仮面ライダークウガ 拳の痛み
ここ一週間以上、「仮面ライダークウガ」を見るのに忙しくて他のことが手につかなかったのは、みんなには内緒だよ。私にとっては、るろ剣、トライガン、RED☆SHADOWに続く非暴力もの。
知っている人にとっては今更だが、特撮ヒーローものと馬鹿にするなかれ。クウガは「子供だましはしない」というスタッフ&キャストのプロとしての誇りと愛情あふれる、骨太なドラマに仕上がってるのだっ。未就学児向け・おもちゃ屋の宣伝番組という限界を上手くかわし、未確認生命体(昔で言うところの怪人ね)との戦いをリアルな設定で描いて、たくさんの大人たちも虜にした番組、らしい。変身の時だけベルトが現れるのは何故か、敵は何故一体ずつしか襲ってこないのか……これら長年の謎に答えを出しただけでも、たいしたもんじゃあ~りませんか。
主人公は脳天気で飄々とした、ちょっと見は頼りない青年、五代雄介。古代遺跡から蘇った未確認生命体が人間を襲い始めたとき、主人公 雄介は、遺跡から発見されたベルトをはめて変身し、クウガとなって戦う力を得る。警察はクウガも未確認生命体第4号と呼び、当初は射殺対象だった。クウガに命を救われた一条刑事を通じて、やがて警察も未確認生命体と戦う協力者としてクウガを認めるようになるが、上層部の硬直した反応なども描かれる。一年間という長いスパンが幸いして、レギュラーキャラそれぞれにスポットを当てるエピソードがあり、作品世界がとても生き生きしている。
雄介は最初に変身した後、早くも、自分の拳を見ながら「慣れそうもないな、あの感覚」と言い、ヒロインに「五代くんでも中途半端な気持ちになることなんてあるんだ?」と訊かれたとき、再び拳をそっと握りながら「あるさ、そりゃあ…」と呟いている。拳をふるうことを躊躇するというヒーロー像は、非暴力オタクとしては嬉しい限り。
その後も、雄介の妹が「もう、戦うの平気になっちゃった?」と訊ねるシーンがあり、雄介は彼女の不安に対し、「お前はなんで(保育園の)先生やってるの?……誰かの笑顔のためだろ?俺も同じだよ」と応える。また、未確認生命体の強力化に伴いクウガもパワーアップした後、「俺ももうこれ以上強くならなくていいやって感じ」と言うのからも分かる通り、雄介には戦闘マニア的性向は一切ない(剣心が人斬りの本性を内に抱えているのと対照的)。こういうヒーロー像を構築するのは骨の折れる仕事だったと思うが、脚本の完成度は概して高水準で、第1話から最終話まで、メッセージは首尾一貫している。
決して熱血ではなく、崇高なシリアスさとは無縁で、むしろ天然の軽さと脳天気でもって、雄介は「これ以上、誰かの涙を見たくない」、「みんなに笑顔でいて欲しいんです」と、最後まで飄々とやせ我慢を貫く。
自己犠牲をやせ我慢として描くのは、私としてはなかなか新鮮だった。自己犠牲だと客観的価値を押しつける感があって、自己満足だ偽善だとの反発を買いやすいが、やせ我慢なら好きでやってるだけだから反発されにくいし、キャラの作り方によっては共感が広がりやすい。自己犠牲ってのは「ついうっかり」しちゃうか、そうじゃなきゃ内心泣きながらやせ我慢するのが自然なのかも。
そんな雄介が、終盤に向けて一度だけ、怒りと憎しみのままに敵を殴り倒すエピソードがあった。「未確認」により脳内に針を仕込まれた高校生たちが、4日目に次々死んでいく……迫り来る死の恐怖におびえる少年たちを目の前で見た雄介は、犯人である未確認をめちゃめちゃに殴り続ける。カットバックで挿入されるのは、保育園の男の子たちが、雄介に言われたことを受け止めて仲直りするシーン。その鮮やかで辛い対比。
