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May 2004

May 31, 2004

インド料理アジャンタ

 今日は一日雨でしたが、カレーが食べたくて寺町通り高辻下ルのアジャンタで食べてきました。近くにあるインド料理屋さんの中では、ここが一番好き。ナンやチャパティは種類も多くて美味しいし、タンドリチキンやシクカバブもいいお味。もちろんカレーも。私のお気に入りはチキンサグワラです。
 以前行ったとき、なんだったか豆料理を頼んだら、似てるけど違うものが出てきて(ジャガイモ料理だった)、まぁこれも美味しそうだしと思って食べつつ、もう一度その豆料理を頼んだら、再びさっきと同じジャガイモ料理が出てきて、さすがに「これじゃないの頼んだんですが」と申し出ると、厨房に聞きに行って、結局今日はその豆料理は売り切れと判明したことがありました。「今日はありません」と言わないインド的ルーズさが大変微笑ましくも興味深く思い出されます。
 でも今日は、最初に魚のカレーを頼んだら、違うものが出てくる前に「今日は魚は売り切れ」と言いに来てくれました。知らんぷりしてエビのカレーが出て来ても、別によかったんだけどなー。

 いつも思ってたんですが、京都の飲食店って、木屋町や先斗町あたり以外のお店は平日の夜ってガラガラのとこが多いような。結構美味しいお店でも。こんなんで経営成り立つのかなーと。アジャンタもそうなんですよ。いつもガラガラで、私たちの他に一組いるかいないか。でも、どうやらランチタイムに人が入ってるらしいですね。よかった。つぶれませんように。

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May 30, 2004

すっぽん食べてきました

 深草の近善というお店ですっぽんを食べてきました。
 いきなり板前さんがすっぽん一匹とまな板包丁を持って現れ、目の前で首を落とし、切り落としたところから日本酒を注いで、中の血をすすぐように何度か器にあけました。
 16人ほどの宴会だったのですが、結構引いてしまう人もいました。切り落とした首動いてるし。……でも、「食べる」って、そういうことなんだよね。私は割と平気な方なんで。すっぽんなら魚さばくのと大してかわらないし。ベジタリアンの人なんかは、こういうのが耐えられなくて肉食えなくなっちゃうんだろうなぁなどと想像しました。
 で、その生き血と日本酒の混合物なんですが、臭くもなく、まろやかで、むしろ果実酒のようで美味しかったです。肝刺しはさっぱり、鍋はコリコリ、そしてスープがおいしいのだけど、ここでスープを飲みきってしまうと次の雑炊が寂しくなるので我慢。一通り堪能して、日本酒とビールも結構飲んで、一人六千円でした。

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May 27, 2004

年金不払い運動の可能性

 一応わたし、非暴力が専門分野なんだが、久々に非暴力関連の本、『市民的不服従』寺島俊穂 風行社2004を読んでいて、ふと思った。

 年金の未払いも、市民的不服従としての可能性があったりは……ま、そんなことはないか。

 ソローが奴隷制やメキシコへの侵略に反対して人頭税の支払いを拒否したのは有名だが、彼の場合、個人的良心が悪法に従うことを拒否するという、個人レヴェルの行動だった。非暴力運動の出発点は、常に個人的良心だが、ガンジーによって集団としての市民的不服従が行われるようになり、政治的影響力としての効果が確認された。その後もアメリカの公民権運動などを通じて戦術は洗練されていった。

 非暴力による市民的不服従の条件は、
1.個人の良心を出発点とすること
2.具体的な法や制度に対する抗議であること(明確な獲得目標を定める)
3.目的に公益性があること(差別や貧困、戦争・紛争への抗議など、何か普遍的価値にリンクする)
というところだろうか。

 さらに有効な運用のために考えるべきポイントとしては、
a. 問題の所在を知らせるための象徴的行動を選ぶ
b. 覚悟と訓練のあるコアメンバーが必要
c. 運動の意味と目的を常に説明する姿勢
くらいは考えるべきかと。

 さて、年金不払いは個人の財布の具合や怠惰が出発点なので、1に当てはまらない。2は、現行の年金制度への抗議という意味もあるのでかろうじてセーフのように見えるが、どのような改善を求めるかは明らかでないので、やっぱりアウト。年金問題は公益性があるので3には当てはまるだろう。
 逆に言えば、こんなになる前に先手を打って、明確な獲得目標を定めて問題化し、その上で積極的な抗議として不払いを呼びかけちゃっとけば、市民的抵抗となり得たかも知れないってことで。市民的抵抗運動として未納が半分超えたら、これは政治を動かす力となったはず。
 似たような例で言えば、選挙の投票率の低さも、政治的な力となり得たかも知れない。ガンジーも投票ボイコットという手段を取ったことがあった。こっちはさらに微妙な考察が必要なトピックだけど。

