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June 26, 2004

ボリス・ヴィアン

 ちょっと前に『うたかたの日々』を読んで、一緒に買っておいた『心臓抜き』を昨日読み終わりました(ともにハヤカワepi文庫)。
 ジュリーが音楽劇でボリス・ヴィアンを演じたというのを知っていたので、本屋で見かけて手が伸びた。生前は小説では認められなかったが、ジャズ・トランペッターなど多才な、ある種の時代の寵児みたいな人だったよう。

 『うたかたの日々』は、莫大な遺産を持つ主人公が、美しい女を妻にするが、彼女は心臓に蓮の花が咲くという病に冒され、男は彼女のために湯水のように金を使い果たしてゆく……という話。ポップなイメージに溢れるおとぎ話のようで、登場人物たちはみな、どっか欠けてて純粋で無関心でふわふわと薄っぺら。とても今日的なのかな。その軽薄さがイヤな感じがしないのは、資本主義の倫理に反する無駄遣いが肯定されてるからかな。全編が前時代的無駄遣いの嵐。読みながらジル・ド・レェの豪奢な散財を思い起こし、引き比べて20世紀の軽さを感じたり。断ち切られた根と、始めから根無しであることの違い。

 『心臓抜き』は、私にとってはちょっと精神有害な本だった気がする。読んでいる数日間、本とは直接関係なく、自分の中の理由のない不安とか焦りとかが揺さぶられ、非常に精神状態が不安定になることが度々あった。再読はしない方が吉でしょう。
 過去を持たず成人として存在しはじめた精神科医ジャックモールが、自らの空虚を埋めるために他人の欲望や情熱を精神分析することを求めるが、彼が滞在する海辺の村では分析の対象がなかなか見つからない。冒頭で彼は三つ子の出産に立ち会うが、母親は妊娠・出産を彼女にもたらした夫を憎み、夫はやがて6本足の船を造り海の向こうへと去ってゆく。村では残虐な老人市(奴隷市のようなもの)が開かれ、職人たちは小僧を手酷く虐待している。村を流れる赤い川には、船を浮かべた男ラ・グロイールが、村人が流す汚物を歯の間で拾い上げる代わりに、金と恥を与えられている(村人は恥を感じない)。主人公が滞在する館では、母親が三つ子を愛することに情熱を傾け、ありとあらゆる危険を想像しては子供たちを危険から遠ざけようとする。子供たちは青いナメクジを食べて空を飛べるようになるが、それを知らぬ母親は、彼らが庭の外に出て危険に会うことを怖れ、最後には子供たちを鉄の檻に閉じこめてしまう。
 この母親、どっかで覚えがあるような気持ち悪さ。三原順もこういう気持ち悪い親子関係を描くのが上手かったけど、彼女の漫画は凄い好きなんだけどなぁ。この小説の母親はひたすら気持ち悪かった。村の方の一連のエピソードはわりと好きだと思う。神は贅沢だ、とか、金と恥を受け取るラ・グロイールとか。
 ラスト、私は「子供たちは飛べるんだから、母親の試みはいずれ無駄になるんだろうな」と思って読んでいたのだが、解説を読むと、飛べるにもかかわらず子供たちは閉じこめられてしまった、というネガティヴな結末と読むべきなのか?

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