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September 10, 2002

ディスカバリー木原敏江

 残暑で廃人!というか、年中無休で開店休業!っていうか、そんな今日この頃です。

★実家で古い少女漫画を読んで以来(姉の蔵書)、なんとなく「ディスカバリー、木原敏江」という気分になっています。

 十代の頃に読んで、好きでしたよ、好きといえば。
 「天まであがれ!」「王子様がいいの!」「銀河荘なの!」「日なたへ日かげへのロマンス」……。何度泣かされたか知れないし、新作を楽しみにしていた作家さんの一人でした。
 でも、「摩利と真吾」のラストがイマイチだった……という思いもあり、その後はあんまり注目してなかったんですね。文庫化されたのを見かけていても、手が伸びなかった。
 それがこの夏、実家で久しぶりに「…いいの!」や「…なの!」を読んで、やっばいいわー、この人!と思い、はまってしまいました。

 木原敏江さんの特色として認識していたのは、「とってもいい子」な主人公キャラに、まったく嫌味がなく共感できること(それ自体珍しいし、私がいい子キャラを嫌わないのは、ものすごく珍しい)。それとエンディングの処理が並外れて上手で、泣かせる。モノローグや語りが詩的で美しい。

 それとともに、物語世界の構築の仕方に、愛すべきルーズさがあるのも木原敏江さんの持ち味かなと思います。説明しにくいんですが、池田理代子や山岸涼子、竹宮恵子、萩尾望都あたりと比べて、私はなんとなく木原敏江さんの漫画は「お高くない」印象を持ってたんです。基本的にシリアスな作品であっても、青池保子のコメディに近いようなルーズさを感じるんです。名香智子も少し近いかな。
 物語世界に引き込まれ、活き活きしたキャラクターに共感しながらも、木原敏江さんの漫画では「ありそうな出来事」「いそうなキャラ」を感じることはあまりなく、こちら側のリアルに触れることもなかった気がします。愛すべきお伽話だから「お高くない」。それが評価の低さにつながっちゃいかねないとも思うけど。
 「摩利と真吾」ぐらいまでの絵柄が、お目目パッチリ睫毛バサバサなこともあり、男性の少女漫画ファンに木原敏江ファンが少ないような気もします。大島弓子や萩尾望都の「感性の繊細さ」とは、どこか別種の繊細さがあるのだけどね……。

 文庫で「夢の碑」シリーズなど買い込み、90年代以降の木原敏江さんの作品を読んで感じたのは、意外なことに、「山岸涼子化」している……という印象でした。キャラの感情表現で、表情の崩し方が独特の大胆さを増し、それが私には「ええー、山岸涼子が描きそうな顔だー」と思えたのです。でも、陰惨さがなく後味は哀しくてもサラリとしている……これが木原敏江の味。
 年をとるにつれ作品がヘヴィーになっていく作家というのはめったにいないし、木原さんの場合も軽みが増してはいるのだけど、描かれるキャラの感情は、業を積んできてるような気がします。

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