 非暴力に対する一般の認識はいまだに低く、誤解も多い。
 非暴力は無抵抗主義じゃなく、積極的抵抗の手法。暴力的圧力に屈服しない覚悟と訓練が必要だ。
 なぜ非暴力か?といえば、それは誰の主張だって間違ってるかも知れないから。主張を暴力的に強制して社会を改革すると、主張そのものが間違っていたとき、取り返しのつかない傷を残す。だから非暴力は、「悪法を犯したからって投獄するというなら、いっそみんなで監獄をパンクさせよう」「暴力的に制圧するっていうなら、暴力で対抗せず、殴られよう(でもテレビカメラで撮っといてネ)」という発想で、相手に傷を残すよりむしろ苦難は自ら引き受ける。自らの主張の正当性への確信と、それが間違っている可能性を自覚することを両立させるのが、非暴力抵抗なのだ。
 そもそも非暴力というのは、人間にとっては理念としても絶対的ではあり得ない。人間は他の生き物を食って生きて行くものだし、まして小さい虫やバクテリアまで考えたら……無理無理。
 非暴力は、常に目指すべき規範として意味を持つ。絶対的真理を標榜せずに、絶えず不正を排除していく方向に働く点で、非暴力は動的な規範だ。未来に理想社会を設定してその実現のために現在を生きると、目的のために手段を正統化する誘惑が大きすぎる。暴力的仕組みを非暴力的なものに置き換えていくことを目指しつつ、現に非暴力を実行する場合、現在はむしろ未来を先取りして生きることとなる。この辺がミラクルでダイナミック。

 安全保障にも非暴力を適応していこうという研究も進んでるみたいだけど、その辺は追々フォローしていくつもりです。
 ……こういう話題だと、文体が安定しないね。

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May 26, 2004

現状を追認しないと罪?

救う会あてに千件以上のメールや電話、3分の2は批判……だそうです。

日朝首脳会談の結果報告を受けた拉致被害者の家族たちが、面会した小泉首相に厳しい意見を述べたことに対して、支援組織「救う会」などに多数の意見が寄せられている。  意見は今月22日夜、首相の報告を受ける家族たちが報道された直後から電子メールや電話で寄せられ始めた。25日までに1000件以上に達し、そのうち3分の2は「総理に感謝するべきだ」「子供たち5人の帰国について喜びの言葉がない」などとする批判的なものだったという。  救う会と家族連絡会は25日夜、「面会の際、家族は首相の努力に敬意を示し、子供たちの帰国への喜びの意を示したが、ほとんど報道されなかった」などとする見解を発表した。(読売新聞) [5月26日0時37分更新]

 またかって感じです。気持ち悪い国ですね。思ったこと言うと叩かれるってのは、日常生活ではよくあることですが、議論に開かれた民主社会の建前はどこ行っちゃったんでしょう。建前やキレイごとってのは軽蔑するためにあるんじゃなく、守ろうとすることに意義があるわけで。
 もちろん、被害者家族を批判する人も「思ったこと言っただけ」と開き直るんでしょうが、権力を行使する側に批判を向けるのとは、ワケが違うのにね。権力は監視しなきゃいけないけど、一般人である他人が我が儘に見えようが横柄に見えようが、それはその人の勝手なわけで(今回の訪朝の成果を不満に思う家族の気持ちが我が儘とも思えんが)。
 現状追認しないことは、日本的道徳観(何じゃそりゃ)に反する罪なのでしょうかね。

