですから。

 もし参加者がお巡りさんに敵意を向けたら、アチラとしては好都合です。「反政府の不満分子め、反権力のバカどもめ」を“排除”して一般市民の安全を守るのが、彼らの仕事なのですから。もう脳内では「テロリスト予備軍」に変換しちゃって、心おきなくタコ殴りに出来ます。
 むしろ、参加者が非暴力的なフツーの人、近所の交番のお巡りさんに感謝と敬意を持っているようなタダの一般市民であることの方が、警察にとって都合悪く、お巡りさん一人一人にとっても居心地の悪いことなのです。

 ですから、たとえピース・アクションに悪意を持っているお巡りさんであっても、私たちは近所の交番のお巡りさんに対するように、笑顔で「おはようございます」「お疲れ様です!」「よろしくお願いします」という気持ちで接しましょう。実際に声を掛けて、こちらのペースを示してみてもいいでしょう。
 相手の良心の最善の部分に呼びかけるのが、非暴力的手法というものです。効果はゆっくりしか出てこないかも知れませんが、戦争という暴力で人間が押しつぶされるのはイヤだ、という思いがあるのなら、まずは自分自身が、怒りや憎しみの連鎖を断ち切るよう、少しだけ努力してみて下さい。

【挑発されたら】
 「見せしめにしょっぴく」つもりでいる場合、お巡りさんたちは執拗に参加者を挑発します。
 大声で怒鳴り続ける、常識では考えられないような仕方で罵倒する、態度で威嚇する……さらには、直接的に突き飛ばしたり、蹴ったりしてくる可能性すらあります。
 明日は仕事があるから間違っても連行なんかされたら困る人や、非暴力的に行動する気のない人は、パレードのなるべく内側に場所をとりましょう。外縁部の方がトラブルの可能性が大きいです。

1. 何らかの挑発行為があったら
 すかさず周囲にいる人がビデオやムービーケイタイでその様子を撮影しましょう。カメラや録音だけでも、ないよりましです。情報はインターネットで世界に広がります。万が一ケイタイを押収されるようなこともないとは言えませんから、撮影したファイルは、速やかに送信しましょう。主催者から事前の指示があればそれに従い、そうでなくても誰か友達のところで構いませんから、データを広めてしまいましょう。

2. 挑発され、罵声を浴びせられたら
 まずはユーモアで返しましょう。
 「ゴルァ!! はみ出すなボケェ!!」と言われても、「ああ、ゴメンなぁ~? おばちゃん、最近太ってしもーてなぁ、ホンマかなわんわぁ~」ってな調子でかわしてみましょう。「もっと早く進め!!」と怒鳴られても、急に貧血になったり、足首カクンとなって転んで捻挫したり、虚弱なパレードでヨロヨロと抵抗してみましょう。
 個性溢れる皆さんのボケを期待します。

3. 何もしてないのに突き飛ばされたら
 そのまま飛ばされるだけで構いません。
 このとき肝心なのは、暴力を振るわれたことで傷付いたり、自分に同情したりしないことです。傷付き、自分に同情すると、感情の流れがマイナスの方向に流れて、怒りや憎しみが沸いてきやすくなります。あなたに非はないのですから、傷付く必要はないのです。
 たとえ擦り傷ができたって、「だって平和な未来の方が大事だもん♪」と思えば、ピースな気持ちに復活しやすいのでは。
 突き飛ばされながら「ア~レェ~」とボケられれば上級者です。

4. 何もしてないのに警官が掴みかかってきたら!
 絶対に揉み合わないで下さい。
 たとえ最初に掴みかかったのが警官の方であっても、あなたが抵抗すれば、「公務執行妨害!」などと難癖つけられる危険があります。更に激しい暴行を招く危険もあります。

 掴みかかられたら、逆に、全身を脱力して地面に倒れ込んで下さい。警官がどーしてもあなたを連行したいなら、まるで死体のように脱力しているあなたを引き摺って行かなければなりません。

 もちろん、その様子はきちんと撮影しておきましょう。
 その場にいなかった人が映像を見たとき、揉み合って連行される映像と、脱力している無抵抗の人間を警官が引き摺って行く映像では、印象がまるで違います。揉み合って連行されるのは「力の衝突」の映像ですが、無抵抗の者を引き摺って行くのは「一方的な力の行使」の映像です。誰が誰に対して暴力的なのかをシンプルに示すのです。広く共感を集めることこそが、健全な民主的権力の源泉なのですから、一般へのアピール度の違いは重要です。
 脱力系の対応は、余計なけがを防ぐ効果もあります。

