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May 23, 2001

非暴力漫画シリーズ るろうに剣心

『るろうに剣心』全28巻 和月伸宏 集英社ジャンプコミックス

幕末に「人斬り抜刀斎(ばっとうさい)」と呼ばれ、恐れられた緋村剣心。
新時代明治をおのれの血刀で斬り拓いたはずの彼は、
新政府幹部となったかつての志士仲間の前から姿を消し……

──やがて明治十年。
文明開化の東京に、一人の流浪人(るろうに)が現れる。
廃刀令を無視して腰に帯びるのは、逆刃刀。
……峰と刃を常とは逆に打って、普通に振るっても人を殺めることのない、奇妙な刀。
彼は「不殺(ころさず)」の信念をもって、目に映る人々の小さな幸せを守ろうとする、お人好しの、剣の達人だった。

やっぱりネタバレあり

 「人々が安心して生きられる時代」が来ることを信じて、幕末の動乱に身を投じた剣心。
 自らの手を血に染めて、心に深い傷を負い、悲しみを抱えながら、明治も十年経った時代に、彼は「不殺」のるろうにとして生きようとしていた。それが、自分が殺めた人々への償いになると信じて……。

 バトルを見せる少年マンガにとっては、たぶん新境地だったんじゃないでしょうか……「不殺生」自体をテーマに据えた少年マンガの、もしかしたら元祖?
 そしてこれは、とても質の高い、非暴力マンガです。
 ついでにギャグ・センスも秀逸。

不殺 ころさず
 「不殺」が、単に「殺さない」というストーリー展開上のルールではなく、作品そのものを貫く重要なテーマであることを、作者の和月先生は作品の一等最初から示しています。
  連載の初回で剣心が出逢うのは、「人を活かす剣」を志す神谷活心流の師範代、神谷 薫という少女です。
 剣心の殺人剣 飛天御剣流とは対極にある活人剣が登場するのです。
 殺人剣の達人が不殺の誓いをたてたという矛盾に加え、殺人剣と活人剣の出逢いという矛盾が、物語の通底音となっていきます。
 剣心は、

「剣は凶器、剣術は殺人術」
 と認め、薫の語る活人剣の理想を、
「甘っちょろい戯れ言」
 と認めます。
 が、それでも尚、そんな甘っちょろい戯れ言の方が、
「拙者は好きでござる」
 と言って憚らないのです。

 剣心の剣術の流儀、飛天御剣流は、戦国時代に発する最強の殺人剣として設定されています。
「いわば陸の黒船だ」
 とは、剣心の師匠、比古清十郎の弁。
 味方に付いた方が、確実に勝利してしまうほどの強さ故に、飛天御剣流の理は、いかなる権力にも与してはならないと教えます。
 強い力で「正義」を実現しても、必ずどこかにゆがみが出る。
 強すぎる力を持っていても、所詮、一人の人間でしかない己に、背負いきれてしまうほど、世界は軽くない。
 実際、幼い剣心を拾うまでの比古師匠は、黒船来航以来の騒がしい世情の片隅で、それこそ「目に映る」弱者のために、野盗なんぞをバッタバッタと斬り捨てていたらしいことが描かれています。
 斬り捨てられちゃった盗賊たちの人生はどうなるの~っ、という尤もな疑問には、きっと比古師匠が墓場まで背負っていくのでしょう、としかお答えできませんけども。比古師匠は、「るろ剣」ナンバー1のいい男なんで、その辺は信じてあげて下さい。

 陸の黒船たる飛天御剣流には、流儀の理を具現化する仕組みが内包されています。
 最強の奥義は、師匠を破ることによってしか会得できない。
 つまり、奥義の伝授が成功することは、すなわち弟子の師匠殺しを意味するのです。
 逆に伝授が成功しなければ、弟子は師匠に殺されてしまう。
 師匠から独立して一人前になって世間に出て行く、その最初の一歩に、「師匠殺し」というヘヴィな運命が位置づけられている流儀なのです。いやでも命のやり取りの意味を刻みつけられて、独り立ちするわけですね。