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May 21, 2004

卵も牛乳も使わないアップルパイ

 しばらく前からマクロビオティックを取り入れた食生活をしておりまして、我が家では普段の食事に肉も卵も牛乳も使ってません。玄米菜食って感じで、現代栄養学とはちょっと違う陰陽の理論で考えるところなんか、ゲーム感覚で面白いのです。「肉食べなきゃ栄養失調!牛乳飲まなきゃカルシウム不足!!」みたいな強迫観念から逃れると、「あ、食べなくても大丈夫なんだぁ」と、とても気楽になります。
 大学時代の上級生夫婦がマクロでダイエットに成功したのを目撃したのは……十年以上前なんですが、それから時も流れ、たまたま去年知り合った女の子が、マクロをはじめて頭痛がなくなったと聞き、激しく心惹かれました。でも生来怠け者なので「料理とか大変じゃない?」と訊ねてみると、調味料の種類が少なくなるからかえって楽だし、今日は何作ろっかなーって楽しいですよ、といわれ、それなら……と恐る恐る、『マクロビオティックがおいしい。』を買ってみるところから始めました。お揚げ、高野豆腐、お麩なんかを使う料理にも慣れましたし、昆布とシイタケの出汁も自分で取るようになりました。野菜炒めだってキノコを多めに入れると満足感あるし、ホワイトソースも豆乳だとこくがあっておいしいです。
 とはいえ、おいしいもの食べるのは好きですので、外食では気にせず何でも食べます(牛肉は特に環境負荷の高い食品なので、普段から食べなくていーじゃん、たまの贅沢でいーじゃん、と思ってます。マックや吉牛なんて食べる気がしないし)。

 そんなこんなで、本日は卵も牛乳も白砂糖も使わないアップルパイを、先ほどオーブンに放り込んだところです。
 パイ生地代わりのクラストは、薄力粉1カップ+強力粉4分の3カップ、塩少々をふるってから、紅花油3分の1カップをまんべんなくこすり合わせるように混ぜ、生地がまとまるくらいに少しずつ水を足して30分寝かせ、あとはラップでサンドしながらめん棒で延ばすだけ。(アップルパイは上にも生地をかぶせるので、上記の二倍量で作ります。我が家ではダンナ実家製の小麦粉を薄力+強力粉の分量使うので、油が上記量では多すぎるみたい。半量でちょうどいい感じ)
 中身はリンゴ3~4個を薄切りにしてレモン汁と塩をまぶし、クラストを敷いた型にどさっとそのまま入れ、その上にメープルシロップ、米アメ、くず粉、小麦粉各大さじ2くらいとレモンの皮のすり下ろし(アメリカ産はポストハーベスト農薬が危険なので必ず国産、出来れば無農薬)を混ぜたものをかけ、のばした生地で覆って、フォークで穴を開け、オーブン190度で30~40分。
 そろそろいい匂いがしてきました~。
 あっさりしてて食べよいおやつになります。

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May 19, 2004

大人げネェー!

小泉訪朝の同行記者団から日テレ排除
 そーですか。この国の政府は、都合の悪い報道をしたメディアは排除してOKなんですか。
 そもそも日テレが「(北朝鮮への人道支援は)25万トンのコメ支援で最終調整」という報道をした事が、いわゆる国益に反する非常識だったかどうかは置いとくとして、だからって小泉訪朝の同行記者団から外すって、ただの意地悪じゃん。しかも先の報道に関して情報源を明かせば同行を許すって? 脅しじゃん。
 あたしはマスコミも嫌いだが、こんなことやる政府って、まじ、ファシスト政権と誰かに呼ばれてなかったっけ?(えーと、自民党のてーこーせー力のおじいちゃんたちの誰か)
Winnyの件といい、この国、重力異常おこしてるンとちゃう? 自由化自由化って騒ぐくせに、中央集権的なんだよね。アメリカから押しつけられる市場原理主義も、日本に入ってくると和魂洋才で独自の原理主義に変質するのかしらね。ああ、もうっ。どっちもやだし。

【追記】 当然ながら、表沙汰になって政府が上げた手を引っ込める事になりました(訪朝同行記者団の日本テレビ排除方針撤回へ)。まだしも民主国家だったようです。……てか、飯島秘書官が、脅しをかければ日テレは屈すると踏んでいたとすると、日本の放送局って普段から超ヘタレなんでしょうかね。