5. それでも殴る蹴るの暴行が始まってしまったら……
 こうなったらもう、自分の命を守るために、頭部と腹部(内臓)を守りましょう。アンモナイトのポーズです。
 警察官の習性としては、一応、「相手が完全に沈黙」すれば攻撃をやめるはずです。警官を激昂させないことが重要です。攻撃がやんだら脱力に戻ります。立ち上がったり逃げ出す必要はありません。
 周りにいる人は、警官・機動隊員を力で止めようとしても敵わないですし、暴力的な騒ぎが大きくなるだけですので、勇気があり事情が許すなら、むしろ足下から潜り込んで被害者に覆い被さるのが良いでしょう。中に飛び込めない人は、出来るだけ早く弁護士を呼びましょう(出発前に主催者から当日参加弁護士の紹介があるはずです)。また、後で被害報告を出すときのために、よく観察しておくのも重要な役目です。
 攻撃がやんで被害者が脱力していたら、警官と揉み合いにならないよう注意しながら、助け起こしましょう。
 もしも警官がそのまま被害者を連行しようとしたら、なるべく大勢で進路に立ちふさがりますが、怒りや憎悪の気持ちが大きい人は、必ず背中を向けて立ちましょう(怒りの表情は相手を刺激します)。押されたらそのまま地面に倒れ込みます。その人たちを踏まなければ前進できないようにするのです。「俺の屍を越えていけ!」作戦です。数十人がかりでやれば、かなり迫力があるはずです。
 さらに遠巻きの人たちも、警察に抗議の罵声を浴びせるよりも、「ニッポン、チャチャチャ」コールを始めるなど、警官が戸惑うような意外性のある抗議をしてみましょう。

 以上、ざっと思いつく限り書いてみましたが、非暴力が単なる無抵抗ではなく、積極的な抵抗の手法だということが、少しは分かっていただけたでしょうか。

 主催者側としては……
 証拠映像を集めるためにビデオやムービーケイタイの配置を手配する。同じ場所に居続けると警官に目をつけられるかも知れないので、適宜移動する仕組みを作る。
 映像などのアップローダを、出来れば複数準備する。送信先を、ムービーケイタイを持っている人のメモリに入れてもらう。また、動画が撮れるだけの空き容量があるかどうか確認してもらう。出来ればファイルを整理して空き容量を増やしておいてもらう。
 参加してくれる弁護士にプリ携を準備し、その番号を参加者のケイタイにメモしてもらう。
 スタッフは、あらかじめロールプレイで非暴力的対応を練習しておく。
 非暴力的対応を参加者に説明するときには、脱力の仕方などを、実際にデモンストレーションしてみせる。
 タイーホされたら絶対困るという人がパレードの内側に入れるよう誘導する。
……などなど、知恵を絞らなきゃなりませんね。

 それでも、非暴力を守りきれない人は必ず出てくると考えた方がいいでしょう。何よりまず、何かが起こらないよう事前に対応していくのがいいと思います。スタッフはけっこう手一杯になっちゃうでしょうから、あらかじめ、「雰囲気が悪くなってきたところがあったら、早めにスタッフに知らせて下さい」と参加者にお願いしておくのがいいんじゃないでしょうか。知らせがあったら、まずは声を掛けにいって肩の力を抜いてもらうようにする。それでも改善しないなら、マイナスオーラを帯びてる本人か、その周囲の人に言って、パレードの内側に入ってもらった方がいいんじゃないでしょうか。

 もう一つ、高齢者やお子さんの参加者のことも考えなきゃならないと思うんですよね。
 まずは、トラブルに巻き込まれるリスクの低い内側に、優先的に入ってもらうのを基本にして、「万一の時には私が盾になるぞ」という個人の意思は尊重する、というあたりかなぁ。そういう気概のあるお年寄りって、結構いらっしゃるような気がします。子や孫のためにどんな日本を残すか、高度成長後に生まれた私らなんかとは、覚悟が違いますからね。
 一般の参加者にも非暴力トレーニングが行き届く段階になったら、子供連れの女性、高齢者、という分かりやすい記号を前面に押し出すという戦略も考えられるかも知れませんが、まだまだ到底、日本ではその段階には辿り着いていないと思います。

 日本のピースムーヴメントも、やっと警察に相手にされる段階に入ったのですから、これは目出度いことなんですよね。ここから先に進むには、ぜひとも非暴力で!