 実は剣心は、物語の途中まで、奥義の伝授を受けていません。
 奥義を伝授される前に、少年剣心は動乱に身を投じ、長州藩に拾われて人斬りになってしまったのです。
 それが明治も十年経って、今のままの自分では立ち向かえない敵に出逢って、師匠の元に出戻り、奥義の伝授をお願いする羽目になります。

 剣心は逆刃刀でこの伝授にのぞみ、結果、比古師匠は奇跡的に一命を取り留めます。
 ここで、戦国期以来の飛天御剣流の歴史に、新たな道が開けたことになるんじゃないかな、と、私は思います。
 「新たな道」と言っても「未来に続く御剣流」という意味ではありません。剣心は飛天御剣流を後世に伝える気はないと公言してますし、比古師匠にしたって、剣心を拾うまでは、自分で終りにするつもりだったと思います。
 だから、「これで御剣流も、やっと終れる」というニュアンスなんですが。
 物語全体としては、活人剣の神谷活心流の今後が、より重要になってくるわけです。

 比古師匠がいい男、って点に関して。
 比古師匠、はっきり言って主人公より強いという掟破りなキャラです。
 闘いぶりも余裕綽々です。
 「俺は手加減しねぇ」とか言いつつ、さり気なく峰打ちにしてたりするところもかっこいいです。
 たぶん、昔の師匠だったら切り伏せてるところなんでしょうが、師匠だって剣心や剣心の仲間たちと出逢って、何かを得ているんでしょうね。
 自分は見付けられなかった未来を、「負うた子に教えられる」面が、言葉には出しませんが、何かあるのだろうと思います。

 そしてね、師匠が剣心を拾ったときのチョットいい話。
 人買いに買われて行くところを野盗に襲われて、剣心は師匠に助けられるのですが、一緒に売られて行くところだった娘たちは既に殺されちゃってて、師匠は間に合わない。
「一歩遅かったか。俺も万能じゃねぇんだ、悪く思うなよ」
 と師匠。
 呆然としているチビ剣心(幼名・心太)に人里の方角だけ教えて、一旦は置き去りにする世捨て人ぶり。
 けどさり気なく、数日後に酒を買いに里に下りたついでに、少年の行方を尋ねます。
 そんな子は来てないと言われた師匠は、もう死んだか……と思いつつ現場に戻ります。
 すると剣心、娘たちばかりか人買いや野盗にまで、墓を作ってやっています。
「死んでしまえば、みんな同じだから」
 と剣心は呟きます。
 ここまで見て、初めて、比古師匠は剣心を拾って育てる決意をします。剣の素質よりも、人間としての資質を見て決意したのです。
 そして、師匠は剣心にこう言います。
「お前には、俺の飛天御剣流(とっておき)を教えてやる」
 この台詞、すごいんです。
 飛天御剣流を伝授すると言うことは、いつかこの子に、自分は殺される、ってこと。
 だからこの台詞、「お前には、俺の命をくれてやる」という意味ですよね。
 これ以上のものを、誰が与えてくれるでしょう。
 ……なのにもー、剣心ったら、師匠の言うこと聞かずに奥義も伝授されない前に維新志士に与して、勝手に傷付いちゃって……。
 ま、その後の剣心があればこそ、師匠も新しい光を見ることが出来たんでしょうが。