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May 18, 2004

『悪魔の中世』

 『悪魔の中世』渋沢達彦 河出文庫2001年
 これはハードカバーで欲しかったかも。文庫では図版が小さいし印刷も悪くてよく分からん。
 中世をメインに、悪魔の図像学をさらりと網羅。恐怖を見たいという欲望は、普遍的に人が持っている、らしい。ペストが蔓延したヨーロッパでも、やはり人は恐怖の図像を見たいと欲するものなのかな?
 読みながら、現在の事をしきりに考えてしまった。恐怖を見たいという欲望は、ネット時代にはグロラボなどでいくらでも満足できる。でも、グロラボにあるのは芸術家の想像力によって生み出されたものではなく、現実の一断面なんだよねぇ。近代になって、聖なる場所や聖なる時間(祝祭)が世俗化されたことを指して「時間と空間の民主化」なんて皮肉な言い方をするけれど、実は地獄までが民主化されてしまったのかなぁと、しみじみ思う。地獄が死後にしかなく、悪魔が人間とは別のモノだった頃があったわけですよねぇ。そもそも悪魔は人の内側に入り込むものではあったわけですが、今ではすっかり、史上空前の規模で、社会の中に馴染んでしまわれたようです。

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May 15, 2004

カフェ好きな犬

 散歩に行った帰りに思い出した。まだフィラリアの薬をもらってない。
 仕方なくハンナとダンナを待たせて部屋に診察券と財布を取りに帰り、獣医へ直行。体重を計られる。7.4キロ。先月より2百グラムの減量に成功!毎日大根を刻んだ甲斐があったというもの。この程度のペースは問題ないとのこと。犬の場合、一月で一割減量しても大丈夫らしい。オオカミだった頃は獲物が捕れなければ劇ヤセ、獲物が捕れたら食えるだけ食うという生活だったわけで(ま、犬がオオカミだった頃は人間も同じだけど)。
 会計を待つ間、獣医師が電話で相談に答えているのが耳に入る。どうやら老夫婦が飼っている犬について、老夫婦の子供が相談しているらしい。攻撃性のある犬を躾ける場合、まず去勢することが前提だと先生が答えている。さらに犬歯を削る、又は抜く相談。噛みついたこともあるとのこと。……聞いただけでかなり憂鬱。ああ、しつけのできない飼い主に飼われてる犬がいるんだ……。
 お薬をもらって帰ろうと歩いていると、新町錦の十字路でハンナが北上すると激しく主張。何であなたはあっちにドッグカフェがあると知ってるの?
 ……仕方なくドッグカフェに寄る。先客は二組。どちらもミニチュアダックス連れ。片方のカップルが連れているのは、まだ6~8ヶ月くらいと思われる子犬で、怖がっているのだろう、凄く吠えている。バークコントロールは全然できていない。まだカフェデビューには早かったようですね。ちゃんと人間社会に適応できるように躾けてあげて下さいねと、祈るような気持ち。そのカップルが帰るとき、カフェのスタッフも「全く新しい環境でいろんな犬のニオイがして、かなり怖かったんだと思いますよ。まずワンちゃんのことを第一に考えてあげて……」などとアドバイスしていた。幸せに暮らせる犬になりますように。
 ダイエット中のハンナには、今日は犬ケーキはなし。犬ミルクのみでした。ガッツガッツ飲んでいました。

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May 13, 2004

天動説SF!

『あなたの人生の物語』テッド・チャン ハヤカワ文庫 2003年

 大学時代まではSFを結構読んだんだけど、サイバーパンク以降のことは知らない。これはたまたま本屋で見かけてタイトルに引っかかり、腰巻きに「『SFが読みたい!』海外編第一位」とあったのでハズレはないだろうと思い、さらに中短編集なので気に入る話が一つくらいはあるだろうと思い、買ってみた。

◆「バビロンの塔」
 これが一番好きかも。
 舞台は天へとどく塔を建設しているバビロニアだが、読み進むうちに過去のバビロニアではないことが分かってくる。主人公の職人は仲間たちとともに塔の頂上へ、数ヶ月かけて昇っていく。同行する荷運び人達は、資材を乗せた荷車を押して五日間昇り、そこで次のグループに荷を渡して元の階に戻っていく。塔に住み着いた労働者と家族達は地上に降りたことがないとか、テラスで野菜を育ててるとか、塔の中の生活が結構リアルに描かれて面白い(ゴミ処理をどうしてるのか知りたかった)。
 やがて月の高さを超え、太陽の高さを超えるあたりで、はっきりと天動説の世界だぁ!と分かる。そもそも最初から、主人公達は「空の丸天井」を掘るための鉱夫と書かれていたのだが、それが文字通りの意味だったのだ。さらに高層階に行くと、塔に星がぶつかった痕まで残っている。
 これはファンタジーじゃないのか?世界の法則が違うってことは、舞台は異世界。でも登場人物達は、天動説の宇宙に生きている以外は、我々と同じ合理性で動いていて、作品の印象はどうもSF。つまりファンタジー的ではあるけれど、天動説宇宙はSFの設定、道具の一つらしい。