 非暴力の原則については、こちらの記事もあわせてお読み下さい。
 また、お巡りさんとの付き合い方については、『非暴力』FOR BEGINNERSシリーズ 現代書館なんかが参考になります。もちろん、専門家による非暴力トレーニングの本も何冊か出ています。

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ピース・ウォークで逮捕者!!盛りあがって参りました!

 ワールドピースナウのピースパレードなんて、組合やK産党の動員でやる「ハンターイ、フンサーイ」デモと違って、普通の人も参加するごくごく明るくオープンなピースウォークなんですが……盾もって取り囲んだ機動隊に挑発されて、「ポン」と盾を蹴っただけで逮捕者3人。うち一人はボコボコに殴る蹴るの暴行をされたという、非道い話。
 今のタイミングで「見せしめ」の逮捕者を引っ張ってくというのは、当然意図があることなのでしょうね。
 しかし、この日のパレードを記事にしてる朝日は、こんな形で逮捕者がでたことを報じていないぞ。ヘタレめ。

 メーリングリストで流れてきた逮捕劇の顛末は以下の通り。

7/4ワールドピースナウのデモでとうとう3人の逮捕者がでた。まったくの不当逮捕である。今日は最初から様子がおかしかった。ものものしく盾をかまえたおそろしくたくさんの機動隊。渋谷のサウンドデモかとみまがうほどだっった。機動隊は女性たちにまでどついたり突き飛ばすなどの暴行を行ってた。
私の知り合いの60代の女性は「こっちにでるな」といきなり機動隊につき飛ばされ、5メートルもとばされた。こんなことは、サウンドデモでもなかった。

3時頃。後尾にいた男性が、「もっと早く歩け」と機動隊からしつこく介入を受け始める。男性が普通に歩いていると、さらに「早く歩けといってるだろ」とさらにしつこく激しい口調で強制しだした。男性が機動隊の盾をポンとけったとき、10メートルもあとにいた機動隊員が「現認、逮捕」とさけんだ。

そして、男性は機動隊に取り囲まれ連行された。それを止めに入った男性も 「逮捕」と連行された。こんな不当な逮捕があっていいのか。これは何百人の人の前で行われた不当逮捕だ。男性がけったのは、機動隊の盾だ。身体に暴行は一切加えてない。さらに恐ろしいことが起こった。「また、逮捕だ」だれかがさけんだ。急いでそちらに走る.すると17、8人の機動隊が一人の人をとり囲み、殴るケルの暴行を加えていた。こん棒でその人をぼこぼこにしていたそのひとは、ひきたおされ、着ている洋服もはだけ、しまいには、上半身はだかだった。ぼろきれのように暴行された人は実行委員のやぎさんだった。

もうひと機動隊に取り囲まれもみくちゃにされていたひとはサミーさんだった。とうとう実行委員までねらわれたのだ。この惨状は多くの参加者が目撃してる。高田さんから逮捕の報告があり、弁護士の先生も全力をつくすとおはなしされた。弁護士の先生のおかげで、サミーさんは逮捕されずにすんだが、3人が拘束されている渋谷署に有志と一緒に抗議に行く。渋谷署の前にはものものしい数の警官と機動隊が入り口をふさぎ、私たちをいれまいとした。その時点では、私達は渋谷署にはいって会う肩理があるにもかかわらず。

マイクでそれぞれが思いのたけを訴え不当逮捕された仲間を勇気づけるためシュプレヒコールをあげる。周囲の群衆からも警察は不当なことをするなとエールがあがる。
弁護士が出てきたのは、夜の9時半をまわっていた。「ふたりは元気です。しかし最後の人は、相当ひどいけがをしていますので、病院につれてく様に言いました。
明日から、それぞれ、留置所に移されます」とのことだった。やぎさんが死ななかったのがめっけものだと思う位の酷い暴行をわれわれを護るはずの警官からうけたのを私ははっきりみた。