新時代、明治
 幕末の動乱を経てやっと訪れた新時代、明治。
 けれど、動乱の中で血まみれになりながら信じた理想が実現したわけではないことを、和月先生はかなりちゃんと描いています。
 威張り腐った官憲を描くぐらいなら凡百の作家でもやるでしょうが、赤報隊が出てくるところなんざ、わたしゃ度肝を抜かれました。
 御存知ない方のために赤報隊について。
 鳥羽・伏見の戦の後に作られた官軍の先鋒隊で、年貢半減令を布告しながら明治の新政を民衆に伝えて東へと進軍。しかし、財政難の新政府は年貢半減を撤回。
 一番隊隊長の相良総三は、なおも世直しを信じ進軍を続けるが、新政府によって〈偽官軍〉の汚名を着せられて、信州下諏訪で処刑。29年の短い生涯を閉じる。
  で、しかも、赤報隊のことを一過性のエピソードとしてではなく、重要なレギュラー・キャラ 左之助の過去に位置づけて、物語り全体の流れに組み込んでしまう度量の大きさ!
 実は私は、左之助の過去が一番暗くて重たいと思ってるんです。
 剣心の負った傷は、いわば自業自得なところがあるんですが、左之助の場合は完全に時代に翻弄され、理想(というか少年の夢と憧れ)を踏みにじられてる。
 でも、キャラとしては左之助が一番脳天気で明るい。
 もし、もうちょっと考え込むキャラにしちゃったら、少年マンガではとても扱いきれない暗さが出てしまうところを、カラリと明るいキャラで、しかも不足なく描いてしまうところが和月先生のすごいところだと思います。

 剣心の周りには、元赤報隊あり、将儀隊の遺児あり、薫の父は西南戦争で戦死してるし……もう、思想信条では互いの過去を認め合えないはずの者同士が、無理なく仲間になっている。
 この辺のストーリーテリングの手際と絶妙のバランス感覚は、本当に素晴らしいです。

 特にバランス感覚の妙を感じさせるのは、「左之助と錦絵」の回。
 左之助の赤報隊時代の親友が出てきて明治政府に対する爆弾テロを計画、左之助もそれに協力します。
 剣心は左之助の気持ちを理解しつつも、彼らを止めようとします。
 剣心を「明治政府の犬」とののしる元赤報隊員と、現在の剣心が決して明治政府を快く思っていないことを知っている左之助。
 私は、このテーマを自分で描いたとしたら、とても収拾をつける自信がありません。けど、和月先生は(ページが足りなくて、御自身としては描き足りない部分は多いのでしょうが)、みごとに説得力ある結末を用意してくれている。ぜひ読んでみて欲しいです。

 赤報隊がらみの他にも、「明治」以後の日本に対する眼差しは、随所に感じられます。
 明治政府が「迷走」を始めると登場人物に語らせ、やがて日清・日露戦争へと「暴走」していくことをナレーションで入れてしまうところなんて、キラリと光る作者の眼差しを感じます。

剣と飛び道具

 近代化の波の中で、剣はしだいに時代遅れな武器になりつつあることも、剣客マンガ「るろ剣」は、ちゃんと描いています。
 物語には拳銃やガトリング・ガン、アームストロング砲などが出て来て、剣心の前に立ちはだかります。
 主人公が飛び道具に負けたら少年マンガは成り立ちませんが、成り立たないから勝つように展開させてるのではなく、どうも、「滅びていく最後の剣士」たちの匂いがするんですよね~。
 でも、だからといって少年マンガっぽく特攻したりしないところが好き。

 これは敵キャラの一人が死ぬ間際、元新選組の斉藤一(!)に言うのですが、
「近代化する明治の中で、お前はいつまで剣に生き、悪即斬の信念を貫けるのかな……」
 斉藤のメチャかっこいい答えは
「無論、死ぬまで」
 !! くぅ~~っ!

 「追憶編」では、剣心が鳥羽伏見で闘った相手が、とどめを刺そうとしない剣心に殺せと言いながら、こう語ります。
「これからは、魂も心もない銃火器の時代が来る。ならばせめて、この場で武人らしく死にたい」
 また「カネこそ最強の力」と喚く卑劣漢が、ガトリング・ガンを持ち出して剣心たちと対決する場面もあります。
 剣心の敵キャラとして登場した美形キャラ 四乃森蒼紫は、そのガトリング・ガンのために四人の部下を失います。
 これなんか、一歩間違えれば少年漫画的特攻精神になっちゃいそうなシーンなんですが、微妙に違う気がするんです。
 剣心の不殺の誓いは、「命こそ何よりも重い」という信念で、ヒューマニズムのきれい事に限りなく近いんですが、死んでいった四人を犬死にとは認めない。
 「命こそ何よりも重い」けれど、「死に意味がない」わけではない。
 「命をかける」ことを否定しはしないんです。
 前近代の「闘いに生き、闘いに死ぬ」、いわば時代錯誤な精神が、近代兵器の前に倒れるという四人の死を、意味あるものとして掬い上げながら、しかも特攻精神の美化に堕すことがない。
 ここも絶妙のバランス感覚なんです。