 ただし、登場人物はみな敬虔で、塔の建設も人間の傲慢ゆえではなく、神の御業をよりよく知るためのものだ(これほどの大事業の動機はそれ以外あり得ないでしょう)。それでも主人公は、あまりの高さに五感が反逆を起こすたびに、やはり神に逆らう行為なのではないか、と自問する。神が罰を下していないという事実を、どう受け止めるべきか迷う。

 物語のラスト、分厚い空の丸天井を掘り進めた果てに主人公がたどり着いた場所を、「ふりだしに戻る」的脱力と感じる人もいるのだろうが、これはハッピーエンドだ。主人公は揺らぎ続けた信仰の確信を取り戻すのだから。

◆「理解」
 事故で脳を損傷した男が、薬剤治療によって超人的知能、新しい認識を得る話。脳の限界まで向上した知能で、物事のつながりを一気に把握できるようになった男は、そのゲシュタルトを表現する新しい理想の言語を構築し始める。「わたしはひとつで全宇宙を表現する巨大な象形文字のことを思って、楽しんでいる」
 超能力ものなんかよりずっとエキサイティング。

◆「ゼロで割る」
 数論が形式的体系として無矛盾「ではない」ことを証明してしまった数学者の、自我崩壊。認識を巡る思考実験って、とても刺激的だ。

◆「あなたの人生の物語」
 突然飛来した異星人の言語を習得することで、因果律的認識から目的論的、変分原理的に世界を(時空を)認識するようになっていく言語学者の一人称小説。
 読み進むうちに「そういうことかぁ」と分かっていく興奮があるが、分かってきてから後には、意外な展開は用意されておらず、ラストも印象が薄い。でも構成としては、これ以外あり得ないんだろうしなぁ。
 自由意志と未来の記憶が両立しないという背反性は、主人公が信仰者なら「御旨の行われることを選ぶ自由」とでも表現できそうだけど、この話では信仰は入ってこないから、未来の悲劇を知っていて今を生きる「感じ」が、それほど明瞭に表現されていない気がする。
 作者は男性だろうに、母親の心情が妙に細やかに描かれている。

◆「七十二文字」
 これもファンタジー的設定のSF。
 舞台はビクトリア朝ロンドン。名辞が生み出す秩序で、熱力学的な秩序までも生み出され、それによってゴーレム=オートマトンが動いて単純な労働を行う世界。主人公の命名師は、人間の真の名辞を探るプロジェクトに参加することになる。
 もう一つの設定は、卵子が生命を、精子が形態を担うという生命原理。ストーリーの肝となっているのはむしろこちらかも。
 技術の社会的インパクトという側面もちょっと描かれているが、中途半端かも。主人公は器用なオートマトンを可能にする名辞を作り出し、オートマトンによってオートマトンを生産してコストを下げることで、貧困の解決を夢見る。工場で劣悪な労働を強いられる人々が、安いオートマトンを各家庭で購入できるようになれば、家庭内手工業の時代に戻れると考えるのだ。だが職人の親方は、器用なオートマトンに仕事を奪われると考え、主人公の計画を徹底的に敵視する。どちらかが正しいんじゃないか?(たぶん親方が)

◆「人類科学の進化」
 超人類による超科学・超技術が実在する世界でも、(旧)人類の科学者には超科学の文献学的解釈学という仕事が残されている、というショート・ショート。
 ネイチャーのミレニアム特集に掲載されたというが、こういう着眼は他の人はしないだろうなぁ。

◆「地獄とは神の不在なり」
 これも異世界SF。稀にではあるけど繰り返し天使が降臨して、災厄と奇跡をもたらす世界。時折地面が透明になって地獄が見える世界。人が死んだとき魂が天国か地獄に行くのが目で確認できる世界。
 主人公は天使降臨で愛する妻を亡くし、妻は天国へ。だが彼は神への愛を持ち合わせず、このままでは天国に行けず、妻に再会できないと悩み苦しむ。妻の死が天使降臨のせいだから、もともと不信心な男が神への愛を得るのはほとんど不可能。そもそも妻に再会したいから天国に行きたいという動機だし。 彼以外にも信仰の諸相が様々な登場人物に仮託されて描かれ、とても面白い。
 作者はヨブ記のラストが甘いんじゃないかと考えた、と「作品覚え書き」に書いている(試練に耐えたヨブに、神は最後には報いている)。なるほどそうなると、奇跡によって神への絶対的な揺るぎない愛を得た主人公の魂が、地獄に堕ちても神を愛し続けるというラストになるんだなぁ、とは思う。
 この作品では、地獄は「神の不在以外は現世と大差ない」ものとして描かれている。でも、神の不在って、他者の不在ではないのか? 神が不在なのに愛は可能なのか? 神への愛が可能なのに、そこは本当に地獄なのか?

