『あなたの人生の物語』テッド・チャン ハヤカワ文庫 2003年
大学時代まではSFを結構読んだんだけど、サイバーパンク以降のことは知らない。これはたまたま本屋で見かけてタイトルに引っかかり、腰巻きに「『SFが読みたい!』海外編第一位」とあったのでハズレはないだろうと思い、さらに中短編集なので気に入る話が一つくらいはあるだろうと思い、買ってみた。
◆「バビロンの塔」
これが一番好きかも。
舞台は天へとどく塔を建設しているバビロニアだが、読み進むうちに過去のバビロニアではないことが分かってくる。主人公の職人は仲間たちとともに塔の頂上へ、数ヶ月かけて昇っていく。同行する荷運び人達は、資材を乗せた荷車を押して五日間昇り、そこで次のグループに荷を渡して元の階に戻っていく。塔に住み着いた労働者と家族達は地上に降りたことがないとか、テラスで野菜を育ててるとか、塔の中の生活が結構リアルに描かれて面白い(ゴミ処理をどうしてるのか知りたかった)。
やがて月の高さを超え、太陽の高さを超えるあたりで、はっきりと天動説の世界だぁ!と分かる。そもそも最初から、主人公達は「空の丸天井」を掘るための鉱夫と書かれていたのだが、それが文字通りの意味だったのだ。さらに高層階に行くと、塔に星がぶつかった痕まで残っている。
これはファンタジーじゃないのか?世界の法則が違うってことは、舞台は異世界。でも登場人物達は、天動説の宇宙に生きている以外は、我々と同じ合理性で動いていて、作品の印象はどうもSF。つまりファンタジー的ではあるけれど、天動説宇宙はSFの設定、道具の一つらしい。
ただし、登場人物はみな敬虔で、塔の建設も人間の傲慢ゆえではなく、神の御業をよりよく知るためのものだ(これほどの大事業の動機はそれ以外あり得ないでしょう)。それでも主人公は、あまりの高さに五感が反逆を起こすたびに、やはり神に逆らう行為なのではないか、と自問する。神が罰を下していないという事実を、どう受け止めるべきか迷う。
物語のラスト、分厚い空の丸天井を掘り進めた果てに主人公がたどり着いた場所を、「ふりだしに戻る」的脱力と感じる人もいるのだろうが、これはハッピーエンドだ。主人公は揺らぎ続けた信仰の確信を取り戻すのだから。
◆「理解」
事故で脳を損傷した男が、薬剤治療によって超人的知能、新しい認識を得る話。脳の限界まで向上した知能で、物事のつながりを一気に把握できるようになった男は、そのゲシュタルトを表現する新しい理想の言語を構築し始める。「わたしはひとつで全宇宙を表現する巨大な象形文字のことを思って、楽しんでいる」
超能力ものなんかよりずっとエキサイティング。
◆「ゼロで割る」
数論が形式的体系として無矛盾「ではない」ことを証明してしまった数学者の、自我崩壊。認識を巡る思考実験って、とても刺激的だ。
◆「あなたの人生の物語」
突然飛来した異星人の言語を習得することで、因果律的認識から目的論的、変分原理的に世界を(時空を)認識するようになっていく言語学者の一人称小説。
読み進むうちに「そういうことかぁ」と分かっていく興奮があるが、分かってきてから後には、意外な展開は用意されておらず、ラストも印象が薄い。でも構成としては、これ以外あり得ないんだろうしなぁ。
自由意志と未来の記憶が両立しないという背反性は、主人公が信仰者なら「御旨の行われることを選ぶ自由」とでも表現できそうだけど、この話では信仰は入ってこないから、未来の悲劇を知っていて今を生きる「感じ」が、それほど明瞭に表現されていない気がする。
作者は男性だろうに、母親の心情が妙に細やかに描かれている。
◆「七十二文字」
これもファンタジー的設定のSF。
舞台はビクトリア朝ロンドン。名辞が生み出す秩序で、熱力学的な秩序までも生み出され、それによってゴーレム=オートマトンが動いて単純な労働を行う世界。主人公の命名師は、人間の真の名辞を探るプロジェクトに参加することになる。
もう一つの設定は、卵子が生命を、精子が形態を担うという生命原理。ストーリーの肝となっているのはむしろこちらかも。
技術の社会的インパクトという側面もちょっと描かれているが、中途半端かも。主人公は器用なオートマトンを可能にする名辞を作り出し、オートマトンによってオートマトンを生産してコストを下げることで、貧困の解決を夢見る。工場で劣悪な労働を強いられる人々が、安いオートマトンを各家庭で購入できるようになれば、家庭内手工業の時代に戻れると考えるのだ。だが職人の親方は、器用なオートマトンに仕事を奪われると考え、主人公の計画を徹底的に敵視する。どちらかが正しいんじゃないか?(たぶん親方が)
◆「人類科学の進化」
超人類による超科学・超技術が実在する世界でも、(旧)人類の科学者には超科学の文献学的解釈学という仕事が残されている、というショート・ショート。
ネイチャーのミレニアム特集に掲載されたというが、こういう着眼は他の人はしないだろうなぁ。
◆「地獄とは神の不在なり」
これも異世界SF。稀にではあるけど繰り返し天使が降臨して、災厄と奇跡をもたらす世界。時折地面が透明になって地獄が見える世界。人が死んだとき魂が天国か地獄に行くのが目で確認できる世界。
主人公は天使降臨で愛する妻を亡くし、妻は天国へ。だが彼は神への愛を持ち合わせず、このままでは天国に行けず、妻に再会できないと悩み苦しむ。妻の死が天使降臨のせいだから、もともと不信心な男が神への愛を得るのはほとんど不可能。そもそも妻に再会したいから天国に行きたいという動機だし。 彼以外にも信仰の諸相が様々な登場人物に仮託されて描かれ、とても面白い。
作者はヨブ記のラストが甘いんじゃないかと考えた、と「作品覚え書き」に書いている(試練に耐えたヨブに、神は最後には報いている)。なるほどそうなると、奇跡によって神への絶対的な揺るぎない愛を得た主人公の魂が、地獄に堕ちても神を愛し続けるというラストになるんだなぁ、とは思う。
この作品では、地獄は「神の不在以外は現世と大差ない」ものとして描かれている。でも、神の不在って、他者の不在ではないのか? 神が不在なのに愛は可能なのか? 神への愛が可能なのに、そこは本当に地獄なのか?
◆「顔の美醜について」
これも好きだなぁ。
顔の差違は認識できるが、美醜の判断を阻害する、という美醜失認処置が実用化されている(処置はいつでも無効化可能)。ある大学で、この処置を全学生に求める議案が学生会議に提出される。
いろんな立場の人たちの証言が次々に出てきて、とにかく面白い。平等か、審美の自由か? さらにはコマーシャリズムの影響という問題も。
整形流行りのご時世を茶化してるようでもあり、もっと深刻な差別のことを扱っているようでもあり。
私は小中高と女子校で育ったんだけど、異性の目を気にせず自我を形成できたことに感謝してるタイプ。図書委員や整美委員だけじゃなく、体育委員も応援団長も女。女だからって教室で鼻かんじゃいけないなんて知らなかったし、女だからってのが何かの理由にはならないと思ってた。
だから美醜失認処置が義務づけられている学校の子供たちの様子も、何となく分かる気がした。顔の半分に火傷の痕がある子が人気者だったり、平均以下のルックスの男の子と、かなりの美人が付き合ってたり。それはいい世界だよねぇ。良いルックスを持っている既得権益者以外にとっては。
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