安慈 救世の誓い

 「京都編」に登場する安慈和尚も、濃くていいです。
 親を亡くした子供たちを寺に引き取って育てていた優しい和尚さんの運命を狂わせたのは、神仏分離令……廃仏毀釈の政治的な流れでした。
 ボロ寺を取り潰そうとする村長によって、寺に火がかけられ、子供たちは焼死します。
 一歩遅れて焼け落ちた寺に戻った安慈和尚は、黒こげになった子供の腕を見つめ、仏に向かって叫びます。
「なぜ、この子らを救わない!」
 その後、安慈は罪無き者を救い、悪を打ち砕く力を求めて修行し、「二重の極み」という少年マンガ的な技を会得して(^_^)、明治政府転覆を謀る一派に身を寄せます。
 世を救うには、まず今あるものを毀さねばならない……。
 暴走しているとはいえ、安慈の想いは純粋です。

 この安慈を受けて立つのが、剣心ではなくて左之助というところもなかなかいいです。
 展開上、サブキャラの左之助にも対決相手が必要なわけですが、他のキャラではなく安慈と対決させるところが和月先生のストーリーテリングの妙です。
 散々闘って決着が付いた後に
「優しさでは、世は救えぬ」
 と呟く安慈に、左之助は、赤報隊の相良隊長を思い起こしながら、
「んなこた、10年前から知ってるさ」
 と応える…。
 高潔な理想に生きたにもかかわらず、明治政府の都合によってエセ官軍の汚名を着せられ首を曝された相良隊長。
 でも、左之助は剣心と出逢うことによって、過去の恨みから解放され、相良隊長の理想を自ら生きようと歩き始めている。
 そんな左之助だからこそ、安慈も恨みから解放されてほしいと願う。
 このシーン、かなり痛いです。

 安慈という人は、お話の中ではまだ、解放されていません。
 和月先生御自身も「やっと暴走が止まった」ところまでしか描けなかったと仰ってます。
 なんとか、その後を見せていただきたかった。シリーズ完結した今となっても、未練が残ります。

四乃森蒼紫

 「るろ剣」ファンの中では案外と評価の低い美形キャラですね。
 他のキャラに比べキャラクターの中身が薄いと、一部では言われているようです。

 でも、私はこのキャラ、かなり好きです。

 隠密御庭番衆、最後の御頭。
 闘うことしか知らず新時代に取り残された部下達を率いて、闘いの場を求めて生きてきた人です。
 幕末・維新という時代の波に翻弄されたキャラが好きなんでしょうね、私は。(人気のある瀬田の総ちゃんなんかは、特に好きというわけじゃない。時代とは無関係にごく個人的な家庭の事情でネジがゆるんじゃったキャラだから)

 前述のように、ガトリング・ガンの攻撃により四人の部下を死なせてしまった蒼紫は、精神のバランスを崩してしまいます。
 抜刀斎を倒して「最強」の称号を四人の墓前にそなえる、という強迫観念にとり憑かれ、そのためだけに生きる修羅と化します。
 「京都編」の中で、剣心対蒼紫の再戦があるのですが、これが、かなり濃い(^_^)。

 全力で闘いながら、〈説得の魔術師〉〈闘うカウンセラー〉などの異名を持つ(?)剣心は、蒼紫の心を開いてゆくのです。
「お前のその妄執こそが、四人を亡霊にしている」
 鋭いご指摘です。
 でも、単に言葉で説得されちゃったら蒼ちゃんの苦悩は身も蓋もなくなっちゃうわけで。
「それでも、お前と闘わねば
俺は俺自身と決着がつけられない」
 と、蒼ちゃんは言います。
 蒼紫さまもけっこう不器用な生き方をしてるんです。そこが好き。
 受けて立つ剣心は、いつだってギリギリのところで闘わねばならない。