◆「顔の美醜について」
 これも好きだなぁ。
 顔の差違は認識できるが、美醜の判断を阻害する、という美醜失認処置が実用化されている(処置はいつでも無効化可能)。ある大学で、この処置を全学生に求める議案が学生会議に提出される。
 いろんな立場の人たちの証言が次々に出てきて、とにかく面白い。平等か、審美の自由か? さらにはコマーシャリズムの影響という問題も。
 整形流行りのご時世を茶化してるようでもあり、もっと深刻な差別のことを扱っているようでもあり。

 私は小中高と女子校で育ったんだけど、異性の目を気にせず自我を形成できたことに感謝してるタイプ。図書委員や整美委員だけじゃなく、体育委員も応援団長も女。女だからって教室で鼻かんじゃいけないなんて知らなかったし、女だからってのが何かの理由にはならないと思ってた。
 だから美醜失認処置が義務づけられている学校の子供たちの様子も、何となく分かる気がした。顔の半分に火傷の痕がある子が人気者だったり、平均以下のルックスの男の子と、かなりの美人が付き合ってたり。それはいい世界だよねぇ。良いルックスを持っている既得権益者以外にとっては。

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May 10, 2004

春風Co.,Ltd.,

 坂田靖子さんのファンタジー漫画『水の森綺譚』の5巻に、「春風Co.,Ltd.,」というお話がある。
 そよぐ春風に「気持ちいいなぁ」と主人公が呟くと、どこからとも無く春風請求書が届く。支払いを拒否すると「姿」を差し押さえられ、透明人間になってしまう。が、主人公は逆に「これなら魚に気付かれない」と、大好きな釣りに行くのだが、湖にはいつの間にか有料釣り堀の看板が! 怒った主人公は気弱な友達を連れて反撃に出る…というお話。

 徹頭徹尾ファンタジーなのだけど、実に、見事に、「自由化・民営化」問題を突っついてる。
 勝手に吹いてくる春風を有料化するなんて、いかにもファンタジーの悪役的なナンセンスだけど、現実世界でも似たようなことが起きてる。
 大昔からの「暮らしの知恵」だった植物の薬効を企業が“知的所有権”で囲い込み、それまで何百年何千年とそれらの植物を利用してきた人々が、特許料を払わなければ使えないようにしてしまう……なんてことが行われようとしてる(たとえば、危うく特許取り消しに成功したインドのニームの木など→こちら)。
 人が生きていくために不可欠な「水」の供給は、日本ではまだ今のところ公的に行われているが、これが規制緩和の掛け声のもとに民間企業に任されると、アトランタのように茶色い水が出るなどサービスの低下が目立ったり(こちら)、さらに深刻なのは、料金アップにより貧困層が水道を使えなくなり、不衛生な雨水などを利用せざるを得なくなるなどの問題が起きている(たとえばこちらなど)。

 「春風Co.,Ltd.,」では、主人公は春風で苗が倒れたと損害賠償を請求し、さらに太陽の光と朝夕の露と空から降る雨を自分のものだと逆に主張して、有料釣り堀となった湖の魚や魚の卵がそれらを利用する料金を請求する、という反撃に出る。ナンセンスにナンセンスで対抗する胸のすく反撃だが……現実ではそうも行かないよね。

 自由化・民営化というのも市場原理主義に基づくグローバル化の流れの一側面で、それをファンタジーで寓話化するというのは……私にとって尽きせぬ野望だなぁ。「春風Co.,Ltd.,」を読んだとき、やられたぁ!と声を上げました。

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May 09, 2004

最近読んだ本

とりあえず2冊だけ。

『インド夜想曲』タブッキ 白水Uブックス

 タブッキは読んだことがなかったのだけど、わりと好きかもしれない。最後にメタ小説っぽくなるのに、描写はあくまでも叙情的。
 特に好きなのは2章の病院のエピソードと、7章の停留所での占いの兄弟とのやりとりと、10章の元郵便配達夫のエピソード。
 逆に9章のホテル・スリアに関する描写は何のためにあるのか分からなかった。5章の追われている女との邂逅は、読んで面白いが、伏線「ではない」ために置かれたものなのか?
 また読み返したいなと思う小説。