反戦をしてる人間へのみせしめなのだろう。私は、ワールドピースナウのデモは日本で一番安全だと思っていた。こんなことは許せない。どうか色々な人にこのことを知らせて下さい。救援の御協力もお願いします。


 今回の3人、特にかなりのけがを負わされてしまった方には本当に同情します。ピースウォークに参加して逮捕されるなんて、思ってもいなかったでしょうに。
 でも、大きな声では言えませんが、『自由への大いなる歩み』で公民権運動に胸ときめかせた非暴力ヲタクとしては、今回の明らかな不当逮捕で、いよいよ盛りあがってきましたねー!という気持ちも、ちょびっと(ゴメンナサイ)。
 ピースウォークやる側としては、注意深い準備が必要な時期になってきましたね。早急にスタッフに非暴力トレーニングをすること、開始前に参加者に非暴力的対応(警官の挑発にはユーモアで返す、警官に触れられたら揉み合わずに脱力する、など)を告知すること、パレードの外縁にビデオや動画を撮れるケイタイを配置すること、などなど。弁護士さんも出来るだけ多く立ち会って欲しいしね。(当然もう、私なんかより専門知識のある方たちが対応を考えてるでしょうが)
 わたくしとしても今後は「逮捕上等!」の非暴力ノリで、ピースアクションに参加したいですねー(ケーサツは怖いけど)。「さっさと進め!」と挑発されたら急に持病のシャクで何度も倒れてヨロヨロし(シャクって何?)、万が一連行されるときも「あ~れ~、お代官さま、ご無体な~」と言っていられる立派な非暴力戦士に、私はなりたいっ。
(もし逮捕されたら、ダンナよ、面会の時には好物の鶉のパイ包み焼きフォアグラ添えをテイクアウトして差し入れに持ってくるの忘れずに頼むよ)

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July 02, 2004

ビッグ・イシューに投書載りました

 THE BIG ISSUE JAPAN 10号の読者投稿ページに、わたくしの投書したのが載りました。

 BIG ISSUEというのは、ホームレスの人たちだけが売ることが出来る雑誌で、一冊200円のうち110円がホームレスの人たちの収入になります。「助けてあげる」のではなく「仕事を作る」ことで自律を促す試みで、90年代に英国で始まって、今では24カ国に広がっています。
 日本では大阪に編集部があり、京都を含め関西では、繁華街のあちこちで立ち売りをしているおじさんたちを見かけます。毎月買っているとなんとなーく顔見知りになり、前を通るときになんとなーく笑いかけて会釈するようになりました。東京でも販売場所が増えていってるみたいです。
 最新号はブラピが表紙。買ったこと無い方も、これを機会に一度読んでみて下さい。若い人向けの編集方針ですが、俳優やミュージシャンの生き方を探るようなインタビューや、社会問題を身近な切り口から取り上げた特集など、毎号面白い記事が掲載されています。今号には押尾コータローの記事なんかもあります。

 今回のわたくしの投書は「非暴力が簡単でないのは当たり前」というタイトルです。
 「日本みたいにヘーワなところで‘何となく非暴力’なのは簡単だけど、イラクやパレスチナやアフガニスタンなどで肉親や友人を目の前で殺されたら、憎悪や復讐心を超えて非暴力に徹するのは容易ではない」……というような内容の投書があったんですが、そう言って‘非暴力は難しいこと’と考えちゃうのも、安易なんじゃない?という投書をしました。インドの独立運動や公民権運動当時の状況は、やはり非道いものだったにも関わらず、非暴力運動を担ったのは聖人君子ではなく普通の人々だったわけで。だって、教会で聖歌隊の練習をしているところに爆弾投げ込まれて子供たちが大勢殺されちゃうような状況で、それでも非暴力を選んだ人たちが実際いたのだから……。
 ビッグイシューの6号が非暴力の特集でした。立ち売りのオジサンたちはバックナンバーも揃えてる人が結構いるので、興味のある方は聞いてみて下さい。非暴力ヲタクとしては掘り下げが足りない特集ですが、入門編としてはとてもいいんじゃないでしょうか。

 あ、ちなみに、投書が載ると一冊送られてきて、図書券千円分も同封されてました。久々の稼ぎでしたわ。

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