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January 2001

January 30, 2001

非暴力のふるさと

 大地震があったインドのグジャラート地方というと、マハトマ・ガンディーの故郷。
 ガンディーは、ポンパルダルやラジコットで子供時代を過ごしたと、自叙伝にある。震源はブージ近辺というから、そう遠くない。(→共同通信
 関西に引っ越して、神戸の震災が今も「大きな出来事」であることに気付かされた。東京にいると、既に過去の話という感じが強かったが、やはりこちらでは身近な出来事。距離感が違う。

 距離という意味では、インドの大地震は遠い異国の出来事ではある。
 想像力と、感情移入力で距離を埋めるにも限界はあろうが、震災後の復興の困難さ、被災した人々が後々まで苦労する様子は、神戸の経験から私たちの多くが見聞きしてきたはず。
神戸市・兵庫県ほか震災被災地域が設立した義援活動の情報(終了しました)
(義援金の受け付けは30日から開始する。募集期間は3月31日まで。受付口座は、みなと銀行本店の普通口座「インド西部大地震兵庫県義援金」で、口座番号は1630227。同行本支店からの振込手数料は無料。 )
一応、赤十字義援金受付の案内も(こちらも終了)。

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January 28, 2001

「何」と「誰」

 「何」で問われれば、職業や、学校や会社の名前。
 自己同一化の問題だけじゃなく、よく言う「自分の夢」も、ダンサーとか小説家とか(微笑)、たいていは「職業の名前」だったりする。
 「どんな人間になりたいか」ではなくてね。

 「誰」で問われると、自分の名前や、生まれてからの経験、記憶、身につけた知識や技術、努力の結果獲得したいろいろなもの……等々で、ここにいる自分を説明しようとするのが普通かな。
 名前以外はいずれ失われるものだけどね……次の世代に伝えない限りは。
 次の世代に伝えることが出来たら出来たで、それでも「自分」を「それ」に同一化できるかどうか、ちょっと怪しくなるけど。

内なる耳目を失って自分が誰なのか知らないので、
余計に自分というものに夢中になって、
無理矢理にも自分なる何かを作り出し、
それを飾らずにはおれません。
……高価な宝石や衣装で自分を飾り、
虚しく無内容でその場しのぎの知識で飾り、
無意味で新奇な情報で、
そして意味付けられることもない単なる事実としての体験で、
己の空虚さを飾りたてます。
そうでない者も善行で飾り、
謙虚さで飾り、
簡素な生活様式で人格の徳性を飾りますが、
それら総ては真の高貴さの猿真似でしかありません。……
……そこで人々は苦界の表層を寄る辺なく漂う根無しとなり果て、
空虚で薄弱な自分なるものを頼っては、
世界を絶えず既知へと繰り込み、
そうやって一層見る目、聞く耳を塞ぐのです。
その小さな世界の中で、言い訳の必要なある種の人々は、
自分こそ当事者であるという事実に於いて
物言う権利があるのだと開き直るでしょう。
物言う前に当事者とならねばいけないのですから、
これはひたすら忙しい生き方ですな。
彼らは実体験という煙幕で武装して
あらゆる他者からの批評を無力化し、
優位を保とうとしますが、
結局は自分が当事者であり得ない無数の隣人の事柄については、
思考もせず、判断にも加わらず、
ましてやその物語に学ぶ耳すらも持ちません。
目の届く範囲に世界を力ずくで繰り込んで、
これをもって自主自律やら責任範囲やらと呼んでおるのです。
    (『誰か知らぬ物語』より)
 若いうちから考えとかないと、年とって死ぬ間際に苦しむことになったりして。
 もう若くないと思っても、今日こそ人生で一番若い日なんだよね。

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January 26, 2001

黄色いおにぎり

 有明海苔が黄色くなったら、やっぱ困るでしょう。
「昔は、おにぎりの海苔は黒かったんだよ~」なんて言うのはやだよ。

 あまりにも今更ですが、諫早湾干拓の関連サイトを、一度訪問してみてはいかが?

諫早湾干拓問題関連LINKのページ
農林水産省の諫早湾干拓事業のページ大変表面的なお役所説明
 お役所の言い訳は想像以上に、「ここまでみえすいたウソつくか!?」という感じ。

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January 25, 2001

近所の危険

あんたみたいな人種にはヘドが出る
環境保護になんぞこれっぽっちも興味がねえくせに
自分を守るための議論となると百万馬力だ
プルトニウム積載船が沖を通ったって
無関心でいるような輩が
煙草の煙ひとつで大騒ぎってわけさ

   (『愛でなく Ⅵ』パーム20巻 獣木野生(もと伸たまき) 新書館より)
 ヘビー・スモーカーの言い訳に利用されては困るけど、アダムス警部の気持ちは解るな。

 ま、プルトニウム積載船の話ではないんですけど。
 石川県でタンクローリーが横転し、有毒ガスを発生する劇物「トリクロロシラン」が流出炎上する事故があった……というニュースを聞いて、危ないもんがすずしい顔して道路を走ってるんだなぁと、改めて感じました。

 ニュースでは「トリクロロシラン」なる「劇物」の引火性などの性質は言及していたが、どういうわけか、何に使われるものなのかは一言も説明がない。記者はアホか? アホなのか?
 仕方なくネットで検索したところ、「半導体用高純度シリコンの原料として使用。」という記述を見つけた(→http://www.inv.co.jp/~yoshi/doku-g/geki2.html)。「加水分解で塩酸を生成」ともあるので、ニュースで言ってる「有毒ガス」は塩酸の気化したものか?
 とにかく、ニュースの本質としては、「何のためにそんな危険なものが道路を走ってるのか」の方が大事だろう。
 だって、私たちがどんなリスクを取って現代の文明生活を送っているのか知るのは重要だが、化学物質の性質そのものには、あまり意味はなかろうに。

 危険なものが走ってるのは、なにも民家に隣接する国道ばかりではない。
 流出すると大変なことになる重油を載せて、タンカーは世界の海を行き来している。
 今もガラパゴス諸島では、アシカさんやペリカンさんやイグアナさん(!)やカツオドリさんたちが、まっ黒な重油まみれになっている(→CNNニュースはこちら)。
 最初聞いたとき、「ガラパゴスなんてタンカーの航路なの?」と思った。なにしろ、独自の進化を遂げてダーウィンさんを感化しちゃうほどの絶海の孤島(諸島だが)という印象があったからだ。
 地図をよく見れば、パナマ運河と南半球を結ぶ航路にあたるらしいことが分かる。

 たび重なる重油流出事故は、本当に「許容されるリスク」の内なのだろうか。
 少なくとも、こんな危ない橋を渡らずに済ますよう、真剣に、緊急に、人間の文明は努力しているのか?

 現代の技術発展は、あまりにもアンバランスだ。
 原油を採掘し、商品化し、利用する技術の洗練に比べ、ひとたび事故が起こったときには人海戦術に出るしかないという稚拙さ。
 現代人であることは野蛮だ。

 嫌煙権も大事だよ。特に呼吸器疾患のある人たちには、切実だろう。
 でもやっぱ、日ごろ無自覚に負わされている現代生活のリスクは、すずしい顔していたるところにある。
 それらの内いくつかは、人間やアシカや海や大気や大地にとって、まさに致命的な危険なのだし。

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