『スペイン幻想小説傑作集』東谷 穎人 編  白水Uブックス

 フランス、ドイツと読んで今度はスペイン。怪奇を描いていても何となくユーモラス。
 フェルナンデス・フローレス「暗闇」は、文字通り光が失われた世界。火は燃え熱は出ても光が全く出ない世界に突然放り込まれ、火事が広がるなか真っ暗闇の町を逃げまどう群衆。冒頭の美しい微睡みの描写とラストの絶望感の対比がドラマチック。指輪物語が映画になるご時世、これこそある意味、映像化不可能。
 アナ・マリア・マトゥテ「島」。死んだ子供の物語。此岸と彼岸の境界は互いに含み合って曖昧。説明のできない名付けられない手触りを描いていて、くせになりそう。

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記者の日本語力、あげあしとり

その1
 共同通信で「日本の原発被ばく総量最多 保安院が改善点調査へ」という記事があった。中身は要するに、原発の保守作業をする作業員の放射線被曝量が、原発を持つ主要国の中で、日本は最低だ、という話。
 しかし、この記事には日本の原発一基あたりの被曝量(1.55人シーベルト)は書いてあるが、他国の平均も二位、三位の数値も書いてない。これでは日本がどのくらい多いのか分からなくて、記事の意味を成さない。いくら速報的な記事といっても、これじゃあネ。

 そんな話を昨夜(もう一昨日の夜だが)ダンナとしていたら、きょう(もう昨日だが)、喫茶店で京都新聞にその記事があり、ちゃんと二位、三位の数値があった(サイトが壊れてて?リンクが探せません。起きる頃には直ってるんだろーなー)。地方紙の方がまともな報道をしてることが多いのは、いつものことなんですが。

【追記】 京都新聞の記事も、web版は共同通信と同じもののみでした。
その2  Yahoo!ニュース トピックスで見ると、各記事のタイトルは全角13文字以内。ときどき意味不明な省略をされてることがある。今日、首をひねってしまったのは、    「菓子買うと新幹線の線路横断」。  私はてっきり、「なんかのお菓子を買うと、(普段はできない)新幹線の線路を横断するという権利が当たる」のかと思った。  だが、フルタイトルは「菓子買いたいと酒酔い男、新幹線横断し隣のホームへ」。  なーんだ、だったら「菓子買いに新幹線の線路横断」でイイじゃん。

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May 08, 2004

はら毛が濡れた日

 本日はハンナとダンナを連れて琵琶湖に行って参りました。
 京都駅の伊勢丹地下で中華弁当&焼きビーフンを確保して、一路JR膳所駅へ。
 駅からは、途中ビールを確保しつつ1キロちょっと、湖畔を目指して歩きます。ハンナさんはすでに遠足モードで「るんたった♪」という顔になっています。

 なぎさ公園に着くと目の前に広がる琵琶湖にハンナさんも気分爽快。
CIMG0281.JPG

 湖岸は自然石を使った岩場。これなら今も文明が滅んだあとも、迷惑が少ないはず。遊歩道と、まばらに木陰もある芝生も広々。犬たち、子供たち、人間たちが気持ちよさそうにくつろいでいます。
 近江大橋方面へしばらく歩き、湖を見渡す日陰のベンチでお弁当タイム。

 さらにその先へ行くと、小さな砂浜。ハンナも波と戯れ、立派な腹毛から滴がしたたっていました。
CIMG0262.JPG
 砂浜で目についたのが魚の死体。もしかして鯉ヘルペスですか? (でも鯉の病気より、釣り人が放置した釣り針・釣り糸の方が注意が必要。)
CIMG0266.JPG

 ハンナは終始ご機嫌で、砂浜でひと遊びしたあと、岩場をぴょんぴょんとなぎさ公園を縦走。帰りは京阪で市内へ。

 帰りがけ、富小路御池下がるのカフェ、NESTで一休み。ここは犬OKで、看板犬はパグちゃん×2。ミルクティーにクリームが出てくるのがちょっと残念なんだけど、リンゴのケーキもおいしいし、店員のお嬢さんも美人です。犬用メニューはプレートご飯、ささみ、犬ミルクです。ハンナには犬用ミルクを。
CIMG0285.JPG

