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March 2001

March 19, 2001

消費の祝祭空間(定休日あり)

 なんかねぇ……銀座ってのは、キラキラしてて、若い女の子が(渋谷と違って)小汚くなくて綺麗で、ウィンドウ・ディスプレイも素敵でさぁ……「消費するサクリファイス」って感じの、洗練されててまぶしい街なんだなぁ。表参道とか自由が丘より、私には格段に誘惑的な街なのね。

 お彼岸でお墓参りに行った帰りに、母や姉と一緒に銀座に出て、プランタンに寄ったの。すごい久しぶりに。
 子供の頃から親に連れられて歩いた馴染みのある町だけど、一人で行っても右も左も分からない。私は典型的な「点と点」の人で、頭の中に地図がないのですよ。
 だからよけいに、街がキラキラして見えるのかも知れない。
 人がみな 我より美人に見える街……って感じでしたよ。
 子供の頃に知ってた銀座とは、バブル以降ずいぶん変わっちゃってるんだけど、でも久々に行くと、やっぱり何だかわけも分からず魅力的なのよね。

 テレビCMとか量販店とか、お台場あたりで感じるような「消費しろ、消費しろ」光線の浅ましさが、銀座にはあんまりない気がするのね。
 「銀座で買い物する」は、何だか「正しくて」「美しい」の。
 「物神[フェティッシュ]の祝祭空間(定休日あり)」、って感じかな。「(年中無休)」じゃないのよね、コンビニのお手軽な消費じゃないの。
 大量消費・大量廃棄のアンチは、なにも清貧ばかりじゃない、って見せつけられた感じ。 生存に不必要という意味では壮大な無駄の山には違いないんだけど、単なる生存以上の何かにとっては……それなりに、意味のある無駄。
 少なくとも、大量廃棄・大量消費みたいな、剥き出しの野蛮ではない。
 だからって、一つの文化である、なんて、素直には言わないけど。
 だって、物神は物神。超越がない。

 消費の祝祭。それって、私には永遠に見知らぬ街。とてもキラキラして見えるの。
(不親切な書き方でゴメンねー! 今日は歩き疲れちゃったんだ)

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March 06, 2001

推薦! STS応援歌に「海に還るべき・だろう」を!

 STSといっても一般にはまだ聞き慣れないと思いますが、要するに「科学・技術と社会」(Science, Technology & Society)の関係について考える活動のことで、現代社会でアレコレ持ち上がっている科学技術絡みの問題──遺伝子組み替え作物とかダイオキシンとか医療・食料・環境問題なんでも──を扱うものです。
 詳しくはこちらでどうぞ。 「宇宙を目指すのは人類のロマンだ」という意識は、たぶん、今でも広く共有されている。
 それに対して「ちょっと違うんじゃない?」と言うのは、案外難しい。

 よくあるのは、「世界中で○億人も飢餓線上にいるのに、宇宙開発に大金を回してる場合じゃないだろう」という論法だ。

 これはもっともだけど、飢餓がなくなってから宇宙開発をすればいい……ということでもある。
 或いは飢餓の次には貧困を指摘するかも知れない。はたまた世界中で保育所の整備が終わるまでは、宇宙開発に金を回すのは待て、ということになるかも知れない。
 いずれにせよ、単に優先順位を指摘しているだけで、「宇宙を目指すことが人類のロマン」であること自体に疑義を差し挟むものではない。

 「宇宙がロマン」という意識の前提には、「人類は常に未知を目指し、海の彼方を目指したように宇宙を目指し、発展していくのだ」というメンタリティがある。
 でも、それは本来、フロンティア・スピリッツのお国のスタンダードであり、なにもワールド・スタンダードなメンタリティとは言えない。
 にもかかわらず、本当は島国で平和を貪っていたい民族までもが「宇宙はロマン」という意識を肯定するのはなぜか?
 一つには、単純に、夜空の星を見上げると美しいと思い、不思議な気持ちになるからだろう。これは私も賛成。
 けれど、だからと言って、その気持ちが必ずしも「宇宙を目指す」ことに繋がるわけではない。
 「不思議」を解き明かし「神秘」を解明するのが、「科学」であるという刷り込みがあればこそ、探査機を宇宙に飛ばそうと考えつくのだ。