 飛天御剣流の奥義によって蒼紫は敗れるのですが、不殺を貫く剣心は、蒼紫を殺さずに解放するのです。
 ここまで来ると、剣心の剣はもう、限りなく活人剣になってます。

 蒼紫さまの死んでしまった部下の一人に、般若くんというのがいました。
 密偵方として変装の便宜を図るため、自ら鼻を落とし、頬を削ぎ……という異形の姿になった人なんですが、この般若くんのが登場するシーンが、「京都編」の中にあります。
 蒼紫の元で育てられた操ちゃんという忍者少女が、ずっと蒼紫の行方を探していて、たまたま剣心と知り合って……まあ、色々あるのですが、剣心は操ちゃんに、「必ず蒼紫を連れて帰る」と約束します。
 剣心や左之助たちが闘いに向かった留守中に、操ちゃんたちの方も攻撃されてバトルになるんですが、操ちゃんが一発喰らって気絶しかけたとき──これがちょうど、剣心と蒼紫の決着が付いた後なんですけど──操ちゃんのところに般若くんの霊が出てきて、
「操様……抜刀斎が約束を守りました。蒼紫さまが帰ってきます」
 と伝えます。
 こうやって書いてもあんまり伝わらないとは思いますが、この般若くんの霊が出てくるシーン、私としては「るろ剣」のベスト・シーンです。
 泣けました。
 蒼紫の妄執の中で亡霊となっていた般若くんたちが、やっと解放され、操ちゃんが知っていた「大切な仲間」に戻ったことを伝えてたりする。
 そうなんです、蒼紫にとっての般若、操にとっての般若や蒼紫……人格が関係性の中にあること、和月先生はよっく御存知なんだなぁと、感心します。

 蒼紫さまは「復讐編」でも再登場しています。
 その中で、和月先生は蒼紫に、ひとつの答えを用意してくれました。

 剣心のバトル・カウンセリングで暴走を止めた蒼紫さまは、その後しばらく座禅など組んで更正につとめ、社会復帰の道を模索していました。
 時代に取り残され、闘うためだけに生きてきた自分の存在意義を新時代の中に見いだすことは、蒼紫にとって困難です。
 かといって、改心してマイホーム・パパになりました……というわけにも、いかない。
 蒼紫はどっぷりと血にまみれた、隠密御庭番としての「外法の力」を持っている。
 そんな蒼紫は、「外法」のワザで世に仇なすマッドな悪党に向かって、こう言います。
「新しい時代を迎えた今、外法の技術(ワザ)は、
もはや静かに人知れず滅ぶべきもの…」
 御庭番御頭としての自分の存在をも、同時に否定するような言葉です。
 けれど、彼にはまだ、すべきことがある。
「外法の悪党は、外法の力を以て更なる闇へと葬り去る。
それが隠密御庭番衆の、最後を締め括る御頭としての務めだ」
 彼の幕末はまだ終わらないけれど、終わりを始めることが出来た。……やっと。
 この感じが、私の好きな「るろ剣」っぽさなんですよね。


さて……

 ……最後になりましたが、「復讐編」以降の展開について一言。
 やはり、どう贔屓目に見ても、「京都編」以前と比べると、不満足な点が多いです。
 剣心が、自分自身の過去の罪と直面するという、まさに「るろ剣」のテーマ編的なストーリーであるにもかかわらず、不満が残る展開でした。
 和月先生のストーリー・テリングにも、冴えがない。
 剣心はウジウジしたり、妙に力んだり、どうもしっくりこない。

 ただ、救いがあったと思うのは、剣心への個人的な復讐に燃える雪代縁の、憎しみの終わり方。
 大切な人を救えなかった縁が、憎むべき敵であるはずの剣心の大切な人を、思わず救ってしまう……
 ここに物語の魔法があり、理屈じゃ導き出せない救いがあると……私は思います。

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