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June 15, 2004

Spirit dreams inside ―渇いて夢見る―

 80年代のDuran Duranを思い起こさせる、キャッチーで完成度の高い(仄かに陰気な)疾走感あふれる一曲。そしてアルバムSMILEの中では、たぶん一番、夜の半球に近い歌詞。

悪夢から目覚めた 昼間でもそれがまとわりつく ゆっくりとそれがボクを引き裂いていく

遠い愛の夢 ボクは彷徨う衛星なんだ

荒れ地のどこかで 君が笑いかけている ボクの夢から来たヴィジョン すべては変わるのかな?

痛みを振り捨てて 君の光で導いて

太陽に向かって 哀しみを置き去りに 渇いた海を越えて……

「太陽に向かって(heading for the sun)」なんて色白のhydeさんに言われちゃった日にゃあ……と思ってると、あれまぁ、海を干上がらせるほどの太陽ですか!
痛みやら哀しみやらと一緒に海まで干上がらせてしまうとなると、目指すべき太陽は……「浸食」の灼けつく太陽に、実は近い。でも今度は正気を保っている、が故に余計にキツい。焼き尽くすものでありながら目指して進むものでもある……太陽は、両義的。
海も干上がるような不毛の大地で太陽に向かって歩くのは、希望があるからではなく、意志があるから。どこかに君がいると信じているから。(ユリアさまを捜すケンシロウのようだ、とは言わないでおこう)

干上がった不毛の世界は彼の心。そんなにも渇いているのは、「時の外側へと空回りしてる(spinning out of time)」疎外感のせい? 誰かに繋ぎ止めて欲しがっている、泣き声に気付いて欲しいと。なぜ此処にいるのか分からず、迷子になった理由も分からない。愛の所在を知らないから。
それでも歩き続ける意志だけがある。
誰にも出会えない荒れ地で、太陽に向かって、君の光を目指して行く先は、心の深いところ(deep inside I go)。魂が夢見ているのは彼方ではなく、“内側”。
では、太陽は彼の欲望?それとも真実?……その両方を指す両義性?

「遠い愛の夢」そのものが「悪夢」であるような渇いた世界。
でも『接吻』で、「もう僕は二度と帰らない」と言ったのは、そんな渇いた孤独だったのでは?
ああ、それとも、二度と帰らないという意志が、彼を歩き続けさせているのかな?
そんな夢にさえ気付かないでいれば、無感覚に人の群れの中で生きていけるけど、気付いて、目覚めて、一人でも、ずっと君へと歩き続ける。
たとえ世界が彼を祝福しなくても、彼は意地でも世界を祝福してやる。世界が彼を祝福するまで、絶対に彼は世界から去ってやらない。そんな意志。
……凄くいいんだよね。なぜ日本語で歌わないのだろう。

永遠を誓わずに願うくらいの節操は残っているものの、「この恋を君に、永遠を捧げ」ちゃってる(『永遠』)今日この頃のhydeさんですが、世界と(君と)出会うことの困難さを、より成熟した意志で歌っていく可能性の一つが、この曲の歌詞には現れているような気がします。

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