ラスボス戦に向けますます強力になる未確認生命体に対し、雄介も更なるパワーアップを迫られるが、周りの人々は彼が「戦うためだけの生物兵器」になってしまうのではないか、彼が彼でなくなってしまうのではないかと不安を感じる。古代遺跡の碑文の研究から、優しさや慈しみの心をなくしたとき、クウガは「凄まじき戦士」となり闇をもたらす者になるとわかる。滅入る展開の中、雄介は「やっぱりあの時なりかけたんだ」と、憎しみのまま戦ったときのことを思い返し、「でも、もうそれが分かったから、絶対大丈夫」と明るく笑う。雄介の楽天性、肩の力の抜け具合に、誰もが救われてゆく。
科警研で働くバツイチ子持ちの研究員が、未確認生命体を倒すためとはいえ「私たち、こんな物まで作っちゃって…」と、次々に強力な武器を開発してきたことに疑問を抱くシーンもあった。雄介はそんな彼女に、「大丈夫、第0号を倒したら、次に作るのは、お子さんと一緒にホットケーキですよ」と言って励ます(軍事産業ではなく警察機構の中にいる人だから、あながちその場限りの慰めではない)。
雄介は最後、憎しみの力ではなく「みんなの笑顔を守りたい」という心一つで究極の力を手に入れるのだが、ラスボスである未確認生命体第0号との決戦は、結局最後には変身も解けてしまい、生身同士の殴り合いとして描かれる。人を傷つけることが楽しくて仕方ない第0号は天使のような笑顔で雄介を殴り、みんなの笑顔を守りたい雄介は泣きながら第0号を殴る。このシーンは暴力性というものを抉り出していて出色の出来ではないでしょうか。
最終話は、変身したクウガも、バトルシーンそのものも全く出てこないという掟破り。全編が、未確認生命体がいなくなった三ヶ月後、それぞれの登場人物が雄介への思いを口にする後日談となっている。そして最後の最後、どうやら南米で放浪しているらしい雄介は、子供たちの諍いを笑顔に変える相変わらずな面を見せながらも、しかし彼自身の顔には、あの底抜けの笑顔は戻っていない。砂浜で寝そべりながら拳の感触を思い出している描写もあり、戦うことで負ってしまった傷の深さを感じさせる。広い青空の下で、何かを吹っ切るように歩き出す雄介の後ろ姿。
ヒーローは孤独なもんだし、シェーンの昔から戦いが終わったら去って行くもんだけど、たくさんの絆が描かれたドラマであるだけに、このラストシーンはかなり切ない。その切なさが、作品のテーマを余韻たっぷりに伝えてくれている。
……が、しかし、切なさをより大きくするためには、第0号との戦いで欲しかった台詞がある。
未確認生命体は生物学的には人間と同じで、ベルトによって変身する力を得た雄介クウガとは、「心」以外はまるで同じだと終盤で分かってくる。もっとも強大な力を持つ第0号を倒すために「凄まじき戦士」となった雄介の体は、変身能力のためにかなり変化してしまっている。
ならば……第0号に「キミを理解できるのは、ボクだけだよ」と言わせたかった。「人間でいようとするから苦しいんだよ」とか「もう彼らのところには帰れないんだろう」とか「苦しみを終わらせてあげるよ」とか、なんなら「一緒に、無に帰ろう」とか、ダメ押しの揺さぶりをして欲しかったなぁ。ちょっと少女漫画チックかなぁ。
ともあれ、正義の鉄拳うけてみろ!なヒーローではなく、みんなの笑顔を守りたいがためであっても、拳をふるうことは苦しいと思っているヒーローを見て育ったら、子供にとって影響は結構大きいかもなぁなんて思います。……って言うか、リアルタイムで視聴していたら、父母の方が最後の2回は号泣しちゃってたかも。泣いてる父母の姿を見ることも含めて、ちびっ子の心に何かがずっと引っかかってくれたならいいんだけどな。
さんざんネタバレ書いといて言うのもなんですが、レンタル屋さんでキッズビデオのコーナーにあれば安く借りられますし、騙されたと思っていっぺん見てみません?
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