ブログで拾う非暴力
【追加アリ】
News & Blog Searchで「非暴力」を検索してみると、このごろ沢山引っかかるようになってきた。
ただ、自衛隊の話題で出てくる「国と国民を守るために武器が必要」という理屈は、銃社会の話題で出てくる「自分と家族を守るために銃が必要」という理屈と同じ構造であるような気がする。
猿虎日記の「非暴力的『緊張』」
辺見庸の寝言はともかく、『暴力の哲学』に引用されているM.L.キングJr.の以下の言葉は、重要。
非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。緊張をつくりだすのが非暴力抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この「緊張(tension)」ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。あ、そっか、こっちを強調する必要もあるのね。
航海中・・・の暑い夏の夜はでは、チベット・ミステリー三部作が紹介されてます。
町山智浩アメリカ日記の「『華氏911』は偏向しているか?」(町山さんのブログからもう一つ別の記事もClipしてます→右のバーの下の方にある「一人一人でバランス…」)
ベトナム反戦運動が急激に高まったのは、 テト攻勢の激戦がテレビで放送されたのがきっかけだった。 黒人公民権運動にアメリカ人が共感したのも、 非暴力デモを続ける黒人たちに警官隊が放水し、 犬をけしかける映像が放送されたのがきっかけだった。 だからブッシュ政府は戦争の悲惨な部分を隠し続け、 アメリカのマスコミはそれに協力してきた。
Daily Logの「豪 雨 と 自 衛 隊 で ふ と 思 う ( ゚Д゚)ポカーン」
ガンジーの非暴力不服従運動も、最初は身内からも半信半疑、というかむしろ批判が出るような運動であったという節があります。それでも、最後には結果を出した。安易に路線切り替えで米国の追従をせずとも長期の批判覚悟で、独自の道を見出してもいいか。
……と、昨日の自衛隊の姿を見ていて思った事でありました。
(中略)
力がない国は生きていく価値がないのか?
そんな事はない罠、と漏れは思います。そういう国だって、自分の土俵と限られた資源を活かして、活路を見出している。この理屈は「武力」についても同じだと思うのです。日本の経営資源は他にあり。
こういう観点で活動を考える機会が、もう一度訪れて欲しいものです。
本隊で誰か死んだり、ブッシュマンセーで国が染まる前に。
nothing but troubleの「vs DQNを酒を呑みながら考えてみた。」
俺は、若いころ、所謂ヤンキーさんたちに絡まれやすい人間だったのだけれども、基本的に「逃げない。目を逸らさない。言う事を聞かない。手を出さない。」を信条にそういう時は対処していたということを思い出した。こっちが切れて、手を出したりすると酷い泥仕合になったり、バイトや約束に遅刻したり(殴ったあと必死で逃げまくったりして)とか、必ず面倒なことになっていた。DQNとの対決体験、とても面白い。
そういう経験上、毅然とした態度で臨む非暴力が一番有用な暴力を止める力になりうると思っている。所謂、非暴力主義で、一番拙いのはビビってしまう事なんだろうなと思う。
日本のイジメの構図のように、イジメっていう暴力に恐怖したら、止まることは無いんだろうなとか。ただ、あれは狭くて、ある意味強固なコミュニティ内であって初めて成り立つ現象だろうが。
それでも、言いなりになった時点で負けは負けだ。止める意思を失った時点で。どういう形にせよ、負ける時って、自分可愛さのあまり、屈するような時なんだろうなと思う。屈した時点でそれより酷いことになるかもしれないのに。
そして、屈し続ける事に耐えれなくなったら、結局抵抗するわけだが、積もったものもあり、また負けたらと言う恐怖もあり、より悲惨な形でそれは実行されるものなんだと思う。
そして憎しみだけが降り積もり、どんどん悪化していくだけなんだと思う。
日本が軍隊(正規軍としての日本国軍)を持つ「普通の国」になるべきなのか、それとも、世界でも稀有の非武装非暴力平和主義の国家として人類史に偉大な功績を果たすことを選ぶのか。引き返すのは、確かに物凄く困難になる。日本が今どちらを選択するかは、物凄く重要だと思う。それでも、既に軍隊と交戦権を持つ「普通の国々」からなる国際社会も、暴力的な機構を非暴力的な機構へと、一つ一つ、置き換える努力をしていくしかない。
(略)
唯一つ言えるのは、いったん「普通の国」になる道を選んだら、もう引き返すことはできないということだ。
反戦翻訳団(スゴい名前)の「イスラエル国防軍への入隊を拒否していた5人に対して、法廷が減刑を言い渡しました」
委員会に対しては、刑務所当局そして同収容者たちから、彼ら5人の収監中の素行を絶賛する手紙が何通も届いていた。また委員会の構成員たちは、以下のことにも注目していた。即ち、彼らは投獄される以前に地域への奉仕活動に対して大変熱心に取り組んでいたことそして今後も奉仕活動を続けて行くと云う意思を彼らの声明文にて表明していることである。良心的兵役拒否。私は女だからまだ他人事の気分が大きいけど、日本の成年男子諸君にとっては、まさに明日は我が身の問題。(兵役拒否の時に頼りになるのって、クエーカーの他にはエホバの証人だったりするんだけどね。でもまぁ、信教の自由はあることだし、信仰そのもののうさんくささには目をつぶってもいいかなと。あ、もちろん、イスラエルにで兵役拒否しているのはユダヤ教徒なのでしょう。)
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