 夜空の星を見上げることの意味は、こうして、科学的調査で解明される岩石組成や軌道計算へと矮小化されてしまう。

 理屈は専門家に任せるとして、本題に入ろう。

 我らのジュリーが、単純明快な言葉で、月になんか行かなくてもいいじゃーん、と歌ってくれているのだ。(以下「」内は歌詞の引用)
 「月に行くなんて」「すごいな」とは思うけど、「そうまでも 行かなきゃあ ならないのか」と問い掛ける。
 「この地球でさえ 手に余ってる 違うなと思ってるんだ」。
 宇宙へ行くことこそ人類のロマン、神秘への旅路だ、という常識に対し、ジュリーは力強く歌う。
 「神秘への旅は海がいいな 海に還るべきなんじゃない どうだろう」。1番では「どうだろう?」と念を押し、2番では「そうだろう?」と同意を求めている。

 人間は海を見て、山を見て、「この星に生まれつき 棲み続けて」きたのだと言い、そこで君と生きていこうという意志を歌う。
 何も宇宙まで行って見なくても、地球は青い海の星なんだよと、あっけらかんと歌うのだ。
 この〈あっけらかん〉さ加減が、密かに〈無知でいる権利〉を主張していることは、STS研究に関わっておいでの諸氏には明らかであろう。

 科学論的に躓きとなるのは、ただ一つ、山を見てると落ち着くのは「進化した証なんだよ」というフレーズだが、これも、作詞家(沢田研二)の意図は、前述したように、人は(この場合、とりあえず日本人は)何万年も山を見て暮らしてきた、ということだろう。

 曲調が行進曲でもあるし、科学論、STS分野の応援歌にはピッタリだと思うのだが、正式に採用するユーモアのある団体はないだろうか、「どうだろう」?

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March 04, 2001

ガンダーラ

 アフガニスタンで仏像が破壊されたとの報道が、大きく取り上げられています。
 イスラム原理主義者が偶像崇拝の禁止の教義に基づいて偶像破壊を……というような論調ですね。(BBC

 違うでしょ。

 極端な手段(度重なる『国際制裁』)で追い詰められた挙げ句、タリバン側も極端な手段で応じただけ。
 アメリカが虐めすぎたんだよ、というのが率直な感想です。分からないことや報道しにくいことは全部「イスラム原理主義」のせいにするのは、いいかげんやめて下さい。

 美術品・文化遺産としてのガンダーラ美術を破壊するのは、確かに哀しく、愚かしいこと。
 けどアフガンでは、もっと哀しく、愚かしく、戦火で一般人が死に、苦しみ、難民キャンプで赤ん坊が凍えている。
 誤解を助長するだけの愚かな手段ではあるけれど、仏像破壊はアフガニスタンの悲痛な叫びだと知るべきじゃないでしょうか。

 仏像が破壊されても、仏陀は永遠に壊れない。ならば、何一つ壊れてはいない。
 霊性の一つの源泉としてのガンダーラ。
 三蔵法師が悟空たちとともに目指したのは、地上の国だったのか、心の中心だったのか?

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March 03, 2001

びっくりするような金融政策

 株価が続落してますね。このままだと1万2000円代を割り込む勢い。
 そこで亀井くんや青木くんは「来週、ビックリするような手を打つ」とか。
 しかし、今さら森くんが辞めても手遅れだし(市場は織り込み済みでしょう)、打つ手があるのでしょうか。
 バカらしくてビックリしちゃうような手でないことを祈ります。

 そこで私も考えてみました。
 公定歩合0.3%引き下げです。
 これなら日銀の得意技だし、できるでしょう。
 なにしろ0.3%引き下げると、公定歩合は-0.05%になるのです!
 2001年3月1日現在、公定歩合は0.25%なんだもーん。
 公定歩合というのは、日銀が普通の銀行にお金を貸すときの貸出金利のことだそうです。
 これを操作することで、私たちに関係する市中の金利や、通貨供給量に影響を与えるということのようです。(日銀の公定歩合のページはこちら


 もっとドーンと公定歩合を下げて市中金利までマイナス金利になると、お金を借りても元金が目減りしていくので、長く借りるほど返す額は少なくてすみます。ものの値段が金利の分だけ下がります。
 天国みたいですね。革命的です。
 事実上のゲゼル革命が始まる日も近いかも知れません。(「減価するお金」ゲゼル主義についてはこちら

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