 帰る頃には日が暮れて、2人と一匹はてくてくたくさん歩いたなぁと、お家についてぐったりしているところであります。

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May 07, 2004

みよしや の みたらしだんご

 ネットで見かけてから(こことかここ)、ずっと狙ってた。夕方5時の発売開始にはすでに行列ができてるという「みよしや」のみたらし団子。京都に引っ越してきたからには、一度は食べてみないと。
 でも時間にルーズな生活が祟って、こないだ店に行ってみたが、すでに二十人以上の行列で断念。ま、GW中だったから仕方ない。
 今日は犬の散歩のついでに、5時半頃店に到着。行列は……5、6人しかない!
 ダンナに並ばせて待つことしばし。
 おばあさん、奥さん、娘さんという感じの3人が目の前で炭火で焼き、タレの甕にとぷんと浸けて、竹の皮に包んでくれる。1本80円也。一人で10本、20本と買っていくお客さんが多い。一日何本売り上げるのかな……と計算してみると、悪くない商売かな。
 きなこ付きとタレのみを4本ずつお持ち帰り~。

 京都はみたらし団子発祥の地だけあって、みよしやの団子も先端の1個だけ他の3つと離して串に刺してある。ヒトガタの名残りか。ヒトガタといっても穢れを引き受けさせる流し雛タイプの形代ではなく、もとは賀茂御手洗祭りの御神饌。神への供物の残り物、祭儀のおさがりを、健康祈願の呪的な意味合いを込めて頂戴するわけでしょう。

 鴨川を下って家に着く頃には、タレが冷めてきてやや固まり始める頃合い。お団子は小さくて甘みもさっぱりしているので、何本でも食べてしまえる。

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減煙、できちゃってるんです

とある掲示板で、「この本を読んで禁煙できちゃった」という書き込みがいくつかあって、どんな本なの?と思ったのが『禁煙セラピー』(アレン・カー)
いまだに買ってもないんですが、読まないうちから減煙の効果が出てしまった。タバコをやめようとか減らそうとかなんて、全然思ってなかったのに。

要は、
1) 喫煙は、単なる「クセ」である。
2) タバコを吸わないとリラックスできない、というのは幻想である。
3) 結局あなたは、タバコ会社の洗脳に踊らされている。

というあたりが、頭の切り替えに重要っぽい。
苦行のように吸いたいのを我慢するのではなく、「ホントにそんなもん吸って幸せ?」という、もう一人の自分からの声を作り出す。
「我慢する」のではなく「吸いたくなくなる」状態にしていく。

もともと一日一箱程度だったので、ヘビースモーカーってほどじゃないんだけど、今は10本程度に減っている。
大学時代、家では隠れて吸わなきゃならなかったという条件付きでも12~3本だったから、コレはかなりの効果。
もっとも、(読んでないけど)この本では「減煙はダメ」らしい。一本吸うと、そのまま増えて元の木阿弥になってしまうらしい(確かにその危険性はある)。

タバコ吸ってていいことあったかといえば、別にない。
家で吸えない、職場で吸えない、というストレスが大きくて、家を出ちゃったし、会社行くのもイヤになった(1年ちょっとで辞めちゃったよ)。喫茶店に入って店内禁煙だと、凄く損した気分になった。タバコ吸わない男とは、やっぱちょっと……付き合えない(酒飲まないとか味盲とかも無理よね)。

タバコやめたくない理由っていうと……親が、ガッコのセンセが、世間の健全で清らかな方々が、やめた方がいいと言うから、だったりして。ああ、不毛。っていうか、ガキじゃないんだから>自分

以前、石けんライフのサイトをいくつか見て(こんなのとかこんなの)、合成洗剤全般から足を洗ったとき、何より感じたのが、私って環境に優しい!とかじゃなく、
 「フフフ、これで洗剤会社のCMから自由の身になったのだわ」
という解放感だった。新しい家庭用洗剤が出ても、シャンプーのCMを見ても、
 「私はCMの対象外なのよ」
と思うと気持ちよかった。「自分の生活を自分で支配してる」感、って、他に代え難い。
タバコは吸う銘柄がずっと決まってるからCMに影響されるということはないと思うけど、ニコチン中毒から抜け出せば、やっぱり解放感はあるだろうなぁって思う。

と、言いつつ、これ書いてる間に1本だけ吸いました。

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